2-30.嘘は言っていない
その日は詰所の皆に落ち着きがなかった。
「コルラード殿は、ちょっとは落ち着いたらどうなんですか」
ベルベットが呆れるのも無理はなく、普段は職務に忠実なコルラードが、この時ばかりはじっと座っていられず集中力を欠いている。まだ書類仕事も残っているのに手がつかず、やたらとあらぬ方向を気にするのだ。
小刻みに動く少年にベルベットは言った。
「気になるならいってきたらどうです。別にダメじゃないんでしょ、見学」
「そうはいかん。まだ本戦ではないのだから、外野が押し寄せては大事となろう。こんな時こそ気を引き締めよと、そうおっしゃった隊長のお言葉を忘れたか」
「忘れちゃいませんけど、なにかあったらすぐ呼びに行くし」
「お前は気が抜けすぎではないのか!」
「焦ったところでお腹は膨れないんで」
コルラードが落ち着きがないのは、この日から御前試合の予選が始まるためだが、緊張しているのは彼くらいだ。
以前説明を受けたように、見学人が増えて大盛り上がりを見せるのは上位の五十名の試合だけ。それまでは流れ作業のような試合があるだけで、手番が近くなったら練習場に赴き、審判の前で手合わせをこなせばいい。本番と違ってゆるい雰囲気で行われるので、緊張感は足りず遅刻も頻繁。慣れた者は浮ついた空気を利用して、ゆっくり茶を飲みながら談笑している始末だ。
コルラードはギリ、と音を立てそうな勢いで奥歯を噛む。
「ぐぬ……隊長が直々に見てくださる機会など、滅多にないというのに……」
「普通上官に細かいところを見られるのって嫌じゃないです? しかもあの人、部下だからって贔屓しなさそうだし」
「だから良いんだ。成長した己の腕を見てもらえるのだから、これほど喜ばしいことはあるまい」
「……普段から見てもらえるのに変なの」
ぼやくベルベットに、聞き耳を立てていたセノフォンテが教えてくれる。
「違いますよ。彼は隊長の前で他部隊の騎士を打ちのめす姿を見てもらいたいのです」
「あれ、意外と不純な動機」
「セノフォンテ! 貴様、誤解を招くような言い方はやめろ! お前のように他者を踏みにじるのを生き甲斐にするようなふざけた動機で剣を握っているのではない!」
「強くなった己を見てもらいたい……でしたか? どちらも一緒ではありませんか」
「まっっったく違う!」
「しかし貴方、最近調子付いているアレーン隊の連中をのしてやると言っていたではありませんか」
「それとこれとは違う!」
「アレーン……王妃殿下付きの近衛隊かぁ」
アレーン隊は平民交じりのギディオン隊とは正反対で、貴族出身の人間で構成されている。隊長同士が犬猿の仲と化している理由は依然はっきりしないが、きっかけは平民の登用率の高さだと聞いたことがある。普段は忘れがちだが、貴族社会において血と身分は絶対。そういう意味では、自分の上官や妹は、貴族の中でも希有な人なのかもしれない。
「コルラード殿コルラード殿、そういえば一般見学が増える方の試合ですけど、グロリアも見物に来るんですって」
「……な!?」
「上位に食い込めばチャンスがあるかも。よかったですね」
「な、なにがよかったですね、だ。俺は普段の成果を隊長に見てもらえればそれで……」
「ままま、わたしも頑張ってあの子にコルラード殿を推薦するので」
目を泳がせる同僚を尻目に、セノフォンテが首を傾げる。
「貴女はコルラード殿を妹君に宛がいたいので?」
「まさかまさか。単に実直な人だと妹を任せやすいなって思っただけで、決めるのはグロリアです」
コルラードならグロリアの尻に敷かれてくれそうだ、と思ったとは口が裂けても言えまい。
手番が回ってくる時間になると会場である広場に移動するのだが、そこでは見物人である騎士や貴族が、その場の雰囲気を楽しみながら談笑するか、それか真剣な眼差しで騎士達の手合わせを見物している。
流石に下町の喧嘩と違って行儀がいい……受付に名前と番号を申し出て、割り当てられた場所へ移動する。数が多すぎるから場を区切り、四試合が並行で行われていた。
