魔物
「そんな……! 院長先生、そんなこと――!」
「分かっている」
ビンスフェルトは、苦しげに目を伏せる。
「エーレの言いたいことは、すべて分かっている……」
「だが……仕方がないんだ。
ハーピーの姿を、人間に見られてしまった以上は……」
「殺さなくても……!」
声が震える。
「他に方法が……!」
その言葉は、彼自身の胸にも突き刺さっていた。
だが――王を、説得しきれなかった。
――王宮にて。
「ハーピーはすぐに増える。そうじゃな、ビンスフェルト」
「左様でございます、陛下」
「儂もな、お前からハーピーの存在は聞いておらなんだ」
王は、冷ややかに言い放つ。
「知っておれば、即座に処刑を命じていたであろう」
「先王陛下には……異種族としか、申し上げておりませんでした」
「そうであろうな。父上とて我と同じ判断を下すであろうよ」
王は椅子に深く腰掛け、淡々と続ける。
「キャラバンの長が言うには……メスのハーピーだそうじゃな」
ビンスフェルトの背筋が、凍る。
「もし人との間に子を成せば、短い期間に三匹、四匹。
数年もあれば、一軍を作り上げることも可能……」
静かに、しかし確実に突きつけられる現実。
「……分かっておるであろう?」
それが分かっていたからこそ、ビンスフェルトは先王にも真実を告げなかった。
「……他にもいるまいな?」
「……おりませぬ。ハーピーは、ただ一人」
「なら話は簡単だ」
王は即断した。
「殺せ」
「…………」
「このままではな、父上に仕えてくれたお前を、国家反逆罪で処断せねばならぬ」
龍族、ハーピー、巨人、蟲使い――
先の大戦で脅威となった種族の比護は、すでに禁じられている。
「知らぬお前でもあるまい?」
「……左様でございます」
「一週間の猶予をやろう」
王は冷たく言い放つ。
「先日の狼の子と同じだ。余の前に、死体を持参せよ」
「さもなくば――」
その先は、言うまでもなかった。
「……承知致しました、王」
ビンスフェルトは深く頭を垂れる。
「必ず……お約束致します」
「院長先生……!」
「……私も抗った。だが、王と法の前では、我々はあまりに無力だったのだ」
ビンスフェルトは苦悶の表情で頭を抱える。その姿は、教え子に汚名を着せる卑怯者のようにも、運命に折れた弱者のようにも見えた。
「……オルギーを、殺せばいいのですね」
エーレの口から漏れたのは、あまりに平坦な声だった。 院長は何も答えず、ただ沈黙をもってそれを肯定した。
「わかりました、院長先生」
エーレは、考えることさえ放棄したかのように即答した。 ギアを死なせてしまったという底なしの罪悪感が、彼女の心の何処かを決定的に壊してしまったのかもしれない。 (……一度やったことを、もう一度繰り返すだけ。事故に見せかければ、誰も気づかない) 彼女の瞳から光が消え、冷徹な殺意が澱のように溜まっていく。
翌日からの二日間、孤児院には不気味なほど「普段通り」の時間が流れた。
そして三日目の夜。
鳥の便りが、平穏の終わりを告げる。
「明日、キャラバンが来るわ。冬の保存食と、追加の『干し肉』を持って」
夕食の席でエーレが告げたその言葉に、オルギーの肩がびくりと跳ねた。
――干し肉のキャラバン。
ギアの記憶が彼女の脳裏を濁流のように駆け巡る。
「……お願いね、オルギー。こないだみたいな事は絶対にしないで。院長先生も、あの件を収めるのに凄く苦労されたんだから」
エーレの言葉は一見、友を気遣う優しさに満ちていた。
「わかってる。約束するよ、エーレ……」
「そうだよ、オルギー。私からもお願い。危ないことはしないでね」
ジーラがたしなめるように重ね、ソファーに寝転んで本を読んでいたラグが冷淡に追い打ちをかける。
「君の行動には論理性が欠如している。ヒューマンを殴ったところで、ギアが生き返るわけでもない。部屋で大人しく本でも読んでいろ」
「ラグ、ジーラ……。ああ、わかったよ。こないだはアタシがどうかしてたんだ」
項垂れるオルギーは、毒気を抜かれたように大人しく見えた。
「それじゃ、明日の予定を。私は荷受けがあるから、オーフィンは終わったら倉庫の整理を手伝って。冬が来る前に備えなきゃ。いい? くれぐれもキャラバンには見られないように」
「わかりましたわ。終わったら声をかけてくださいね」
エーレは淀みなく指示を出していく。洗濯、掃除、畑の世話、防寒着の綿詰め……。
それは、明日の惨劇など露ほども感じさせない、家族の温かな風景だった。
その夜は、何事もなく更けていく。……はずだった。
翌朝、夜が明けるか明けないかの薄暗い静寂の中。
オルギーは誰にも告げず、弾かれたように孤児院を飛び出していった。
「オルギーが! オルギーがいないの!」
「どこへ行ったの……まさかキャラバンに向かったんじゃ……!」
「もうっ、昨日あれだけ言ったのに!」
孤児院の空気が一気にざわつく。
エーレは胸の奥が冷たくなるのを感じながら、必死に声を絞り出した。
「今からでも……間に合うかな」
「無理よ! オルギーは空を飛べるのよ!」
「……だからこそ、私が馬で行くわ。みんなは街道から離れて。絶対にキャラバンに見つからないように」
