ギア
一方そのころ、森の奥――
薪拾いに出ていたのは、三人組だった。
ワーウルフの少年・ギア。
アラクネの少女・オーフィン。
そして、空を舞うハーピーのオルギー。
「じゃあさ! 僕とオルギーで木を集めるから、オーフィンはここで縛ってまとめといてよ!」
ギアは尻尾を揺らしながら、元気いっぱいに手を振る。
その様子に、オルギーも羽をぱたぱたと鳴らして頷いた。
「了解! 運ぶのは任せて!」
「かしこまりましたわ」
オーフィンはにこやかに応じると、スカートの裾を軽くたくし上げ、落ち葉を払う。
その仕草は森の中でもどこか上品で、彼女らしい。
「それでは、この広場をきれいに整えておきますわね。お二人とも、どうぞよろしくお願いいたします」
丁寧な口調に対して、ギアはにっと笑った。
「うん! すぐ戻るからさ!」
こうして三人は、それぞれの役目へと散っていく。
森の中に、斧の音と羽ばたき、そして木々のざわめきが溶け込んでいった。
「ギア、あんまり遠くまで行っちゃだめよ。この前だって、迷子になったばかりじゃない」
念を押すオーフィンの視線は鋭い。
年下を気遣うというより、責任者としてのそれだった。
「し、仕方ないだろ!」
ギアは慌てて言い返し、胸を張る。
「あの時はゾゾルジ虫の巣をつついちゃってさ! 臭いで鼻が利かなくなったんだ! 今日はもう大丈夫!」
言い切るものの、その声にはわずかな不安が混じっている。
「……そう」
オーフィンはそれ以上追及せず、静かに頷いた。
「それじゃあ私は向こうの枯れ木林を探すわ。ギアは、この周辺をお願いね」
「わかったぞ!」
元気よく返事をすると同時に、オルギーが軽く羽ばたいた。
ハーピーの血を引く彼女は、子どもながら短い距離であれば、ふわりと宙に身を浮かせることができる。
枝を見つけては、舞い降りる。
また羽ばたいて、次の枝へ。
その姿は軽やかで、森の中に溶け込むようだった。
まるで――森に住まう小さな精霊のように。
山の裾野に広がる枯れ木林。
ここに倒れている木々はよく乾いていて、火付きもいい。なにより孤児院から近く、往復が早い――だからここは、オルギーの担当だった。
「今日はちょっと高く飛んでみようっと!」
そう呟くと、彼女は大地を力強く蹴った。
両腕を大きく羽ばたかせると、身体がふわりと浮き上がる。
ぐん、と高度が上がり、森の広場がみるみる小さくなっていく。
風を切る音が耳元を流れ、胸がすうっと軽くなった。
「……町だ……」
思わず声が漏れる。
はるか遠く、地平線の向こうに、ぼんやりとした輪郭が見えた。
もちろん、あれは本当の町ではない。
馬車で丸一日かかる距離だ。さすがのオルギーの翼でも、ひとっ飛びで辿り着けるはずがない。
実際に見えているのは、町の手前にある小さな村。
だが、森と村の間には厳重な関所があり――
院長ビンスフェルトと一緒でなければ、
この森の外へ出ることは許されていなかった。
「いいなあ、行ってみたいなあ……」
かすむ町の影を見つめているうちに、腕の羽にじわりとした重みが広がってくる。
風に乗っていた身体が、少しずつ言うことをきかなくなってきた。
「危ない危ない……早く枯れ木林に降りなきゃ」
そう呟いた瞬間、オルギーは翼を畳み、急降下に入った。
ビューッ――
風を切り裂く音が耳元を駆け抜ける。
乾いた枝を踏む、軽い音。
次の瞬間、彼女は枯れ木林の地面に無事降り立っていた。
ふう、と息をつき、翼を小さく震わせる。
空はまだ恋しかったが――今は、ここが彼女の居場所だった。
「うわっ、持ちきれないぞ!」
広場へ駆け戻ってきたギアは、腕いっぱいに抱えていた薪を、文字通り山のように――
ドサリ、と勢いよく地面へ放り出した。
その衝撃で、乾いた枯葉がふわりと舞い上がる。
「あなたねぇ……もう少し気を使ってくれませんこと?」
呆れを含んだ、しかしどこか棘のある声。
振り返れば、八本の脚をゆらりと動かしながら、オーフィンがそこに立っていた。
「長さはバラバラ、曲がった枝ばかり……これでは薪として使えませんわよ」
細い指で一本つまみ上げ、ため息をつく。
「えー? 燃えりゃ一緒だろ?」
「まったく……あなたはいつもそれですわ」
オーフィンは小さく首を振りながらも、文句を言いつつ器用に糸を吐き、使える枝と使えない枝を手早く分け始めた。
そんな様子を見て、ギアは頭をかきながら、へへっと笑う。
「さすがオーフィンだな。やっぱ頼りになるや」
「……褒めても何も出ませんわよ?」
そう言いながらも、その口元はわずかに緩んでいた。
「そうか? 悪い悪い。次から気を付ける!」
ヘラリと気の抜けた笑みを浮かべて答えるギアに、
オーフィンは思わず深いため息をこぼした。
「ハァ……あなた、いつもそうおっしゃいますけれど。前にもまったく同じことを聞いた気がしますわよ?」
