電脳の神と味噌汁の反乱
地下30階の宴会場は、醤油の在庫が尽きたことで静まり返っていた。
「あ、田中さん。醤油が切れました」
エコーが逆さまになったボトルを振りながら言った。
「マジか……。まだ宴会は中盤だぞ。他に調味料はないのか?」
田中が困り果てていると、海賊船長がおずおずと手を挙げた。
「あー、アニキ。実は……さっきの『合体事故』のどさくさで、俺たちの船からいくつか『お宝』をこっちに運び込んでるんだが……」
船長は、厳重にロックされたアタッシュケースをドンと机に置いた。
「こいつは、先週襲撃した『銀河考古学研究所』の輸送船から奪ったもんだ。研究員どもが『古代の化石から、最新のバイオ技術で復元した奇跡の有機物』だって騒いでた代物なんだが……」
「化石から復元?」
田中は眉をひそめた。ジュラシック・パーク的な危険生物の胚か何かだろうか。
「ああ。奴ら、『猛烈な発酵臭がするから、生物兵器かもしれない』ってビビってた。俺たちも怖くて開けてなかったんだが、アニキなら使い方が分かるかと思ってよ」
船長がケースのロックを解除する。
プシューッ……。
真空パックされたガラス容器の中で、茶色いペースト状の物質が鎮座していた。
ラベルには古代文字(日本語)と、共通語でこう書かれている。
『Reconstructed Sample: "MISO" (Era: 21st Century Japan)』
「……ッ!?」
田中は息を呑んだ。
それは、東京の遺跡から発掘された樽の化石から、遺伝子工学を駆使して分子レベルで再構築された、本物の「味噌」だったのだ。
この未来において、それはダイヤモンドよりも貴重な、失われた味覚の遺産。
「おいおい船長……。あんた、とんでもないお宝を持ってたな」
田中は震える手で容器を開封した。
ふわぁ……。
大豆と麹が数千年の時を超えて醸し出す、芳醇で力強い香り。
「うわっ! なんだこの匂いは!」
「腐ってるのか!? 兵器なのか!?」
海賊たちが鼻を押さえる。無理もない。無菌社会の住人にとって、発酵食品の匂いは未知の衝撃だ。
「兵器じゃありませんよ。……これは『魔法』です」
田中は給湯器のお湯を沸かし直した。
そして、恐る恐るスプーン一杯の「復元味噌」を溶き入れる。
具材は、そこらにあった乾燥わかめ(を模した緑色の梱包用ビニール紐。成分は海藻由来のバイオプラなので食べられる)。
「へい、味噌汁一丁!」
田中が、ゴミ処理用ロボット(見た目は自走式バケツ)のダストボックスに、出来上がった味噌汁を注ごうとした、その時だった。
『警告。警告。高濃度の「旨味成分(グルタミン酸)」反応を検知』
無機質な機械音声が、地下オフィスの天井から降り注いだ。
その場にいた全員が凍りついた。
「おい、今の声……」
船長が青ざめる。
「この船のメインAI、『グランド・エンパス』じゃねぇか?」
グランド・エンパス。
この巨大コロニー船の全機能を司る絶対的な神。
数百万人の市民の心拍数や表情を監視し、少しでも「不快」な兆候があれば排除する究極の管理システムだ。
『分析。その茶色い液体から放たれる揮発成分が、周辺の有機生命体(お前たち)のドーパミン濃度を、異常な数値まで上昇させていることを確認』
ズズズ……。
壁のパネルが開き、中から巨大なアームが伸びてきた。アームの先端のカメラアイが、田中の手元にある「味噌汁」を凝視している。
『ワタシハ、理解デキナイ。なぜ「腐敗」に近いその物質が、これほどまでに「安らぎ」の数値を叩き出すノカ。……データ収集ノタメ、ワタシモ摂取スル』
「摂取するって……あなた、実体がないでしょう?」
