森駅と、いかめしの温度
列車が走る道のりは、景色だけでなく味覚も連れてくる。
函館を離れ、森駅に降り立つと、そこには駅弁「いかめし」の香りが待っていた。
ただの食べ物ではなく、その土地の歴史と人のぬくもりが詰まった味。
ひとり旅の午後、静かな駅のベンチで口にしたその味が、心をふっと解きほぐしてくれる。
これは、駅弁を通して感じる、旅の温度の物語。
函館から普通列車に揺られて、およそ1時間。
車窓の景色は、少しずつ観光地の華やかさを手放して、ありふれた田舎の風景に変わっていった。
森駅。
小さなホームに降り立った瞬間、潮の匂いと一緒に、ふいにお腹が鳴った。
空はどこまでも広く、風の音しか聞こえない。
列車が去ると、駅舎はまるで時間から取り残されたように静かだった。
それでも、改札を抜けたそのとき――ほのかに漂ってくる甘じょっぱい香りに、思わず足が止まる。
いかめし。
この森駅は、駅弁「いかめし」発祥の地。
聞いたことはあった。けれど、本物を手にするのは、初めてだった。
小さな売店のガラスケースの中に、包み紙でくるまれた弁当がいくつか並んでいる。
文字は手書きで「いかめし 二個入り 税込650円」。
無愛想なほどに飾り気がないけれど、その素朴さが逆に心を惹いた。
「……ひとつください」
無口なおばちゃんが、黙って弁当を渡してくれる。
あたたかさが、手のひらから伝わってきた。
駅前のベンチに腰を下ろし、包み紙を丁寧にほどく。
中には、つややかなイカが二尾、静かに並んでいた。
まるで海の宝石のようだった。
箸で切ると、中からもち米が顔をのぞかせる。
ひと口食べれば、もちもちとした歯ごたえと、イカのうまみ、醤油の甘さが一体になって広がる。
「……うまっ」
思わず声に出た。誰もいないから、なおさら気が抜けた。
冷たい風の中で食べる、ほかほかのいかめし。
それはただの駅弁じゃなかった。
きっとこの街の人たちが、時間をかけて守ってきた“味”なのだとわかる。
旅というのは、不思議なものだ。
何かを「見に行く」つもりで出かけて、結局「感じる」ことのほうが多い。
僕は、最後のひと口をゆっくりと噛み締めながら、心の中にそっとこの風景をしまった。
森駅の午後は、少し塩気のある、やさしい味がした。