2-16.カフェの二階の保護者達
必要以上に買われているような気がするも、悪い気がしないのが困ったところだ。エルギスの眼差しに奇妙な居心地の悪さを覚えていると、スティーグが二人へ呼びかけた。
「おい、まだ他の教会に行く時間はあるか?」
「教会っていうと東の?」
「この中央教会を取りしきる司祭と中が良くないと聞いたことがある。うまくいけばルーナのことを知っているかもしれない」
めげずに頑張るつもりらしく馬を回そうとしたのだが、それを止めたのはエルギスだ。
「スティーグは僕が対応しておくから、あんたはアイツの相手を頼む」
「アイツ?」
「それとなく右斜め後ろを見な。カフェの二階席からずーっとスティーグを見てる兄貴がいるだろ?」
「わぉ、うちの上官達もいる」
こっちに気付けと言わんばかりにコルラードがアピールしており、その存在に気付きたくなかったために頭を掻いた。
「……あれ、いつから?」
「ほとんど最初から」
ベルベットはカフェへ向かうのだが、案内された二階席に他の客はいない。二階席を丸々を貸し切ったようで、あたたかな陽射しと澄み切った風が心地良い席で、普段よりランクを落とした服装の王子は眼鏡をかけている。もしかしたら変装のつもりかもしれないが、背後に佇むギディオンやコルラードに威厳がありすぎて、ほぼほぼ意味はない。
エドヴァルドの向かいに設けられた席に腰掛けるベルベットに、歓迎の微笑が向けられた。
「ただでさえ苦労をかけたのに、弟の面倒まですまないね」
「こちらこそ、その節は色々失礼しました」
「父と母は気にしないでくれ。私から話して、何も問題ないようにしているから、君に害が及ぶようなことにはならない」
「ご配慮感謝します」
それより気になるのは、彼の背後で目尻を痙攣させている男性だ。服装としては内務めのようにも思えるが、それにしたって体格が良すぎるし、いかつい顔つきがクマを連想させる。
エドヴァルドはこの中年男性をスティーグの教育係だと簡単に紹介し、弟の現在に安堵した。
「エルギスや……それに君がギディオンに寄越した手紙で、あの子がなんとか落ち着いてくれたようで安心している」
そっと瞑目し胸をなで下ろすエドヴァルドの睫毛は長く、ギディオンの存在と合わせ、まさしくそれだけで絵になる姿は女性を魅了し尽くすに違いない……と呑気な感想を抱く。
「今日、話をしておきたかったのはスティーグのことだけではない。私なりに君に言われたことを考えてみたんだ」
エドヴァルドが難しそうに眉を寄せたのは、スティーグを預かると告げたときの話のことだろう。
「確かに私はあの子……いや、彼の意思を無視しがちだった……のではないかと思う。私にとっては子供のままでも、本人にとってはむず痒い心地だったろうから」
「……まぁ、その、思春期は難しいですから」
果たして安易に同意しても良いものか。返答に窮しながら答えると、エドヴァルドは深いため息を吐く。
「正直、物を投げられたときは少し腹が立った……が、私が彼の心を傷つけたのだろうな。あれは甘んじて受け入れるとしよう」
「冷静になっていただけてよかったです。いえ、わたしも出しゃばって申し訳ないとも思っているのですが……」
「あの時は思うところがなかったと言えば嘘だが、いまでは間に入ってくれてよかったと思っているよ」
落ち込む様子を隠さないエドヴァルドは、珍しく肩が丸まっている。
ベルベットは「そうですか」と無難な返事で乗り切り……迷いながら切りだした。
「それはそれとして物を投げてきたことは叱っていいのでは、と思います」
「そうだろうか……」
ベルベットは思う。
どうして平民かつ近衛でもぺーぺーの己が、王子、しかも次期国王たる人物を相手に、上司達の前で相談じみたことを言っているのだろう……と。
しかしこれもスティーグを預かるといってしまった手前、保護者として向き直った。
「わたしが申し上げるのもなんですが……」