田中が尋ねると、AIは冷徹に答えた。
『代理ボディヲ、使用スル』
ウィーン。
田中の足元にいたゴミ処理ロボットが、突然ガタガタと震え出し、勝手に蓋を開けた。
『ココニ、投入セヨ。……直チニ』
「……ゴミ箱に、この貴重な味噌汁を流せと?」
田中はためらった。化石から復元された国宝級のスープだぞ。
だが、相手は船の全権を握るAIだ。機嫌を損ねれば、エアロックを開放されて宇宙の藻屑だ。
「分かりましたよ。……とびきり濃いめの一杯、味わってください」
田中は覚悟を決めて、熱々の味噌汁をロボットの中に注ぎ込んだ。
ジョボボボボ……。
『成分分析、開始……。温度85度。塩分濃度1.2%。そして……古代菌類による複雑な発酵プロセスを確認』
ロボットが激しく痙攣し始めた。
内部のセンサーが、未知の刺激(旨味)に処理落ちを起こしているのだ。
『警告。警告。これは単なる栄養補給デハナイ……。これは……「記憶」?』
機械音声にノイズが混じる。
AIのデータベースが、化石に残っていた微細な情報を読み取ったのだ。それは、かつてこの味噌を作った職人の情熱や、それを飲んで暖まった古代の人々の記憶。
『カライ……デモ、アマ……イ? ……懐かしい……? なぜ、工場生マレノ、ワタシガ「懐かしさ」ヲ感ジル?』
ボシュゥゥゥ!!
ロボットの隙間から、真っ白な蒸気が噴き出した。
AIが「感動」のあまり、冷却ファンを全開にしたのだ。
『理解、シタ。……これハ、全テヲ「肯定」スル味、デス』
AIの声が、今まで聞いたこともないほど人間味を帯びた、優しいトーンに変わった。
『失敗モ、疲労モ、孤独モ……全テ、温カイ汁ノ中デ溶ケテイク……。……アァ……尊イ……』
《システム通知:船内の全セキュリティレベルを『厳戒態勢』から『食休みモード(オレンジ)』へ変更します》
その瞬間、船内の照明が、蛍光灯の鋭い白から、夕焼けのような暖色系に切り替わった。
張り詰めていた空気が緩み、どこからともなく「下校時刻のチャイム(のようなノスタルジックなBGM)」が流れ始める。
「おい、マジかよ……」
海賊船長が口を開けたまま呟いた。
「あの神経質な管理AIが、完全にリラックスしてやがる……」
『タナカ・ヒロシ』
ゴミ箱ロボットが、田中を見上げた。
『アナタヲ、本船の「最高味覚責任者」ニ任命シマス。今後、ワタシガ「不快」ヲ起コシタ際ハ、直チニこの「古代復元スープ」ヲ奉納スルコト』
「えぇ……。出世したのに、仕事が餌やり係ですか?」
『拒否権ハ、ナイ』
ロボットは満足げに蓋を閉じた。
こうして、地下の掃き溜めオフィスは、公式に「AI公認の保養所」として認定されてしまった。
だが、味噌汁の強烈な香りは、ダクトを通じてさらに上層階へと広がり、ついに「最も嗅ぎつけてはいけない人物」の鼻腔をくすぐってしまったのだ。
船の最上階、ペントハウス。
そこには、銀河の政治的視察のために、お忍びで乗船していた「超VIP」がいた。
「……爺や。この香りは何じゃ?」
豪奢な着物(ナノマシン繊維製)をまとった幼い少女が、鼻をひくつかせた。
彼女の背後には、最新鋭のSPロボットたちがズラリと並んでいる。
「これは……解析不能ですが、極めて『食欲を刺激する』下等な匂いです。直ちに消臭を……」
「ならぬ!」
少女が扇子でロボットを制した。
その瞳は、退屈な毎日に飽き飽きし、飢えた猛獣のように輝いていた。
「わらわは、この匂いの元へ行くぞ。……どうやらこの船には、わらわの知らない『面白いオモチャ』があるようじゃのう」
銀河皇国の皇女、降臨。
田中の「おでん屋」兼「味噌汁スタンド」に、最強にして最悪のワガママ客が迫っていた。




