#003 神の啓示~昼ごはん
はてさて…
今回の亀組の日常は…
お昼というのは安らぎを意味するはずであった。しかし、あまりにも天気が素晴らしかったために、庭で食べるという事となった。キンキンした声が教室中に響き、みんな嬉しそうにお弁当と牛乳パックを持って玄関に走って行った。そう、僕たち亀組の先生は多恵先生ではなく、ヒスパニック小久保である。決して悪い人ではないが、いかんともしがたい声が全ての足を引っ張っていた。
外に出てみると全員それぞれの場所で楽しそうにお弁当を広げている。砂場にシートを敷いてもらって座っていたり、大きな杉の木『 杉モッチャン 』の下に座っていたりと。僕はある一点にむかって足を止めることなく進んで行った。
「外かぁ。めんどくさいなぁ!おぃ。」
そう言う割には楽しそうなタナチョウが走って後ろから追いついてきた。タナチョウはその特性からか、広いところでは無条件で気持ちが高揚するようである。僕たちはさらにある一点に向かって進んで行った。
「みなさぁーん!いいですかぁー?みんなでいただきますしましょうねぇー!」
忙しそうなヒスパニックの声を片耳に残しながら、僕たちはいつもの場所にようやく到着していた。庭の端にある、またがって遊ぶ小さい動物の遊具である。僕は象、タナチョウはウサギ、竹中は亀、それぞれが所定の位置に納まっていた。
「はい!いただきまぁす!」
「いたぁーだぁーき、まぁあぁすっ!!!」
僕たちも激しく、そしてあらゆる存在に感謝の気持ちを込め、大声でその祝詞を唱えていた。ただ一人を除いて・・・
「天に・・・・・・・・」
大物は焦らない。クリスチャンである竹中は一人穏やかに神への祈りと感謝の念を捧げていた。伴天連追放令から鎖国、明治維新に太平洋戦争、全てを乗り越えてきている竹中家の末裔である竹中には、迷いも戸惑いもなかった。
「・・・・・・・、エィメン」
そして竹中は乗っている亀にキスをして、弁当を開けた。御稲荷さんが五つだけの質素なものである。竹中は器用にフォークを使い、御稲荷さんを丁寧に食しはじめた。キュートな漢である。
僕はスパイシーエッグサンドイッチを食べながら、空を見上げた。夏を思い出させるような陽気で、確かに気持ちが良かった。ウサギの上でリンゴ味になってしまったご飯に文句を言っているタナチョウが、急に声をあげた。
「おう昇。どうした。」
「あぁ。危うくヒスパニックの愚痴を聞く羽目になるところだったよ」
そう言いながらシマウマの上に座った助教授の弁当は、いつも王道である。それは私たちの憧れであり、失ってはならない大切な日本の文化である。朝揚げた唐揚げ、スパゲッティーナポリタン、多すぎないご飯と占い付きのガンダムのフリカケ。そして躍動感あるフォルムが見る者の動物的感覚を呼び覚ますタコさんウインナー。国宝に指定できるこの弁当を、助教授は決しておごる事なく静かに食べていた。
ヒスパニックの脇では何人かの女性が座り、みんなで楽しそうに食べていた。しかし、その視線の先に僕はひとつの伝説を見た。それは神の啓示であったのかもしれない。「常識」という言葉が「差別」や「拒絶」につながり、優しさが減ってきてしまっている現代において、人を批判する前に自分自身の襟をただしていく事の大切さと、難しさ。それをのどもとに突きつけるようなその光景は、永遠の一瞬であった。
「人は、進まなければ、ならない・・・」
竹中の言葉は僕たちの心を見事に代弁していた。
「きゃぁー!?しんたろう君あぶないわよー! おりなさぁい!?」
ジャングルジムの最上部で晴れやかに食事をする二丁目の世界遺産の気持ちを理解する事は、現代社会においては決して簡単な事ではない。先生には子供を安全に預かるという責任があり、それは最も大切な事のひとつである。様々な事故、事件の責任のなすりあいがTVにおいて多く報道されてしまう恥ずべき現状では、特に神経質になるのは仕方がない。しかし、それを理解した上で・・・
「何が見える?」
「あのおおきなくもさんのちかくに、いるのは、おかあさんくもじゃなくて、おともだちなんだよー。でー、わるいくもがきて、でも、きるの。うえさまがでてきて、きるの。」
「そっかぁ。下から見たらもっとたくさん見えるんだよ。知ってた?真太郎君。」
「えぇーほんとうぅー?」
注意をする、叱る事は本当に大切である。本気で叱る事には自らの力と責任が必要になる。それだけの事をできる大人が減ってしまっている事は悲しい事実であり、憂うべき事である。しかし同時に大地のようなおおらかさで包み込みながら、導いてあげる事も本当に大切である。重要なのは、聞き手にどのように伝わり、どう理解され受け入れられるのかという事である。
「しんちゃん、だめじゃないっ!?ごはんたべるときは、のぼっちゃいけませんっ。」
「・・・・うんっ。」
教育とは導く事である。そこには注意する事も、叱ることも、ほめる事も必要である。場面、状況によってそれらを正しく選択しなければならない。しかし、それは決して難しくはない。本気であるかどうかだけである。心から叱る、心からほめる。それだけは年齢という壁を簡単に突き破っていく。
ワイワイと騒いでいる女性の間をヒスパニックに連れられてMikeの文字が小さくなっていく。なるほど、遠くからではNikeに見えなくもない。それに導かれるように、全員がいっせいに教室に戻り始めていた。竹中も最後の御稲荷さんを噛み締めると、近くのゴミを拾いながら立ち上がっていた。助教授もタナチョウと何やら笑いながらお弁当を片付けている。僕も牛乳を飲みほし、ゴミをビニールの中に入れ象さんを後にした。太陽は暖かく、しかし牛乳のせいなのか風は少しだけ肌寒く感じられた。下駄箱に靴を入れながら教室の方を見たら、何事もなかったかのように二丁目の世界遺産は歌を唄いながら落書き帳に絵を描いていた。下駄箱の中の二丁目の世界遺産の靴のかかとには四本線と、一度消された漢字の脇に太字マジックで「右」、「左」と書かれていた。【Addax】
僕は神の存在を本気で疑えなくなり始めていた・・・
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エピソードに続きます…