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あなたのブルーに染まりたかった

作者: 三千

この城は広大な湖の中に建っている。

湖の南側、土と石でできた砂浜から続く、湖の中を横断する道を進むと、その城の門へと続いている。

大きな建物はまるで、湖の中にそびえ立つ、要塞のような外観だ。

大国リンデンバウムの国を統治する王は、今でもこの城に住んでいる。王は対立国にあった隣国と、友好関係を結び、貿易を活発化させ、国を平和へと導いた。

そして、その平和な時代のある年、王妃が男の赤ん坊を産んだ。

その名はジョシュア。

「ジョシュアさま、私のこの攻撃を交わせますか?」

アリアナが棒切れを構える。それを幼さの残るジョシュアが迎え撃とうと、木製の剣を振り回した。

「アリアナなんかこの剣で倒してやる!」

背の高いアリアナがジョシュアの真上から、棒切れを縦に振った。それを、木製の剣でパンっと跳ね返す。

だが、7つ歳上のアリアナが有利には違いない。何度も剣を交えているうちに剣を弾かれ、ジョシュアが丸腰になってしまった。

「勝負はつきましたね」

棒切れを下ろしたアリアナが勝ち誇ったように言う。

「くそっ! くそっ! まだ勝負はついてないっ!」

ジョシュアがアリアナへと走り向かい、そしてドンとタックルした。

二人は転がり、そして抱き合い回りながら、広場の端の草むらに突っ込んでいった。

「まだだ、勝負はこれからだ」

がばっとジョシュアが上半身を起こす。だが、いつも俊敏なアリアナの反応が薄い。

「……おい、アリアナ?」

よく見るとアリアナは目を瞑り、くたりと顔を横にしていた。

「アリアナ、どうした? アリアナ!」

両肩を揺する。だが、返事はなく、目も開かない。

ひゅと、ジョシュアは息をのんだ。頭の打ちどころが悪かったのかも知れない。頬に触れると、ぴくっとまぶたが震えた。

「アリアナ、大丈夫か? すまない、女のおまえを力で倒してしまうなんて」

いくら幼さが残るとは言え、この国を統べる王の子。事の重大さを理解し、身近な者の喪失への恐怖を感じた。

すると、アリアナの目がそうっと開いた。

「ジョシュアさま、油断が過ぎますよ」

桃色の小さな唇がそう言ったかと思うと、ジョシュアの身体が宙に浮いた。アリアナが足で下半身を蹴り上げたからだ。

「うわっ! とっ! いってえぇ」

ごろんと転がり、アリアナの足が入った腹を押さえた。

そして、アリアナは直ぐにも立ち上がると、両手で身体中についた草をパンパンと払った。

「今日の鍛錬はこれでおしまいです。ジョシュアさま、決して油断なさらずに」

のたうち回るジョシュアを置いて、アリアナは踵を返して去っていった。

「くそっ、今度こそは」

その後、厳しい鍛錬は淡々と続けられていった。

「ジョシュアさま、成人の式典では、花瓶をひっくり返そうとしてましたね。失礼を覚悟で言わせていただきますと……あれはかなり笑いました」

「アリアナ、本当に笑ったのか? それが本当なら、俺も見たかったな。あの時は顔から火をふくほどに、恥ずかしかった。まさか階段でつまづくとは思わなかったからな」

「まったく体幹がなっていない証拠ではありませんか。それにあそこは幼い頃より何度も駆け上がっていた階段。そこでつまづいて花瓶に抱きつくなど、歴代の王の中でもジョシュアさまだけでございましょう」

アリアナがクスと口元を緩めた。

「はっ!? 今笑ったのではないか?」

ジョシュアがアリアナの正面に回り込んで、顔を覗き込む。

「ちょっ、とジョシュアさま! お、お待ちくだ、さい」

それを避けようとしたアリアナの両手首をぐいと掴んだ。

「笑ったよな? 今、笑ったぞ。俺の、決して笑わぬ剣の先生、氷の鉄面皮が!」

アリアナはすました顔で、高らかに言った。

「ジョシュアさま。本日はご成人の儀、誠におめでとうございます。これほどまでにおめでたい日はございません。微笑みを浮かべる程度のことは、どうかお許しください」

アリアナが慇懃に頭を下げる。

「俺としては、鍛錬以外にももっと、アリアナと会いたいし、笑って欲しいがな」

アリアナの顔が一瞬、色を失った。

アリアナは、それを隠すようにジョシュアから少し離れて距離を取ると、腰に掛けた剣をすらりと抜いた。

「ジョシュアさま、本日で私との鍛錬も終わりでございます。さあ、剣をお抜きください。最後に私を打ちまかし、参ったと言わせることができますでしょうか?」

「できる」

ジョシュアもすらりと抜く。それは王族の紋章が刻まれている剣で、重厚なものだ。

この剣を父王から受け取ったときはまだ、ジョシュアの身体に合わず、その重みでふらふらしていたが、成人した今は違う。ジョシュアは見違えるほどの、がっしりとしたガタイを手に入れ、剣を自由自在に操ることが出来るようになったのだ。