「仕方ないわね……お願いするわ、エーレ」
「私も行く! オルギーが心配なの!」
「ジーラはダメ。水に濡れたら人魚になっちゃうでしょ。見られたら終わりよ」
「……お願い、エーレ。オルギーを必ず連れて帰ってきて」
その言葉を聞いた瞬間――
バクン。
エーレの心臓が大きく跳ねた。
彼女は知っていた。
この先に何が待っているのかを。
「……うん。心配だよね」
目を逸らし、うつむくエーレにジーラが不安げに近づく。
「エーレ……?」
「あ、あたしも……気が動転してて。ごめんね、頼りなくて……ジーラ」
「そんな……私こそ何もできなくて……」
エーレは無理に笑顔を作り、馬に飛び乗った。
「行ってくる! 孤児院はお願いね!」
馬が土を蹴り、街道へと駆け出す。
キャラバンの足なら、今頃は大赤杉の分かれ道を越えたあたり――
そう計算したエーレの予想は的中した。
「ああお嬢ちゃんか!」
キャラバンの御者が声をあげる。
「孤児院のお嬢ちゃんじゃないか! 危ないよ、ここらはハーピーが出るからね!」
「……ハーピー、ですか。怖い……ですね」
「うちらの一つ前のキャラバンが襲われたって聞いてね。お嬢ちゃんも一緒だったんだろ?」
「は、はい……その時は逃げていったみたいで」
「だからさ、こっちも用意しておいたんだよ。護衛の兵士と。それに――ほら、ハーピー用の投げ網もな」
投げ網。
かつてヒューマンがハーピーを地に落とすために使った道具。
ドクン。
エーレの心臓がまた大きく脈打つ。
「……ハーピーは……来たんですか?」
「ああ。ほら、後ろの馬車に」
「…………!!!!」
エーレの視界が一瞬で暗くなる。
十字に組まれた丸太に、オルギーが縛り付けられていた。
腕も、脚も、羽も、太い縄で締め上げられ、動かぬように固定されている。
体のあちこちに建築用の太い釘が打ちつけられてそこから流れ落ちる血がポタポタと馬車の屋根を赤く染めていた。あの大きな美しい瞳には矢が刺さって、もう光を捕らえる事は無い。
「鳥は仲間の死骸を見ると近づかないって言うだろ? だからさ……ハーピー避けだよ」
男の声は、もうエーレには届いていなかった。
風が吹くたび、オルギーの羽がひらりと舞う。
美しかった黄色い翼は、もう原型を留めていない。
「……近くで……見てもいいですか」
「構わんが、まだ息があるかもしれん。噛みつかれるなよ、子供と言っても魔物だからな」
「……息が……ある!」
エーレは馬車に飛び乗り、十字架へ駆け寄った。
「ひどい……」
足元には乾いた血が黒くこびりつき、胸が締めつけられる。
視線を上げるのが怖かった。
「……え……れ……」
「!!!!」
「来て……くれたんだな……」
「オルギー! オルギー!」
エーレは柱ごと抱きしめた。
顔を上げると、オルギーの表情は痛々しく歪んでいた。
「そ……んな顔……するな……エレ……」
「でも……こんなの……!」
「ぶん……殴ってやった……ぜ……あの……野郎……」
弱々しく、右手を握ってみせる。
「……あたしは……もう……だめだ……皆に……よろしく……」
「ダメ! オルギー!」
「来て……くれて……ありがと……エレ……」
最後に、いつものように笑おうとした。
その瞬間、力が抜け、首が静かに垂れた。
「うわああああああああああ!」
「どうした嬢ちゃん! おい、引き離せ!」
「大丈夫か! ハーピーに何かされたのか!」
エーレはただ泣き続けるしかなかった。
キャラバンはエーレを孤児院に送り届け、
オルギーの遺体はビンスフェルトの申し出で引き取られた。
「こちらで埋葬します。……このまま放置するわけにもいきませんから」
「そうか。なら院長先生に任せるよ」
十字架ごと降ろされたオルギーを、
エーレとビンスフェルトは静かに棺へ納めた。
孤児院の子どもたちは皆、涙を流しながらオルギーの死を悼んだ。
「なんで……こんなことに……」
「昨日、あれほど約束したばかりじゃありませんの……」
「オルギー……オルギー……うわああああああん!」
エーレは声が枯れるまで泣き続けた。
その姿を、誰も止められなかった。
やがて、ビンスフェルトが静かに口を開く。
「ラグとテンペリスが起きたら……皆でお別れをしよう。亡骸は王都のギアと同じ場所に埋葬してもらう。勝手に埋葬することは許されていない」
「……わかりました、院長先生」
その夜、孤児院の子どもたちはオルギーの棺を囲み、静かに別れを惜しんだ。
「また君は……バカなことをして。」
パタンと本を閉じるラグ。
「部屋で大人しく本を読んでいろと言ったのに……いなくなって寂しいよ、オルギー」
普段は冷淡なラグの声も震えていた。
「…………」
テンペリスの鋭い視線が、そっとエーレを刺す。
しかし、その違和感に気づく者は誰もいなかった。
翌朝。
まだ薄暗い空の下、ビンスフェルトはオルギーの棺を馬車に積み込んだ。
「……行ってくる」
その背中は、いつもよりずっと重く、孤独だった。
馬車はゆっくりと動き出し、王都へ向けて走り去っていった。
エーレはただ、遠ざかる車輪の音を聞きながら、胸の奥が締めつけられるのを感じていた。