試合は各隊の隊長が交代で担っており、これがコルラードが張り切っていた理由だ。ベルベットはそう遠くない距離に、見慣れた上官の姿を見かけた。
舌を巻いたのは、想像より人が多かったせいかもしれない。
名前を呼ばれ、紐で四角に区切られたエリアの中央に立つと、審判役が名前を確認して対戦相手を向き合う。
初戦相手は無精髭を蓄えた中年の男性で、彼女を見るなり胡散臭げに笑った。
「近衛のところの嬢ちゃんか」
ベルベットを知らないところを見ると、内勤ではなく外回りの人間だろう。多少口は悪いが、場数をこなしているらしい立ち居振る舞いには格が備わっている。嬢ちゃん呼ばわりには「ええまあ」と適当に場を濁した。
「どうぞよろしくお願いします」
「……苦労知らずのお貴族様はいちいちご丁寧なことで」
「やだ光栄。わたしがお貴族様に見えるんだ」
嫌味のつもりはないのだが、淡泊な反応に相手はしかめっ面を作る。
二人のやり取りに審判役がピシャリと諫めた。
「後が押しているんだ、私語は慎め」
「はい、どうもすみません」
謝るのはベルベットだけだ。剣を抜くように言われて鞘から刃を取り出すが、片手にずっしりとかかる重さにたまらず「重っ」と声を上げる。
構えも素人丸出しの反応で隙だらけで、この反応に男どころか見物人も苦笑を漏らした雰囲気がある。
「なんだ、ただの数合わせかよ」
相手は犯罪者と直接向き合う現場職なので、構えだけでも様になっている。試合の結果はわかりきったようなもので見物人は興味を失い、見応えのある応酬を探すべく思いを馳せるか、別の試合を間近で見ようと踵を返す。
二人の間に立った審判が「はじめ」と合図を叫んだ数秒後、カン、と彼女の剣が地面に落ち、人々は当然、構えひとつなっていない素人の負けだと思ったが、結果は違った。
ベルベットは地面に背中をしたたかに打ちつけた男の喉元に、背中側のベルトに嵌めていた小さなナイフを突き立てようとしている。
「はい、勝ち」
「は……!?」
男が状況が理解できていないのは明白だ。
ベルベットは開幕で剣を手放すと、ものの数秒のうちに男の体勢を崩した。ただそれだけなのだが、優位な体勢で男の顔を見下ろし、悪戯っぽく笑う。
「おじさん、ちょっと相手を見くびりすぎ。まあ、おかげで楽でよかったけどね?」
その微笑み、本人は意図せずとも、グロリアに通ずるところがある蠱惑的なものだ。男と同じく、状況を判断しかねている審判に向かって顔を向ける。
「で、これ勝ちでいいです?」
言われて我に返った審判が勝者の宣言を行うと、ざわめきがさざ波のように広がって行く。
男が立ち上がるために手を貸し終えると、ベルベットは剣を拾い、不慣れな手つきで鞘にしまう。来たときよりも何十倍に増えた視線に見送られて会場を後にするが、それを止めたのはギディオンだ。
上官に言われては無視できまい。大人しく上官を待つ部下に、慌てた偉丈夫が驚愕も覚めやらぬままに疑問を呈した。
「お前、あれはどういうことだ!」
「どういうとはいったい」
「誤魔化すな! お前、あれは国境警備隊の人間だ。それを剣も使わずに……」
「あ、やっぱりごりごりの現場職だった」
聖ナシクから国民を守るために戦う隊だ。どうりで圧のある人だったと思い返しながら、ベルベットは解説する。
「足元がお留守だったので、ちょちょいと足を引っかけたくらいです。武器もちゃんと目に見えるところに収納してたでしょ」
「馬鹿言え。体勢を崩すだけにしても足払いには技術とコツが必要だ。注意深く観察していないとできるものではない」
「まーよくご存知で」
流石に戦慣れしているだけあって誤魔化されてくれない。
どうやらギディオンは腹を立てているらしい。
「お前、戦えるのなら始めからそう言え!」
「や、きちんと言ったことありますよ。わたしは剣を使えないし弱いって」
「たしかに言っていたような気もするが、あの言い方は誤解を招くだろうが」
「勝手に騙されてたのはそちらですよ。だってそもそも……」
ベルベットは唇の左端を持ち上げる。
「わたし、戦えないとか戦ったことがないとは言ったことなかったはずですしね?」




