オルギー
ビンスフェルトがギアの亡骸を馬車に積んで王都へと去った後、孤児院には残された六人だけがぽつんと残された。
「なんで……ギアが!あの食いしん坊が……!」
オルギーの声は怒りと悲しみで震えていた。小さな体が震えるほどに、憤りを抑えきれない。
「許せない……毒の肉をぶら下げた人間ども……!」
ハーピーの羽をばたつかせながら、オルギーは拳を強く握りしめた。
「でも……ギアが兵士を殺してしまったのは、院長先生が説明してくれた通りでしょう?」
オーフィンは冷静に言う。八本の脚を揺らしながらも、心の中で現実を整理しようとしているのがわかる。
「だからって……子供のしたことじゃないか!あの子から先に手を出すなんて、ありえないよ!」
オルギーの声は涙で嗄れ、床に転がる小さな手が震えていた。
「ラグは……悔しくないの?ギアがこんなことになって、突然お別れなんて!」
オルギーの問いかけに、ラグは肩をすくめ、目にうっすらと影を落とした。
「ボクとテンペリスは……命の無いただの容れ物だからね。ギアがいなくて寂しいとは思うけど、人はいつか死ぬものさ……でも、子犬みたいに可愛い子だったから、残念だとは思うよ」
「そんな……そんな言い方……!」
オルギーは怒りと悲しみを爆発させ、声を荒げた。涙が羽の間を伝って落ちる。
オーフィンはため息をつき、床に伏せるオルギーの背中をそっと撫でた。
「仕方ない……でも、ギアは……きっと、今は苦しくないわよ」
と、静かに慰める声を漏らす。
孤児院の森に、しばらく静かな哀しみが漂った。いつもなら賑やかに笑い声が響く広場も、今日は重く沈んでいた。
「私が仇を取るんだから! ギアを殺した奴を、この手で――!」
オルギーの瞳は燃えるように赤く、胸の内の怒りが迸っていた。ギアを抱きしめて眠った夜々のこと、ふわふわの毛並みに顔を埋めた記憶、そしてあの無邪気な笑顔――すべてが脳裏に蘇る。
「オルギー、落ち着いて……これ以上、院長先生に迷惑をかけるつもり?」
オーフィンの冷静な声が、森の空気を切るように響く。
「そうよ、オルギー。確かに悔しいけれど、先にギアが兵士を――だからって……」
ジーラも優しく諭す。二人の声は、怒りに震えるハーピーの少女を少しずつ鎮める。
「エーレ! お前もそう思ってるのか!」
ドキッ――胸の奥が、まるで凍りついたかのように固まる。
エーレの心臓はバクバクと跳ね、呼吸は浅く乱れた。
ギアの死……あの愛しい弟を抱きしめていた温もり……すべてが胸に突き刺さる。
しかし、誰よりも彼女は知っている。
この悲劇の引き金を引いたのは、自分自身の手だったことを。
「……」
オルギーの鋭い問いかけが、何度も胸を打つ。
「エーレ!」
言葉に詰まり、エーレはただ俯き、涙をこぼす。仲間を、愛する弟を殺してしまった罪悪感が、心の中で渦巻き、鼓動をさらに速くさせる。
時間が止まったような森の中で、エーレはただ泣くことしかできなかった――。
翌日――
「院長先生も町に行っておりますので、今日はギアの喪に服しましょう。食事は私が用意します。皆は部屋にいてください」
オーフィンの声は冷静で、いつも通りの指示口調ながら、その目には哀しみが滲んでいた。
部屋ごとに配られたギアの尻尾の毛。ひと房ずつ、ヒモで丁寧に結ばれている――。
エーレは罪悪感に押しつぶされるように、他のメンバーと目を合わせることができなかった。まだ心の整理はつかない。
彼女はそっとギアの部屋に入り、抱きしめるように泣き崩れた。
それから三日が経ち、少しずつ日常が戻り始めた矢先――
「明日、町から荷物が届きます」
鳥の知らせが、馬車の到来を告げる。先日、ビンスフェルトがジャガイモと小麦粉を追加注文していた分だ。
「……く! ギアの仇が来るのか!」
オルギーの拳が自然に震える。
「落ち着いて、オルギー。私たちが手を出さなければ、相手も何もしないわ」
ジーラの声は冷静で、理性を取り戻させる鎮めの言葉だった。
「うるさいジーラ! 一発ぶんなぐってやりたいんだ! ギアの仇だ!」
怒りが全身から滲み出るオルギー。
「駄目よ、院長先生に迷惑をかけることになるでしょ。絶対に我慢して!」
オーフィンもジーラの横で強く諭す。
「くそ! くそお……!」