呆れ口調で小言を並べながらも、その声音にはどこか棘が足りない。
「本当に……無防備で、不躾で……」
言葉とは裏腹に、彼女の表情は柔らかかった。
そして、ゆらりと動いた一本の脚が、そっとギアの頭に伸びる。
ぽん、と軽く触れ――
そのまま、子どもをあやすように、優しく撫でてやった。
「……もう少し、自分を大切になさい」
「へへ……?」
訳も分からず目を細めるギアに、オーフィンは視線を逸らす。
「勘違いしないでくださいまし。ただの監督役ですわ」
そう言いながら、撫でる動きだけは止めなかった。
「俺、撫でられるの好きだぞ! もっと持って来る!」
頭を撫でられた余韻がよほど嬉しかったのか、ギアは尻尾まで振りそうな勢いで叫んだ。
その顔は満面の笑み。完全にご機嫌である。
「ちょ、ちょっと――待ちなさい!」
慌てて声を張り上げるオーフィン。
「森の外に出てはダメですわよ! それに、ヒューマンに見つかるのも絶対に禁止ですからね! いいですわね、早く戻ってきなさい!」
「わかった!」
返事だけはやたらと良い。
そう思った瞬間にはもう、ギアは駆け出していた。
まるで枝を投げられた犬のように、一直線。
その背中は、あっという間に森の緑に溶け込み、視界から消えていく。
「……本当に、解っているのかしら。あの子は……」
ぽつりと漏れた独り言に、答える者はいない。
不安がないわけではないが――それも、いつものことだ。
オーフィンは小さく息をつくと、気持ちを切り替えるように視線を足元へ落とした。
そこには、ギアが運んできた不揃いな薪の山。
「まったく……」
スパスパ、と鋭い動きで脚の刃を振るい、曲がった枝を適切な長さへと切り揃えていく。
続いて、お尻から白い糸を引き出すと、くるくると器用に巻き付け、きちんと一束にまとめた。
無駄のない、手慣れた作業。
オーフィンは、いつも通りの仕事へと戻っていった。
「ハッハッハッ!」
子犬のように、薪拾いへとすっ飛んでいったギア。
森を駆けるその足取りは軽く、鼻歌まで聞こえてきそうな勢いだった。
――だが、その途中。
ふっと、鼻先をくすぐる匂いが混じった。
「……ん?」
立ち止まり、くんくんと鼻を鳴らす。
薪や土とは違う、どこか重たく、鼻の奥に残る匂い。
「なんだ? この匂い……」
次の瞬間、ギアの目が輝いた。
「院長先生の馬車とは違う……油の匂いだ! きっと、町からの荷物の馬車だ!」
――薪拾いの仕事?
そんなものは、頭の中から一瞬で吹き飛んだ。
さながら、新しいオモチャを見つけた子犬のように。
ギアは四つ足になり、地面を蹴った。
風を切り、枝を跳ね、一直線に――街道へ。
彼に悪気は一切なかった。
怖がらせようという意図も、近づいてはいけないという意識もない。
ただ純粋な好奇心に突き動かされただけだった。
――しかし。
馬車を操る御者の目に映ったものは、まったく違う。
街道脇の森から現れた、四つ足で疾走する影。
銀色に光る毛並み。
しなやかで、獣そのものの背中。
「――狼!?」
御者が息を呑んだ、その瞬間。
馬車を引く馬が、本能的に危険を察知した。
耳を伏せ、目を見開き、恐怖に満ちた嘶きを上げる。
ヒヒィィィン――ッ!
制御を失いかけた馬車が、大きく揺れた。
「ヒヒヒヒン!!!」
馬が甲高く嘶き、馬車が大きく揺れて――ガタン、と急停止した。
御者は手綱を引き絞りながら、顔色を失って叫ぶ。
「お、狼だ! 兵隊さん! 殺しておくれ!」
その声に応じるように、荷台の扉が勢いよく開いた。
ガチャリ――
嫌な金属音を立てて、二人の兵士が飛び降りる。
「……!」
ギィ、と不気味な軋み音。
ボウガンが構えられ、冷たい矢尻がこちらを向いた。
――危険だ。
そう感じた瞬間、矢が放たれる。
ギアは反射的に地面を蹴り、一射目を紙一重でかわした。
「な、なんで!?」
喉から、困惑と恐怖が入り混じった叫びが飛び出す。
「何もしてないのに! どうして攻撃するんだよ!」
だが、その声は馬のいななきと怒号にかき消され、誰の耳にも届かない。
「死ね! 犬コロ!」
吐き捨てるような罵声。
槍を構えた兵士が、一直線に突っ込んでくる。
同時に、もう一人の兵士が二射目のボウガンをつがえた。
「やめろ! 来るな! なんなんだよ、お前!」
理不尽な殺意。
逃げ場のない恐怖。
その瞬間――ギアの中で、何かが弾けた。
理性が、音を立てて崩れる。
次の瞬間。
――目にも止まらぬ速さで。
銀色の影が閃き、鋭い爪が振るわれた。
ザシュッ。
槍を持った兵士の首元が、深く切り裂かれる。
「――っ」
言葉にならない声を漏らし、兵士はその場に崩れ落ちた。
ドサリ。
重い音。
ドクドクと地面に広がる鮮血。
赤い匂いが、空気を満たす。
それは、ギアの胸奥に眠っていた“闘争本能”に、決定的な火を点けてしまった。




