2-19.親代わりの姉の悩みは
ベルベットが目を覚ましたのは翌日だ。
何度か起こしてもらった記憶はあるのだが、眠気に負け、甘い飲み物だけをもらって再び横になったところで記憶は途切れている。
どうやら意外と疲れていたらしい。
まだ少し頭は重いけれど目覚めは悪くない。上体を起こすと足元に末妹が丸くなりながら眠っており、ベルベットは彼女を起こさぬよう上掛けを掛け直す。そっと部屋を離れ到着した居間には誰もいなかった。
「早朝……っぽい?」
窓からさんさんと降り注ぐ光は眩しい。窓の外では放牧されたと思しきセロが草を食んでおり、ベルベットの姿に気付くとゆっくり窓へ寄ってくる。
ベルベットが窓を開けると、愛馬は窓から首を突っ込んでくる。セロの鼻や顔を撫で……顔を洗い、厨房に体重を預けながらぼんやりとしたまま歯を磨いた。
見渡すのは理路整然と片付いた机とは正反対に、床に散らばった藁や鳥の糞、ホウキ、本の数々だ。床には青や赤い水の染みも残っている。
昨日はリリアナがハーナット家にいた。片付けにいたるまで仕事をこなす彼女がこの状態を放置したとは思えないから、きっと夜中に双子が何かしたのだろう。これまでの経験からベルベットは犯人達の行動を推察するが、それにしても染みや鳥の糞が不明だ。ベルベットは弟妹達へ、家の中に生きた鶏を運ぶのは厳禁と常々言い含めているのだが、これまで発見しただけでも五度は破られている。
――やんちゃの虫が疼きだしたな。
目が覚めてくるとなんともいえない表情で林檎を半分に分けると、果物を目の当たりにしたセロが歯をむき出しにして頭を振った。
「はいはい、あげるあげる」
改築してよかったと思うのは、家を柵で囲うことで馬の放牧場が広がったことと、こうして愛馬と室内からコミュニケーションがとれるようになった点か。難点はセロやジンクスにしても催促が激しい点。レンブラントは控えめな性格なので露骨な要求をしてきたことはなかったが、おそらく時間の問題だ。
ベルベットは林檎を食べ終わると適当に目に付いたパンを見繕い、味わう様子もないまま完食し終える。そのまま床を片付けようとしたところで動きを止め、おもむろに棚を漁ると、瓶入りの砂糖を数杯、口の中に放り込んだ。
グロリアが見たらお説教ものかもしれないが、ひとりのときのベルベットはこんな感じだ。
甘味の塊を水で流し込むと、床に散らばったごみを回収し、糞の汚れを綺麗に拭き取る。
床の染みは時間が経ちすぎていたらしい。こすってもあまり取れなかったが、壁に張りついていたクワガタとカナブンを外へ投げ捨てれば完了だ。
散らかした本人達に片付けさせたいが、もうすぐしたらグロリアやリリアナが起きてくるし、朝から彼女達の前で元気いっぱいの男の子二人を注意するのは労力を使う。あの二人は双子ゆえか、片割れがひとこと言っただけで、二言三言と倍にして姉へ言い訳を捲し立てる。
参った、とベルベットは頭を掻く。
双子はリノを見本にして育ったからか、賢く、妹想いの優しい子達だ……と思っているが、それはそれとして、れっきとしたわんぱく盛りの男の子。近頃は長女を怒らせる真似は控えていたが、これは様々なことが立て続けに起こり、初対面の人達がいただけの話。
きっと双子はスティーグやエルギスに慣れてきたのだ。
「いや、でも近頃はずっと気を遣わせ続けてたし、素を出せるくらいのびのびとしてきたのはいいこと……なのかなぁ……」
親代わりとして弟妹を育ててきたが、つきっきりで彼らを見てはあげられない。家を空けることも多いから悩みを聞いてあげられない申し訳なさがあったし、正しく育てられている自信がない。
このところワガママが控えめだったのを考えれば、少し部屋を散らかした程度は見逃した方が良いのか……悩む彼女の目の前に現れたのはスティーグだ。
「なんだ、目を覚ましたのかよ」
