2-29.探り探られ
エドヴァルドの部屋を退室後、頭を抱えるのはギディオンだ
「お前な……」
「お、それはわたしと殿下を会わせたことを後悔している顔」
「わかっているなら言うな。まったく、あとで何と言われるかわかったものではない」
悔やんでも悔やみきれないらしい上官は、歯ぎしりをせんばかりの勢いだった。あの場にいたのは彼だけではないし、たしかに王子をデートに誘う不届き者を誘導したとも見られかねない。その証拠に、ギディオンは恨みがましくベルベットを睨んだ。
「殿下の女性周りがどれほどややこしいか、お前は知らないだろう」
「どんだけめんどくさいんです?」
「力のある家々と女性が、互いを牽制し合って上手く行かん状況なのだ。だからこそスティーグ殿下の婚約がどれほど喜ばしかったことか……」
「うちの妹にその気はないっていってるのに」
「知っている。だが、あれほど目出度い話もなかったのだ……くそ」
そういえば、いまだ第一王子であるエドヴァルドの婚約が成立していない理由を知らない。市井では王子がとんでもなく面食いだからと面白おかしく囁かれている。
「ベルベット……お前、気をつけろよ」
「気をつけるって、なにをどう……」
「俺は殿下の意思を尊重したい。だからあまり口を挟むような真似はしないが……陛下がいまだ判断を付けかねている理由が、それなりにあるということだ」
エドヴァルドと懇意にしたいと思っている相手は多い。それはサンラニアの貴族以外にも、外交上も親しい海の向こうの国や、聖ナシクを挟んだ向こう側にある国の姫君もいるとも聞いている。
ようやく自分を餌にするのはやり過ぎたかと反省するも……すべては後の祭りだ。
なるようにしかならない――気を取り直して話題を変える。
「ところで隊長。今度の御前試合って、剣以外も使えるってほんとです?」
「……本当だが、お前にしてはおかしなことに興味を持つな」
「周りに聞いたらみんな簡単に教えてくれましたよ。隊長って本来の得物は片手剣じゃなくて両手大剣だって聞いたから」
理由を言えば、一応納得してくれたらしい。ギディオンは「ああ」と相づちを打つ。
「どこの誰が言い出したかは知らんが、見た目のために剣を統一せよと言われているだけだからな。だから常時は規則に従っている」
「あ、執務室に不自然に立てかけてある包み、あれがもしかして大剣ですか」
一応扱えはするが得意武器かと言われたら微妙なライン。御前試合はそういった規則は撤廃されるから、好きに武器を選んで良いらしい。ベルベットは頷いた。
「はーなるほど。ってことはセノフォンテ殿とかも実は得意分野は片手剣じゃない?」
「なぜわかる?」
「や、彼、隊長やコルラード殿みたいに剣ダコないでしょ」
「なるほどな。確かに、あいつは鞭の方が得意だ」
慣れた者が使えば、一振りで服と皮を引き裂くのが鞭だ。その痛みは筆舌に尽くしがたく、数撃でショック死しかねない。よしんば生きていたとしても仰向けには寝られず、ひたすら痛みに耐え続けることになる、そんな得物をセノフォンテは好んでいるらしい。
鞭とセノフォンテ……なぜだろう、イメージにピッタリ合うような気がして、ベルベットは悔しがっていた彼の顔を思い起こすが、そんな彼女を胡乱げに見るのがギディオンだ。
「いま、お前は俺を探ろうとしたな」
「ん?」
「いままで知ろうともしなかったくせに、急に探りを入れてきた」
「いやちょっと友人と誰が勝つか話してて……」
「話とは賭場か?」
「うぇ」
「裏で勝者を賭けた賭博があるのは知っている。それを取りしきっている一人がセノフォンテということもな。だが、お前の疑問には金の匂いがしなかった」
――セノフォンテ殿、ばれてるばれてる!
まさか賭博がバレているとは知らず、内心慌てるベルベットだが、顔にはおくびにも出さない。しかしそんなのはとっくに読まれているらしく、ギディオンは声を潜める。
「……何を企んでる?」
「企みなんて失礼な」
「殿下と会わせろと言った時もだが、いまのお前からは嫌な感じがする。胡散臭い、ろくでもない悪党のそれだ」
「そんな失敬な」
「間違っているか?」
「…………やな嗅覚ですね」
褒め言葉と受け取ったか、ギディオンの口角がつり上がる。その顔はどうだろう。先ほどベルベットは悪党呼ばわりされたが、この上官の方がよほどそれらしい。
問いには否定も肯定もしないが、ギディオンは良しとした。
「まあ、いい。下手を打って恨みを買うなよ。お前の働きは、そのままグロリア様にも反映される」
「……随分と寛大ですね? もしかしたら私が小銭を受け取って貴方に探りを入れてて、聞いた情報を貴方の対戦相手に弱点を横流しするかもしれないのに」
「殿下の弱みを探っているわけではないのだろう?」
「それはもちろん。単に貴方の弱点でも探れないかしらと思っただけなので」
「なら構わん。好きにしろ」
彼女が知る限り、この男は生真面目な性分であったはずだが、剣の柄に手を置いて人さし指で柄を叩く姿はどこか別人のようだ。
「近衛とあっては、殿下の危機とあらばひとまず口を開き咎めねばならんが、戦場において立場は俺を縛るものではない」
目元を細め獰猛に嗤う姿に、高潔を謳う騎士の姿などどこにもない。セノフォンテは彼ら騎士を脳筋などと揶揄していたが、この男はもっと質の悪い生き物だ。
下手な藪をつつかぬよう早々に退散するのだが、その帰りにある人に声をかけられた。
獣医師のヴィルヘルム・ルディーンである。
王宮には厩舎にて休む馬の検診に来ていたらしい。わざわざベルベットへ会いに来ると、彼は以前の話の続きをしようとした。
「双子の弟さんたちについてお聞きしたいのです。ギルバード君とメイナード君ですが……」
「おい、ベルベット!」
そう言おうとしたところでコルラードがやってきた。
話の続きを促そうとしたが、どうも聞かれたくない話だったらしい。去ってしまうヴィルヘルムを見送る彼女に、コルラードが首を傾げる。
「邪魔をしたか?」
「邪魔になるような話だったのかもわからないので……それよりどうしました?」
「セノフォンテから、お前に部隊の練習試合を見せてやれと言われた。合同はともかく、試合に向けた個別訓練は見たことなかっただろう」
「お、助かる」
「…………本当に試合に出るのか?」
「途中で棄権しますけどね」
「形式的にでも参加を決めただけで充分だが……危険そうだったら降参しろよ」
この時点では、ベルベット初戦で試合放棄すると考えていた人が10割だったのは間違いない。その期待をすべて裏切ることになると知らしめたのは、肝心の試合が始まってからのことだった。