こほん、と気まずさを誤魔化すように咳払いを零す。
「暴力を容認するのは別です。力での支配をお許しになっていては、例えば将来素敵なお嬢さんがスティーグ殿下の身内になったときに大変です」
「……ああ、それは、確かに」
「殿下は罪悪感があるせいで境目があいまいになっているのでしょうが、それとこれとは区別しても良いのではないでしょうか。まあ、スティーグ殿下もアレは悪いと思っているようですから、次からは問題ないと思うのですけれども」
「悪い、と彼も思っていたのだろうか」
「反省はしていました」
なお、反省を促したのはベルベットではなく彼女の弟妹達である。子供達は口が達者で、やいのやいのと捲し立てられたスティーグはしょげて肩を落としていた。
その姿を思い返しながらベルベットは伝える。
「いまは多少暴走気味ですが、スティーグ殿下は人を慮ることのできる良い子です」
「……良い子、か」
まるで幼い子供を扱うように言ったからだろうか。エドヴァルドは笑い、つられてベルベットも微笑んだ。
「文句は多いですが、例えば私達が彼の行動を制限する理由も、説明すればきちんと理解してくれます。エドヴァルド殿下のことも嫌っているわけではないですから、話し合えば仲直りもできるのでは……と、エルギスも言っていました」
「それは、たとえばいまからでも大丈夫だと思うかい?」
「いまはルーナ嬢のことで精一杯なので……」
「……そうか。君が言うのなら、まだ見送った方がいいのだろうな」
落ち込むエドヴァルドはスティーグと話をしたいのかもしれないが、それにしたって、ベルベットのひと言で簡単に引き下がるではないか。あまりに信頼されすぎると逆に心配になるが、スティーグの心に余裕がないのは事実だ。
少女の名前に苦々しさを隠せないエドヴァルドに尋ねた。
「殿下、部外者の口出しにお気を悪くしないでもらいたいのですが」
「部外者と言うには、いまさらではないかな」
「……ありがとうございます。で、ルーナ嬢の行方は、本当にご存知ないのですか?」
「残念ながら、彼女のお父上である伯爵以外は誰も、といったところだ。行方がわかるまでは、スティーグには部屋で大人しくしていてもらいたかったのだけどね」
「では、殿下達すら全容を把握できていない状況ですか」
「情けない話だが、隠し事しようにもできないというのが正しい」
他にも事実確認を進めると、やはり伯爵は娘の恋を何も知らなかった……ということで正しいらしい。噂の信憑性の高さをいくらか確認したところで、問いかけられた。
「君は何故スティーグを保護したのだろう」
「はい?」
「私にはわからないのさ」
エドヴァルドはすっかり冷めた紅茶を啜る。
「君は同じ弟持ちとして共感したようだが、スティーグが大切なグロリアを公衆の面前で傷つけたことは忘れていないはずだ。多少なりとも思うところがあったのではないかな」
「ない、といったら嘘になりますね」
「私に遠慮しなくていい。姉として面白いはずないだろうに、どうして彼を助けるばかりか世話を焼き、あまつさえ私に対してまで助言を行う?」
加害者の兄としてはもっともな疑問。
一瞬、回答を誤魔化すかを考えたが、博愛の心を持っているなんて誤解されるのは御免だ。
「まあ、そうですね。普通であれば殿下を助けることはしません。ですのでなぜ彼を助けているのかと問われたら、こうとしか答えようがないのですが……」
懺悔すれば許しを与えてくれる道士のように寛大な心は持っていないし、大事な家族を傷つけた人間は、後々まで根に持つくらいには狭量だが、むやみやたらと怒り散らすわけではなく、それなりにボーダーラインがある。
ゆえに返事は難しくなく、当たり前のように言った。
「グロリアが怒っていないから、ただそれだけに尽きます」
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