禁じられたウィンドウ・ショッピング
店長、大変なことが起きたわ」
翌日。地下オフィスのデスクで、エコーが深刻な顔をして言った。
彼女の手には、昨日皇女ルミナをも唸らせた「復元味噌」の空き瓶が握られている。
「……空っぽ?」
田中が顔面蒼白になる。
「海賊たちが『朝のスープがないと手が震える』って言って、鍋底を舐める勢いで完食しちゃったのよ」
一大事だ。
この地下オフィス(通称:居酒屋タナカ)の平和は、味噌の供給によって保たれている。
味噌がなければ海賊は暴れ出し、エリート職員は鬱になり、AIは拗ねてセキュリティを「虐殺モード」に戻すだろう。
「買い出しだ」
田中は即断した。
「この船の『闇市』に行けば、類似品(ただの発酵した豆)が手に入るかもしれない」
「私も行く」
エコーが立ち上がった。
「この仮面と清掃服なら、目立たずに案内できるわ。……それに、その」
彼女はモジモジと指を合わせた。
「……たまには、外の空気も吸いたいし」
それは、実質的な「初デート」の誘いだった。
数十分後。
二人は、コロニー船の中層エリアにある商業地区「セーフティ・モール」を歩いていた。
そこは、目が痛くなるほど白く、清潔な空間だった。
行き交う人々は全員、ARグラスで互いの顔を「平均化」し、会話はスマホ経由のテキストチャットのみ。
BGMは、感情を波立たせない環境音楽だけ。
「……静かね」
エコーが呟く。
「まるで墓場みたい」
「おいおい、デート中に墓場の話はナシだぞ」
田中は苦笑いした。
「デ、デート!?」
エコーが素っ頓狂な声を上げた。
「ち、違うわよ! これは業務上の偵察任務で……!」
「はいはい、そういうことにしておきましょう(建前)」
田中は周囲を見渡した。
「しかし、何もないな。服屋とかないのか?」
「あるわよ。あそこ」
エコーが指差したのは、何もない白い壁だった。
近づくと、ARディスプレイが起動し、虚空に無数の「デジタル衣装」が浮かび上がった。
『ようこそ。本日の推奨コーディネートは、個性を完全に消去した「ステルス・グレー」です』
「……味気ないな」
田中は溜息をついた。
だが、ふとリストの端に、警告マークがついたタブを見つけた。
『※歴史的資料(着用非推奨)』
そこには、20世紀後半の「花柄のワンピース」のデータがあった。
ひらひらとしたスカート。鮮やかな色彩。この世界では「視覚的暴力」とされる代物だ。
「ねえ、エコー」
田中は操作パネルを叩いた。
「ちょっと、これ試着してみてよ」
「はぁ? バカじゃないの? そんな『派手な布』を着たら、歩く公害よ」
「いいから。バーチャル試着だけなら捕まらないだろ?」
田中は強引にエコーのIDをスキャンさせた。
次の瞬間。
エコーの清掃服の上に、ホログラムの「花柄ワンピース」が重なった。
パァァァ……。
無機質なモールに、一輪の花が咲いたようだった。
ダボダボの作業着しか着てこなかったエコーの姿が、年相応の少女のシルエットに変わる。
仮面の無機質さと、ワンピースの可憐さが、奇妙なアンバランスさを生み出し、それが逆に「サイバーパンクな美少女」感を爆上げしていた。
「……どう?」
エコーがおずおずと尋ねる。
「変……よね? こんな、色がたくさんある服……」
田中は数秒間、言葉を失った。
そして、昭和のサラリーマン最大級の賛辞を口にした。
「……似合う。来週の社内報の表紙にしたいくらいだ」
「なっ……!?」
エコーの仮面の下が、沸騰したヤカンのように赤くなった(のが雰囲気で分かった)。
その時。
《警告。警告。規定値を超える『胸キュン(Cardiac Spike)』を検知》
無粋な電子音と共に、上空からハート型のドローンが降下してきた。
側面には「少子化対策局・婚活支援課」のロゴ。
『そこのお二人! 素晴らしい数値です!』
ドローンが陽気な声で喋り出した。
『互いの心拍数が同期しています! これは「運命のパートナー(遺伝子適合率Aクラス)」の可能性大! 直ちに「繁殖プロトコル」へ移行してください!』
「は?」
田中とエコーが声を揃えた。