ベルベットの目が点になったのは、いままで早起きに愚痴を隠さなかった青年がまるで農夫のような出で立ちで、農具を持っていたからだろう。汗の量を見るに作業帰りらしく、首だけを厩の方へ向けた。
「餌と掃除なら終わってる。全頭放牧したから行っても意味ないぞ」
「……まさか全部やってくれたの?」
「エルギスは馬の世話ができないし、チビ共はまだ寝てる。あんたが起きられないなら、俺がやるしかないじゃないか」
いまから世話をしなくてはと思っていただけに嬉しい誤算だ。自発的に働いたスティーグに驚きは隠せないが、礼は言わねばならない。
「あ、ありがと」
「俺の馬もいるし、餌が遅れたら不機嫌になるから仕方ない」
で、とスティーグは彼女を見る。
「随分ぼさっとした格好だけど、もう体調はいいのか?」
「あーうんそれは、もちろん」
「その割にまだボケてるみたいだけど……グロリアがうるさいし、無理するなよ」
「あ、片付け手伝う」
「一人でできるし、まだ休んでていい」
「ちょっと身体動かさないと、そっちのが調子悪いんだって」
そう言っていつもの要領で片方のバケツを受け取る。中には糞に汚れた寝わらが入っており、二人はそれを堆肥置き場に中身を捨てた。
水場でバケツを洗いながらベルベットは尋ねる。
「スティーグは今日もルーナちゃん探すつもり?」
「時間が有ったらそうするけど、付添はエルギスに頼むから、ベルベットは来なくていい」
「エルギス一人に任せるのはちょっと……」
「どうせ兄上が見張りを出してるだろうし、一人減るくらい問題ないさ」
返答に窮したベルベットに、スティーグは薄く笑った。
「これでも生まれてからずっと王城にいたんだ。本当の意味で俺を自由にしてくれないことくらい、とっくにわかってる。どうせ昨日も兄上の使いに報告してたんだろ」
「それは……」
「いいさ、兄上はそういう人だ。俺をまだまだ頼りない子供だと思ってる」
「……悪気があるわけじゃない」
「知ってるさ。俺だってあの人が嫌いってわけじゃないんだから」
スティーグが落ち着きながら素直に話してくれるのは、王城で与えられていたストレスが緩和されたからかもしれない。
否定も肯定も出来ないベルベットは困った末に尋ねた。
「……ルーナちゃんってどんな娘?」
「なんだよ、いままで聞こうとしなかった癖にいまさら……まあいいけど」
青年は清浄な空気にあてられたのか、普段のような反発も起こさずすらりと答えた。
「控えめすぎるくらい静かな子だよ。怖がりで、少し睨んだだけで泣きだしそうになるから、正直うざったいと思ったことがある」
「……ふーん」
「でも芯が強いんだ。荒れた俺にも引かずに接し続けて、親切にしてくれた。王子じゃなくてもいい、俺が俺のままでも好きだと言ってくれた。柔らかい……日射しを思わせるような子で、彼女の意見は自然に耳を傾けたくなるような聡明さに溢れてた」
まるで物語のような台詞だと思ったが、美しい思い出に廃れた大人の感想を挟むのは野暮だ。さらに話を聞き出そうとしたのだが、スティーグからも疑問があったらしく遮られた。
「俺を気にかけるより、リノ達のことを考えたらどうだ」
「どうって?」
「あの二人が付き合い出すのは時間の問題だ。平民と貴族じゃ釣り合いがとれないのはわかってるはずだし、まさか無理矢理引き離すなんてしない……というかできないだろ」
「おっしゃるとおりで……」
リノも、リリアナも、ベルベットやグロリアにとって大事な存在だからこそ、無理に二人の想いをねじ曲げるような真似は出来ない。悩みの種にスティーグが切りだした。
「どうせ俺はそのうち王城に戻らなきゃならない。リノがその気なら、ハーナット家に騎士階級の地位なら何事もなく与えてやることが出来る」
それは彼なりの気遣いだったのだろうが、残念ながら、ベルベットはその申し出を受けられない。
「ありがとう。でも、それは本人達の意思を確認してからだろうし、本当に行き詰まったら相談させてもらえるかな」