二人はそれぞれ剣を構えると、手合わせを始める。その日は、ギンギンと金属音が、夕暮れ時まで続いた。

「そういえばアリアナが最後の手合わせだと申していたが……」

ジョシュアが執事ローウェンにこぼした。

「アリアナ先生(・・)です。ジョシュアさまが成人するまでに鍛錬を完了して欲しいと、王直々のご依頼でございましたゆえ、もうすでに契約解除のサインを」

「ではアリアナはこれから……?」

「故郷の海へとお帰りになられます」

書きかけの書類の上で、羽ペンを持つ手が止まった。

「え? それは一体どういうことだ?」

執事ローウェンの言葉にジョシュアは眉をひそめた。

「逆に驚いておりますが……まさかジョシュアさまはアリアナ先生が、海の民で戦闘を得意とするメラリ族の族長の娘ということを、知らないと?」

「いや……知らない」

ぽかんと口を開けたままで、ジョシュアは羽ペンを走らせることができない。

「はあ。呆れてものも言えません……では教えて差し上げましょう。さすがのジョシュアさまも、このマニ湖の湖底には、海へと繋がる水路があることを知っていらっしゃるかと存じますが。そこを通って、アリアナ先生は、このリンデンバウム城へといらっしゃいました」

「では、アリアナは……闘いに最たる才能を発揮するという、かの有名な人魚の一族の者だというのか」

「はい」

衝撃が走った。身体が動かないほどの。

「アリアナが人魚の一族の……まさか、そんな……」

「幼い頃、ご説明致しましたが、覚えていらっしゃらないようですね。メラリ族の民は人魚のヒレを足へと変化させることが出来ます。最初はアリアナ先生も、足元がおぼつかない様子でしたが、さすが戦闘民族。直ぐに野山を駆け回ることができるようになったとのことです」

「父王が俺に鍛錬をと?」

「そうです。ですがまあ、産まれた時にはあまりにひ弱だったジョシュアさまを鍛えていただくことに、先生の出自などはそう関係ありません。ただ、ジョシュアさまの剣の腕前を、……あ、ジョシュアさま! どちらへ行かれるのですか?」

ジョシュアは執務室を出て、早足で廊下を渡った。

そんな中、確かに思い当たることがある、と記憶をたぐっていく。

ジョシュアは理由も分からずイライラとしながらも、その記憶を呼び覚まそうとしていた。

リンデンバウ城は確かに湖の中に建っていた。だが、湖の水に浸かっているわけではない。隆起した岩山の上に建つ、建築物だ。

その城のバルコニーからは、マニ湖が望める。ジョシュアはそこから湖に沈んでいく夕陽を眺めることが好きだった。沈んでからは、星が漆黒の空に散らばるようにして、輝き出す。

この時間、よくバルコニーに出ては、空や太陽や星、そしてマニ湖を見ていた。

ある日、珍しく早朝に目が覚めた。前日のアリアナとの鍛錬によって、全身にかなりの打撲をくらい、その痛みであまり深く眠れなかったということもある。

まだ薄暗い、そんな朝だった。

痛みをなにかで誤魔化したいという気持ちもあり、いつものバルコニーへと向かう。湖の風に当たれば、少しは気が紛れるだろう、と思った。

廊下の突き当たりのドアを開けた。

すると、そこに先客が。アリアナだった。

いつもの戦闘服とは違い、柔らかい絹の簡易なドレスを纏っている。夜寝のドレスなのだろうか。

その後ろ姿から、目が離せなくなった。

アリアナはじっと湖を見つめているようだった。微動だにせず、ジョシュアの気配にも気づかない。

「アリアナ?」

後ろ姿に声を掛ける。

バルコニーの手すりに手をかけていたアリアナはゆっくりと後ろを振り返った。鍛錬のときにはきつく結ばれている亜麻色の髪は、ドレスのドレープと同じように風に遊ばれ、ゆらゆらと揺れている。

「ジョシュアさま……?」

マニ湖を照らす朝日の光が、キラキラと輝き、アリアナの姿を浮かび上がらせていた。

そんな記憶が蘇る。

(ああ、そうか。あの時、アリアナは故郷を見つめていたのだな)

すとんと胸に降りて合点がいった。

その時はただただ、アリアナの美しさに見惚れてしまい、ごくと喉が鳴ったことを覚えている。

ドキドキとした胸の高鳴りを隠しながら、アリアナの横に自分も立ち、そして話しかけた。

「こんな朝早くから、いったい何をしているんだ?」

「ジョシュアさまこそ、どうされたのですか? 寝坊がお得意なジョシュアさまがなんと珍しい」

「アリアナに打たれたうちみが痛くて痛くて眠れなかったんだよ!」

アリアナの美しさに圧倒されつつも、おどけてそう言った。すると、アリアナは急にふふふと笑い、「確かに昨日、こてんぱんにしてやりましたわ」

目尻にシワができ、口角も上がっている。

笑った顔がとても可愛らしかった。こんなにも相好を崩して笑った顔など、今まで見たこともないし、誰かに聞いたこともない。

ジョシュアの胸がさらに高鳴っていく。

(朝日の為せる技であろうか。なんと美しいのだ。ああ、もっと笑って欲しい)

