朝の函館にて -生絞りメロンジュースの誘惑-
夜を越えて、列車は北の地にたどり着く。
揺れる車内、眠れぬまま過ごした時間。
暗闇の中で出会った誰かの声と、ひとつの約束のような朝。
高校生の“ひとり旅”が始まったのは、まだ街が目覚めきらない函館の駅だった。
潮風と空腹に誘われて歩いた朝市――
そこで見つけたのは、ひんやり冷えたメロンジュースと、ほんの少しの幸福。
これは、旅のはじまりを喉で感じた、静かで甘い朝の記憶。
北海道の夏の朝に、そっと触れてみてください。
列車が止まるたびに身体がゆれ、うとうとしては目を覚ます。
夜行列車の眠りは浅く、でも嫌いじゃない。車輪の音が遠くで鳴っているのを聞きながら、夢とも現実ともつかない時間を彷徨っていた。
「……まもなく、函館です。お降りの方はお忘れ物のないよう……」
車内アナウンスが響き、僕は目をこすりながらゆっくりと起き上がった。
窓の外は、まだ夜と朝の間――空は薄青く、街の灯がまばらに残っている。
急行「はまなす」は札幌まで向かうけれど、僕はここで降りる。
この旅の第一歩は、北の玄関口・函館だ。
ホームに降り立つと、ひんやりとした空気が肌に心地よかった。
夜行列車の車内とは違う、澄んだ朝の匂いが胸いっぱいに広がる。
眠気よりも、空腹のほうが強くなっていた。
そういえば昨夜、あのおじさんとお茶と乾き物を少しつまんだだけだったっけ。
重たいリュックを背負いながら、僕は駅のすぐ近くにある函館朝市へと足を向けた。
あたりはすでににぎわっていた。まだ朝の5時台だというのに、威勢のいい声が飛び交い、海鮮や果物の匂いが通りに充満している。
歩いていると、不意に視界の隅に飛び込んできた看板があった。
「生絞りメロンジュース 500円」
目の前に積まれた氷の山。その中に並ぶ、オレンジ色の果肉がまぶしい夕張メロンの半玉たち。
そこにストローが刺さっているだけなのに、やけに美味そうに見えた。
汗ばんだ首筋、渇いた喉、そして朝の空気――すべてがこの一杯を求めていた。
「……うまそう」
気づけば、自然と財布を取り出していた。
「はいよお兄ちゃん、今日の朝一番! よーく冷えてるよ!」
店のおばちゃんが、慣れた手つきでメロンを半分に切り、ジューサーにかけていく。
ぐるぐると砕ける音と、果汁が溜まっていく様子に、僕は目を奪われていた。
手渡された透明なカップ。ほんのりと曇ったその表面に、北海道の朝が詰まっている気がした。
僕は一口、吸い込んだ。
……甘い。
ただ甘いんじゃない。冷たくて、澄んでいて、自然なまろやかさ。
身体の芯まで染みわたるような、その味に、思わず「うまっ」と声が漏れた。
「でしょ~?」と笑うおばちゃんの声が、なんだか妙にうれしかった。
この一杯を飲んで、やっと自分が「旅をしている」ことを本当の意味で実感した気がした。
あの夜行列車の中の静けさも、おじさんの話も、ぜんぶがこの朝につながっていたのかもしれない。
飲み終えたカップを片手に、僕はもう一度深呼吸した。
函館の朝は、眩しく、静かで、そしてとても美味しかった。