ラグ
エーレが目を覚ましたのは、翌日の昼だった。
「目を覚ましたかい? エーレ」
聞き慣れた声に、エーレはぱっと身を起こす。
「ラグ! 無事だったの!」
「おっと、窓は開けないでおくれよ。僕が昼間に起きているなんて、リスク以外の何物でもないんだから」
「……そう。ごめんなさい」
その言葉をきっかけに、昨日の出来事が一気に胸に押し寄せた。
「ジーラが……オーフィンが……」
声が震え、次の瞬間には涙があふれていた。
「二人は……残念だった。本当に、とても気のいい二人だったのに」
ラグの静かな言葉が、逆にエーレの心を締めつける。
「うわあああああん!」
エーレは堪えきれず、ラグに抱きついて泣き出した。
ラグは驚いたように目を瞬かせたが、すぐにそっと腕を回して支える。
部屋のデスクの上には――
オーフィンが託した糸の束と、
ジーラの涙が宝石のように光を返していた。
その輝きは、まるで二人がまだそばにいるかのようで、
エーレの涙は止まらなかった。
「とうとう僕たち3人だけになってしまった、僕と、妹と、君だ」
「院長先生は?無事?」
「ああ、院長先生も無事だよ。生け簀の魚と鳥小屋の雛に餌をあげているよ。」
「テンペリスは?」
「昼間だから寝ているよ、彼女はいつも怠惰だからね」
「そう、本当にありがとうラグ。あなたが来てくれなかったら私も捕まっていたかもしれない」
「そうだね、僕が先に到着していればジーラの命をスグに断って君達をあのドームの手前で止めていただろう。本当にすまない」
何だろう、ラグの言い方が引っかかる。
「とても寂しいんだ、ギアもオルギーもジーラも……オーフィンもいなくなってしまった。仲間だと思っていたのに、ずっと一緒だと思っていたのに。」
見た目は子供のラグだ、実年齢はビンスフェルト院長よりももっと上だと聞いた事があるだけにこの頼り無げな彼の言葉からは不自然さを感じた。
「本当に家族だと思っていたよ、みんな。エーレお姉ちゃんもそうでしょう?」
「うん、そうだねラグ」
今まで座っていたソファのへりからエーレのベッドに座る。
「お願いがあるんだ、エーレお姉ちゃん」
「何?どうしたの?ラグ」
「僕の寂しさを埋めて欲しいんだ、エーレに」
「私だって寂しいわ、これからは3人で力をあわせて……」
「違うんだ、エーレ」
ベッドに近寄るとエーレを抱きしめた。
子供の姿なのに物凄い力だ、ヴァンパイアの血が為せる業なのか。
「血を……吸いたいの……?必要なの?ラグ」
「うん、そのうちにね。でも今は我慢ができないんだ、寂しいんだ!ぽっかりと穴が開いているんだ!」
そう言うと、エーレの来ていた服をビリっと破いた。
「キャー!ラグ!あなた!」
「もうジーラはいないんだ!オルギーも!オーフィンも!ボクを満たしてくれる人がいないなんてこんな場所!」
「ラグ!気をしっかりもって!」
今までの様子が嘘のように落ち着いたラグ、さっきまで荒ぶっていたのは演技だったのか?
「今はエーレしかいないんだ、兄妹で血が混じると僕たちは二人とも死んでしまうからね」
「ラグ……あなた……みんなと……」
「ああそうさ!ずっと前からジーラも!オルギーも、オーフィンですら僕を受け入れてくれた!」
「だからエーレも!お願いだよ!お姉ちゃん!寂しいんだ!助けてよ!」
「そんな……みんな」
ラグの小さな手の平がエーレの胸を掴む、片手で腰を抱かれている為身動きが取れない。
「駄目!ラグ!ちょっと……あなた!!!」
「お姉ちゃん!」
エーレの胸に牙を立てるラグ。
ジュル……ジュルル……
血を吸われているのが解る、頭が痺れて何も考えられない。
「そう、お姉ちゃん。力を抜いて、僕に任せていればいい。」
乳房から口を離し、血まみれの口をエーレの唇に押し付ける。
「駄目……!ラグ……お願いだから……!」
必死で抵抗するエーレ。
「酷いよ……ラグ……こんな時に……」
「動けないでしょう、お姉ちゃん。ごめんね、無理矢理したみたいで」
薄れて行く意識の中で何かが弾けて消える。
「いいよね?お姉ちゃん?」
ニッコリと、いつもと変わらない日向の匂いがするヴァンパイアがエーレに覆いかぶさる。
身体も頭も痺れ、身動き一つ取れない。
「もう……いいかな……みんな……」
しかし、何の気無しに振った左手が奇跡を起こす。
だらんと手を降ろした振動でほんの少し、カーテンにほんの数ミリの隙間が出来た。
カーテンの隙間から入った光が、人魚の涙に反射してラグの顔に命中したのである。
ジュウウウウウ!
「うあああああ!何で!何が!」
両手で顔を抑える、一瞬ではあったが顔に重度の火傷を負って血を流していた。
「お姉ちゃん!何をするの!ボクと一つになってよ!」
「ラグ!ダメよ、それ以上言ったら私……!」
「お姉ちゃん!エーレええええええ!」
「駄目ええええ!」
次の瞬間、エーレはカーテンを全開にしていた。
……ブス……ゴオオオ!
「あああああああああああ!」
ラグの身体から炎が上がっている。
「燃える!お姉ちゃん!苦しい!熱い!イタイよぉ!!!!」
へたっとベッドの上に座り込むエーレ。
目の前で繰り広げられるあまりの惨劇に放心していた。
「お姉ちゃん!熱い!熱いよ!助けて!エーレお姉ちゃん!」
ほんの数秒だろうか?ラグは太陽の光を浴び、その場で塵と化していた。
「何が……起きたの……?」
呆然とするエーレ。
するとドアの向こうから氷のような冷たい視線がエーレを貫いていた。
「とうとうお兄様も殺したのね。」
日の当たらぬ廊下に立ってこちらを見ていたのはテンペリスだった。