「いきなりほしいと言われて準備できるものじゃないぞ」
「わかってる。もしリノが望むのならすごく助かる申し出だし、選択肢が増えたのはわたしも嬉しいけど、それは貴方の評判を悪くする可能性だってあるからね」
なんら功績を持たない平民を贔屓目で引き上げても、スティーグにいいことはない。安易な返事を避けたのだが、なぜか青年は戸惑った。
「平民から引き上げられるのに、不服なのか……?」
「いまは生活に困ってないからね。それに地位が上がったって、それに見合う頭がなきゃ意味ないし。わたしはそんな責任を負える人間じゃないよ」
やる気がない人間が地位なんてもらったところで持ち腐れだ。
そう口にすると、スティーグは彼女を理解できないもののように見るような顔になった。喜んで貴族の仲間入りになりたいと思われていたのだろうか……これには心外な心持ちになるベルベットだが、どうやら違ったらしい。
「位が上がれば、少なくともいまよりは人より敬われるのに、興味ないのか?」
返答を茶化すか迷ったのは一瞬。スティーグに心底からの迷いを感じ取って、真面目に答える。
「敬われたところで、そんなの別に欲しいものじゃないし」
「称賛がいらない?」
「称賛より、皆が立派に元気で育ってくれる方が嬉しい」
金の大事さは知っているし、喉から手が出るほど欲しいものではあるが、執着し過ぎては醜い姿を晒すことになることも知っている。それは母が亡くなったときに嫌というほど見たから、大事にするのは家族だと決めている。
その返答に、スティーグはしばらく固まったようで、もしや彼女のような感性の人間は、少ないのだろうかと疑問を覚えたところで、コッコッコッコという鶏の声に眉を顰める。
「あの子達、鶏は小屋に入れとけって、あれだけ……」
ハーナット家は緑に囲まれている。近くには森もあるし、時々鶏目当てに獣がやってくることだってある。家畜の世話は双子に任せているだけに、朝に引き続き、彼らのやらかしに振り返ったところで……思わず自分の目を疑う。
「…………?」
カラフルな鶏がいる。
ハーナット家で飼っている鶏はほとんどが茶色だ。間違っても肩羽だけや、尾や、胸毛だけを緑やどぎつい青色に染めた鶏など飼った記憶はない。
鶏は小刻みに頭部を動かしながら地面をつつき、地中の虫を貪っている。
ベルベットの動揺に気付いたスティーグは、こころなしか疲れた目つきだ。
「あ、昨日、双子が花から作った染料をもらったとかではしゃいでてな」
目を縦に開いたベルベットの首がぐりっと動くが、彼女の反応を予測していたスティーグはあえて視線を逸らしている。
「さらに悪い報せがあるとしたらだな。いや、俺はやめとけって言ったんだけど……」
「なに、あいつら何をやったの」
「ジンクスが……ほら、あいつ、子供が好きっぽいから全然逃げなくて……」
それを聞いた途端、ベルベットは走った。向かうはジンクスとレンブラントを放している放牧場。遠目に葦毛の姿を認めると、その尻や長く揺れる尻尾に異色を見つけてしまった。
ベルベットの姿を認め近寄ってきたジンクスには、尻付近に斑模様の不自然な色が入り込んでいる。彼女が密かに愛でている黒から灰にかけた尾には不自然な緑や赤が入って、すべてが台無しになってしまっている。
声も出ないベルベットにジンクスが優しく鼻を押しつけるのだが、牡馬には瞼の上にも擦って伸ばしたような赤色が差し込んでいる。
ぴきん、と思考にヒビが入ったような感覚が襲い、一瞬を置いて彼女は再び走る。
家ではグロリアが寝ぼけ眼のラウラの世話を焼いている最中だったが、それすら目に入らない。般若の形相で腹の底から二階に向かって絶叫した。
「ギルバード! メイナード!! お前達いますぐ降りてこい!!!!!」
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