#015 シャック、藤田亨
はてさて…
今回の亀組の日常は…
本来予定されていたパート別のキラキラ星の練習は、御大将の来園により午後に延期されていた。
僕は塗り絵をしようと思ったが、急にカスタネットを触りたくなってしまい、ヒスパニックに許可をもらい、一人でカスタネットを鳴らし始めた。最初の方はちゃんとキラキラ星の中のカスタネットのままでいたが、だんだんそれが個性を持ち始めてしまった。
「むねくん~カスタネットかして~!」
そう言いながらやって来たのは、亀組随一のパワープレイヤーである藤田亨であった。彼は夏場に窓を曇らせるほどのエネルギー代謝率を誇っていた。見た目の体重は三桁に到達しており、身長も他の追随を全く寄せ付けないものであった。そして何より、彼の近くでは常にミルクの薫りが漂っていた。そのせいか見た目なのか、彼は助教授によって「シャック(デビュー時)」と命名されていた。
「だめだよー!今、れんしゅうしてるんだー!」
「えぇ~!かして~!」
駄々をこねるシャックの眼鏡が少しずつ曇り始めていた・・・
「だめだよ~とおるくん~!」
「ねぇえぇえぇ~!かしてかしてかして~!」
駄々をこねまくるシャックの眼鏡越しの視界は霧に包まれてしまっている。
「じゃあ、とおるくんもせんせいにかりてくれば~!」
「あっ!そっか~!」
走ってヒスパニックのもとへ行き、借りる時にはくれぐれも壊さないようにと強く言われていた。
大事そうに両手でカスタネットを持って、またやって来たシャックの息は少し切れ始めていた。
「むねくん~!かりてきたよ~!」
「よかったね~!」
「いっしょにやろ~!」
「いいよ~!」
僕は一拍ごとの安定したリズムに終始する事にした。まずはシャックの力量を定めなければならなかった。が、その心配は全く無駄なものとなった。シャックのリズム感はずば抜けて素晴らしく、一種独特のものを感じるほどのレベルであった。
「とおるくん、じょうずだね~カスタネット!」
「ママがまいにちやってるんだ~!」
そうなのである。シャックのママである藤田マリは毎週のフラメンコ教室を生きがいとし、またその教室にシャックを連れて行っていたのである。シャックにとってカスタネットは単なるリズム楽器ではなく、自らの思いを伝えるもののひとつとして、無意識にしかし確かに位置づけられていたのである。カスタネット = 情熱である。
ダンダンっ カっ ダンダン カッ
とうとうシャックの魂に火がつき始め、キラキラ星から帰還し地に足をつけんばかりに、スペインの大地を踏みしめ始めていた。
ダダンっ カっ ダダダンっ カっ
足を踏ん張るシャックの眼鏡はすでに眼鏡としての機能を停止してしまっている。
さらに情熱を表現するシャックからは大粒の汗と、湯気のようなものが発生している。雨季の到来である。
「すごいね~とおるくん!」
「かっこいいね~!」
情熱は例外無く人に伝わるものである。いつしかシャックのまわりには何人か集まっていた。
ダダン ダダン カっ ダダン ダダン カっ
最初は通常の雨季のようであったが、情熱という急速な温暖化によって、集中豪雨やゲリラ雨のような異常気象が表れはじめていた。そろそろ止めなければならない。
ダダダダン ダダダダン カっ ダダダダダン カっ カっ
ピぃ~ ポ~ ピ~ ピぃ~
耳をつんざく訳ではないが、確かに信念をもったリコーダーの音色が聞こえてきた。シャックも我に返ったようにステップをやめ、肩で息をしている。
ぷピぃ~ ポ~ ぷピピぃ~ ピ~ぃ~
誰しも勢いだけで進む事は、決して難しい事ではない。そのせいか時にそれを止められなくなってしまう。アクセルとブレーキ、そしてハンドルをコントロールした上で進んでいるのか、アクセルのみで進んでいるのかの違いである。後者の場合は、エンジンを切るしか止まる方法はない。その笛の音はまさにシャックのエンジンを切ってくれたのである。無意識に吹いたであろう笛の音の力は、本当に暖かく強かった。
「あれ~このふえこわれてる~!」
プッピ~ぃ~ ピッポピ~ぃ~ プピピッポピプぃ~
「しんちゃん~どうしたの~?」
「ふえがならない~!」
「しんちゃん、おさえるところちがうよ~!」
ポッピ~ ピピっ ピぃ~
「だめだ~ふえがこわれてる~よ~!」
世界遺産が二丁目から城下町に入る日も近い。
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