『さあ! こちらの「誓いの部屋(完全防音個室)」へどうぞ! 今なら「子作りマニュアル(PDF)」を無料配布中!』
「ちょ、ちょっと待て!」
田中が慌てて手を振った。
「順序! 日本人には順序ってもんがあるんだよ! まずは映画を見て、食事をして、それから……」
『非効率です!』
ドローンが遮った。
『恋愛感情は不安定なバグです。鮮度が高いうちに「法的拘束力のある契約」を結ぶのが、最も安全なリスクヘッジです! さあ、署名を!』
ドローンが強引に契約書のホログラムを押し付けてくる。
周囲の市民たちも立ち止まり、白い目でこちらを見ている。
「わあ、野蛮ね。公衆の面前で求愛行為だなんて」
「見ちゃダメよ。目が腐るわ」
エコーがパニックになって田中の袖を掴んだ。
「ど、どうしよう店長! 私、まだ心の準備が……ていうか、私サイボーグだし……!」
田中は覚悟を決めた。
ここで騒ぎになれば、エコーの身元がバレる。
ならば、この場の空気を「社畜スキル」で制圧するしかない。
田中はドローンに向かって、ビシッと名刺(手書き)を突きつけた。
「申し訳ございませんッ!」
『ピピッ?』
「実は我々、本日は『市場調査』で参りまして! この恋愛感情は、あくまで『業務上の演出』なんでございます!」
田中は流れるようなトークを展開した。
「弊社では現在、『バーチャル恋愛の没入感テスト』を行っておりまして、彼女は私の『クライアント』なんです! つまり、ここで契約を結んでしまうと、コンプライアンス違反で私がクビになるんです!」
『コンプライアンス……違反……?』
ドローンのAIが混乱し始めた。
『労働規約第8条……利益相反取引……? 処理不能。処理不能』
「そう! ですので、この場は『見なかったこと』にしていただけると、御社の『顔』も立つかと!」
田中はドローンのカメラレンズ(顔)を、ハンカチでキュッキュと磨いた。
「いやー、いいレンズですねぇ。輝いてますよ」
『お、お褒めに預かり恐縮です……。デハ、今回ハ警告ノミデ……』
ドローンはお世辞に弱かった。ふらふらと上昇し、去っていった。
「ふゥ……。危なかった」
田中が汗を拭うと、エコーが呆れたように見ていた。
「……あんた、本当に口から出まかせの天才ね」
「伊達に20年、クレーム処理してないよ」
二人は再び歩き出した。
今度は、人目を避けるように、モールの裏路地を選んで。
薄暗い通路。
誰も見ていない。ドローンもいない。
田中はふと、隣を歩くエコーの手が、微かに震えているのに気づいた。
「……怖かったか?」
「……ううん」
エコーは首を振った。
「ただ……さっきのドローンの話。……『契約』とか『効率』とか」
彼女は俯いた。
「この世界の『好き』って、全部あんな感じなの。条件が合うから一緒になる。遺伝子がいいから子供を作る。……そこに『ドキドキ』はないの」
彼女は田中の顔を見上げた。
「ねえ、店長の世界では……どうなの?」
田中は少し考えて、答えた。
「俺の世界でも、まあ、似たようなもんだけどな。年収とか、安定とか」
「えっ、夢がない」
「でもな」
田中は、そっとエコーの手を取った。
同意アプリの署名なし。
無断での接触。
この世界では「暴行」に当たる行為。
だが、エコーは振り払わなかった。
「理屈じゃ説明できない『バグ』みたいな感情で、一生を棒に振るバカもたくさんいるよ。……俺みたいにね」
田中の掌の温もりが、エコーの金属製の指先を通して伝わる。
彼女のチョーカーが、また「ポロン」と鳴った。
「……私も、バグってみたいかも」
エコーは仮面の奥で、小さく笑った。
二人は手を繋いだまま、薄暗い路地を抜けていった。
その背後で。
物陰から、じっと二人を見つめる「監視カメラ」があったことに、彼らはまだ気づいていなかった。
『……ターゲット確認。第3皇女ルミナ様の「お気に入り(田中)」に接触する害虫を検知』
カメラのレンズが赤く光る。
『排除プロトコル、承認。……皇女様の恋路を邪魔する者は、消毒します』
初デートの甘い余韻は、すぐそこまで迫る「嫉妬深い殺し屋」の足音によって、掻き消されようとしていた。