そうは思ったが、次の言葉は出なかった。その時は空が明るくなるまでずっと、なにを喋るでもなく、一緒に湖を見ていた。

幼すぎたのだ。自分の想いに気づかなかった。

だが、今なら分かる。

鍛錬の場で、地面に倒れたアリアナの手を引っ張って起こすとき、そして倒れた自分を起こしてくれるとき。その手の温もりに心も温かくなるのが何故なのか。

一緒に湖を望み、隣でアリアナの笑顔を心待ちにする、そのふわふわとした気持ちが何なのか。

その正体を。

ジョシュアは廊下を走っていた。

長い長い廊下が永遠に続いて、アリアナには届かないような気がして、焦った。

「アリアナ!」

ノックもせず、部屋のドアを開けてしまった。そこは二つ三つの家具が置いてあるだけの、とてもシンプルな部屋だった。

アリアナはそこには居なかった。

すでに荷物もまとめて持ち出されたのか、もぬけの殻と言っても良いほどの潔さだった。

まるで、その足跡を一つなりとも残すものかと、意地になっているようにも見えた。

ジョシュアはバルコニーへと走った。そして、手すりから乗り出すようにして、マニ湖を望む。

「アリアナあぁぁぁ」

大声で数度叫ぶと、湖面の一部が揺れた。じっと目を凝らす。するとそこに、小さく、アリアナの腕がのぞく。

手を。振っている。バシャンと飛沫が上がった。

そして、その手は湖の中へ吸い込まれていく。その時、魚の鱗がキラキラと輝いて、アリアナが本当に人魚だったことを知った。

「アリアナ! 待ってくれ! まだ俺はあなたを愛してると伝えてない!!」

精一杯に叫んだ声は聞こえているだろうか。

さよならも。

この愛も。

「アリアナあぁぁ」

心から愛しい名前を叫ぶと、あの寝ぼけ眼の朝、朝日に照らされるマニ湖を見ながら、アリアナが言った言葉が記憶の底から蘇ってきた。

「ジョシュアさまの瞳は、とても美しい。私はいつも鍛錬の時、この瞳をやっつけてしまって良いのだろうかと、迷いに迷いながら剣を振るっていました」

そう言って、また笑う。

「俺だって、女を倒していいものか、思案に暮れることもある」

ふと、アリアナが笑いを止める。

「私を女と思ってくださっているのですか?」

「何を言っている。アリアナは女だろうに」

すると、嬉しそうに顔をほころばせた。

「ジョシュアさま、あなたの瞳。マニ湖と同じ、美しい……青」

そして、そっと呟くように言った。

あなたのそのブルーに染まりたかった、と。

今、その意味を知って、目尻に涙が溜まった。

その場で立ちすくむ。どうして良いのか分からずに、風になびく髪をされるがままにして、ジョシュアはずっとずっと湖を見つめるしかなかった。

ジョシュアの青い瞳から流れる涙もまた、ブルーに染まっているのかも知れない。

「待ってくれ、まだ状況がしっかりと把握できておらぬが……」

「ジョシュアさまのお見合い相手でございます」

執事のローウェンがわざとらしく、隣からこそっと耳打ちをしてくる。

「わかったわかった。いや、わからん! とにかく思考停止だ。どうしてあなたがここに?」

「お久しぶりでごさいます。ジョシュアさま、私ようやく鍛錬の命から解任され、いったん故郷へと帰還致しました」

が!

アリアナが笑う。

「帰ったら待っておりましたのが、ジョシュアさまとのお見合いのお話。驚きのあまり、ほらこの通り、人間になってしまいました」

「アリアナ、俺をおちょくるのはやめてくれ。だが、それも許そう。あなたが手に入るのなら」

両手を広げる。そこへ、アリアナが滑り込んできて、ジョシュアに抱きついた。

「私の方が歳上ですのに」

「追いつきはしないが、一緒に歳を取ろうぞ」

「私の方が強いのですが?」

「これからもっと、俺も剣の道で精進し、いつか打ち負かしてやる」

「結婚など、私なんかで良いのでしょうか?」

「アリアナ、あなたが良い。あなたを愛してるから」

アリアナは、恥ずかしそうに、肩に掛けていたショールで顔を隠した。

「ではジョシュアさまのブルーの瞳で私を染めてください」

ジョシュアの瞳に、アリアナの姿が映る。

そしてブルーに染まっていくのを実感しながら、キスをして笑った。


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情景描写が綺麗で、それがしっかりと映像として浮かんできました。 悲恋なのかと思っていましたが、幸福な結末でホッとしました。やはりハッピーエンドは良いですね。 あの二人にはこれからもあのままでいてほしい…
アリアナの目がそうっと開いた。 「ジョシュアさま、油断が過ぎますよ」 桃色の小さな唇がそう言ったかと思うと ▲ この時点でドギマギさせられました。色っぽい。 しかしまぁ、なんて言うんですかね、もぉ…
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