#002 午前中、塗り絵ガンダムまで
はてさて…
今回の亀組の日常は…
午前中のスケジュールはこうだ。まずは来月に迫ったお遊戯会での全員合奏の練習だ。僕はカスタネットという重要なポストにおさまった。リズムは合奏において非常に重要な位置を占める。意識的にリズムをずらし、合奏全体を台無しにする事さえできる。その練習の後は、昨日からの塗り絵の最終仕上げが残っている。それさえ終えれば昼食となる。
「では、みなさん。来月のおゆうぎかいで、お父さんお母さんに、みなさんのすばらしいがっそうをきかせられるように、れんしゅうしましょう。」
小久保先生のキンキンした声が体育館に響き渡った。『ヒスパニック小久保』と名づけたのは『助教授』こと木之下昇であった。彼は誰もが認める秀才であった。知識においては亀組においても右にでる者はおらず、ライバルである鶴組の中にも存在しなかった。しかし、彼は教授となることを拒み、今のポジションにとどまっている。謙虚な漢である。
「はい、ではみなさん。いちれつになって、それぞれガッキをもってください。先生のあいずでいっかいれんしゅうしてみましょう。」
僕とともにカスタネットを担当するのは、宮川麻耶という女性である。同じ亀組でありながらあまり会話をしないが、優しく静かな女性である。いざとなったら守ってあげたくなるような存在である。
合奏曲は私たちのカスタネットで始まる。列の右端で四回叩いた後に、太鼓や笛が入ってくる。どうせならガーシュウィンでも演りたかったが、曲目はある種独裁的に「きらきら星」に決まってしまっていた。
「ではいきますよ。いち、にっ、さん、はいっ。」
僕と宮川麻耶はカスタネットを打ち始め、無事にきらきら星は始まった。【曲の始まりが僕と宮川麻耶のカスタネットなのに、ヒスパニック小久保のカウントは必要なのだろうか。これでは何だか、僕たちが果たすべき職務を全う出来ていないような気持ちになってしまう。】多少のミスはあったが、ほぼ問題なく曲は終了した。
「みなさんっ。すばらしいですよっ! では、ここですこし、きゅうけいをしましょう。」
僕はカスタネットを袋にしまうと、ステージを降りいつものブランコ(パプティマス)にむかって歩き出した。鶴組は男子全員で鬼ごっこを始めようとジャンケンしている。すでにブランコでくつろいでいるタナチョウが鋭い目をしていた。
「行ってきたらどうだ。」
竹中はタナチョウの中に眠る『鬼神』に語りかけるように呟いた。
「そうだな。それも良いかもしれないな。」
ゆっくりと、しかし確かな足取りでジャンケンの輪にむかって鬼神は足を進めていった。それに気がついた『鶴組の二番煎じ』こと村井肇が少しあせりながら大声を出した。
「たなっちは鬼になっちゃダメだよっ!」
誰もが理解していた。タナチョウが鬼になるという事は、金魚鉢に空腹の肉食魚を投入するという事である。
「大丈夫だよ。鬼にはならなくていいよ。」
鬼ごっこが始まり、ワイワイ言い始めてから少したって、ブランコにいる僕と竹中のところに『二丁目の世界遺産』こと高畑真太郎がやってきた。彼の言動、行動、そして純粋無垢な疑問、質問は、年齢を考慮した上でも世の中を変革しえるものであった。
「ねぇ、むねのりくん。きのうのテレビみた?」
「どの番組?」
「あの、おもしろいやつ。」
「夜の番組?何チャンネル?」
「夕方の・・・おもしろい・・・きるやつ。」
「ああ、暴れん坊将軍か。昔のやつだよね。」
「そうそう、あられん棒少運。」
「あばれんぼうしょうぐんだよ!面白いよね!でも、ごめん昨日は見てないんだ!」
「早くにんげんになりたーい!」
「・・・」「・・・」
「早くにんげんになりたーい。」
せっかくの超自然的な会話を打ち破ったのは、『ベム小林』こと、小林譲二であった。ベ
ム小林のこれが始まっては仕方がない。ベム小林の父親が見ていた古いDVDの中のセリ
フを覚えてしまってから、ずっとこうである。もちろん名付け親は助教授である。
「はい、みなさん。れんしゅうしましょうね!また、ならんでください。」
「またねーむねのりくん。」
そう言って走っていく『二丁目の世界遺産』のシャツの背中には、Mikeという文字が大きくプリントされていた。完璧である。
無事に合奏練習も終了し、僕たちはそれぞれの教室に戻り、塗り絵を再開していた。ドラえもんを鮮やかに塗る『北斎』こと南瑞希は僕のとなりの席の女性であった。彼女はその名の通り、絵画においてなみなみでない才能を発揮していた。北斎の作品には鮮やかさだけではなく、奥行き、質感、そして何より、命が吹き込まれたかのような躍動感があった。そんな『北斎』の脇で僕は、一生懸命にガンダムを仕上げていた。しかし、塗れば塗るほど塗り絵のはずなのに、ガンダムではないものへと退化してしまっている。
「できた?むねのり君。」
多恵先生が優しく覗き込んできた。
「これガンダムだよね。先生も好きなんだよ。ガンダム。かっこいいよね。むねのり君も好き?」
「うん。好き。」
ここから細かくガンダムのシステムや技術、根本定理から、そのメッセージを話し始めるという失態はやめておいた。多恵先生もガンダムが好きである。という事実だけで十分であった。僕は少し興奮しながら、ガンダムを少しずつ退化させていった。
次のエピソードに
続きます…