礼文島の花と、まだ知らない君のこと
夜の列車は、昼間には見えなかったものを浮かび上がらせる。
静かな揺れの中、旅の疲れとともに、誰かの言葉が心に染み込んでくる。
札幌から北へ向かう夜行急行「利尻」。
隣に座ったのは、再び巡り会ったあの少女だった。
彼女が語る礼文島の花の話に、心の奥で何かがそっと芽吹く。
旅の終わりか、それとも始まりか――そんな境目に、今、僕は座っている。
急行「利尻」は静かに札幌駅を出発し、夜の北海道を北へと滑っていく。
車内の灯りは柔らかく、乗客の会話もまばらで、列車そのものがまるで夢の中を走っているようだった。
隣の席、彼女は大きく息をついたあと、少し口元をゆるめて僕に話しかけてきた。
「礼文島には、ずっと憧れてたんだ」
僕は彼女の横顔を見る。
窓の外、街の灯が遠ざかるのを見ながら、彼女の声だけがこの車内でやけに鮮明に響いていた。
「どんなところなんだろう」
僕が問うと、彼女は少し目を細めた。
「日本でいちばん北の離島。
でもね、寒々しい場所じゃない。春から夏になると、島じゅうが花で覆われるの。
レブンアツモリソウっていう花があって、すごく小さくて可憐なんだけど、そこにしか咲かないんだって」
そう言って、スマートフォンの写真を見せてくれた。
そこには青い空と、緑の草原のなかで静かに咲く花々の姿があった。
「まるで、北の楽園みたいだな……」
僕は素直にそう呟いた。
彼女は少し笑ったあと、こう言った。
「たぶん、どこに行っても“誰と見るか”で景色って変わるんだよ」
僕はその言葉に、何か強く胸を突かれるものを感じた。
列車は深夜の天塩川を越え、名寄を過ぎ、北の果てへと進んでいく。
彼女はいつの間にか眠りにつき、静かな寝息を立てていた。
窓の外には、うっすらと朝の気配が見えはじめていた。
もうすぐ、宗谷本線の終着駅――稚内に着く。
僕は静かに目を閉じた。
礼文島。北の島。
そして、隣に座る彼女のことが、次第に心の中で大きくなっていく。
旅はまだ終わらない。
むしろ、ここから始まる気がしていた。