「エーレ、この子を見ていて」
ジーラの言葉には、揺るぎない正しさがあった。
薪割りの乾いた音が森に響く中、事件は唐突に起きた。
いつもなら荷物の受け取りはヒューマンであるエーレの役目。
だが、この日に限っては、部屋で大人しくしているはずのオルギーが――怒りに任せて姿を現してしまった。
「てめぇら……ギアに何しやがった! あの子に毒なんて飲ませやがって!」
怒号とともに現れたその影を見て、御者たちは息を呑む。
そこに立っていたのは――
先の異種族戦争で“絶滅したはず”のハーピー。
戦時中、自由に空を駆けるハーピー軍はヒューマンにとって最悪の天敵だった。
何千もの兵士、女、子供が空へさらわれ、そのまま彼らの餌となった。
行軍の途中で見た、木の高い枝に突き刺された人間の死体。
乾燥させて肉を保存する、ハーピー特有の“はやにえ”。
それは王国兵にとって、恐怖そのものだった。
群れで襲い、女子供や老人をさらい、山奥へと運び去る。
討伐隊を組んでも、知恵と翼を持つ彼らは森を何十倍もの速度で飛び去り、追跡はほぼ不可能。
“最も討伐に手を焼いた魔物”――それがハーピーだった。
そんな存在が、人間しかいないはずの孤児院に突然現れたのだ。
キャラバン隊は、恐怖のあまり大混乱に陥った。
「ハ、ハーピーだっ!」
「なんでこんな所に……!? 喰われるぞ!」
「誰か助けてくれぇ!」
キャラバンの中が一瞬で阿鼻叫喚に包まれる。
エーレは慌てて両手を広げ、必死に叫んだ。
「落ち着いて!この子は危険じゃないから! オルギー、お願い、部屋に戻って!」
だが、当の本人は怒りで羽を逆立てていた。
「五月蠅い!エーレ! 一発殴らなきゃ気が済まない!」
次の瞬間、オルギーは空へ跳ね上がり、鋭い風切り音を残して急降下した。
狙いはキャラバンの中で最も偉そうな商人――。
ドゴッ!
「ギアの恨みだ! 思い知れ、この人間ども!」
「オルギー!」
エーレの叫びも届かない。
商人は尻もちをつき、顔を真っ青にして震えながら怒鳴った。
「こ、このバケモノめ……! 王都に報告してやるからな!」
エーレは放心したまま、ただ事態を見つめるしかなかった。
「……お願いだから……部屋へ戻って……オルギー……」
その声は震え、涙が混じっていた。
キャラバンは荷物だけを慌てて降ろすと、逃げるように街へと戻っていった。
ツカツカと、迷いのない足取りでエーレはオルギーの前に立った。
次の瞬間――乾いた音が森に響く。
パァン。
平手が、オルギーの頬を打った。
「オルギーの……バカ!」
怒鳴り声は、震えていなかった。
それが、逆に怖かった。
「なんで出て来るのよ! なんで姿を見せたの!」
「だってさ!」
オルギーも叫び返す。
「ギアの仇だぞ! 死んだんだぞ! 一発くらい――!」
「あの人が殺したわけじゃないでしょう!」
エーレの声が、刃のように鋭くなる。
「前に来た商人とは別の人よ! 別の馬車、別の御者、別の兵士!
それくらい、なんで分からないの!」
普段のエーレからは考えられないほど、鬼気迫る表情だった。
オルギーは思わず一歩、後ずさる。
「う……そ、そう……なのか……」
翼が力なく垂れ下がる。
「……すまない、エーレ」
ようやく、怒りの熱が冷めてきたのか。
オルギーの声は小さく、弱々しかった。
「……とにかく」
エーレは深く息を吸い、言葉を整える。
「院長先生に報告する。今後のことは、全部先生の判断に任せるしかないわ」
オルギーを、まっすぐに見つめる。
「オルギーは部屋に戻って。静かにしていて。……約束よ」
「……わかった」
オルギーは俯き、頷いた。
「アタシが悪かった。ごめん、エーレ……」
事態は、もはや子供たちだけでどうにかできる段階ではなかった。
すべては――ビンスフェルトの決断に委ねられた。
王との、二度目の談判。
その果てに、彼が孤児院へ戻ってきたのは五日後のことだった。
その夜――
エーレは、再び院長室へと呼び出された。
「エーレ……」
「……院長先生」
沈黙が、重く落ちる。
岩のように固く閉ざされたビンスフェルトの口が、ゆっくりと開いた。
「……オルギーを……殺してくれ……」
「――――っ!!」
言葉が、エーレの胸を貫いた。




