2-15.素直になれない魔道士
国に深く根ざしている三大神教はサンラニアに大教会という拠点を持っているが、王室と教会がイコールで繋がっているわけではない。両者は互いを尊重しているが、教会は特殊な権威を有しているから、内部は治外法権エリアになる。
もしルーナが教会送りにされた噂が真実であれば、彼女の実家である伯爵家は教会へ多額の寄付を行っているだろうし、王家との関係を踏まえれば、いくらスティーグが正体を明かそうとも、醜態を晒したばかりの第二王子に情報を渡すはずがないのだ。
フードで顔を隠したエルギスから包み焼きを受け取るベルベットは、落ち込むスティーグにさもありなん、と言った。
「そりゃあ、ね。たとえ教会がルーナ嬢の行方を知ってたって、教えるメリットがないもの」
肉と野菜を薄く焼いた生地で包み、油で焼いたものだ。味はピリリと刺激のある胡椒の効いたもので癖がある。朝からスティーグに付き合ったために空腹を満たす手段として買い求めたのだが、エルギスのお気に召す味ではなかったようで、一口食べただけでベルベットに譲った。
「店を見たが、油が使い古されて真っ黒だった。なんであんたは腹を壊さないんだ」
「さぁ? 慣れじゃない?」
グロリアも似たようなことを言っていた覚えがある。さらにはエルギス達を泊めるようになり、なおさら彼らに注意されるようになったから、これまで廃棄まで日をかけていた食材を捨てる羽目になったのは記憶に新しい。そのことに対し少々未練のあるベルベットは、意趣返しを込めてエルギスを頭からつま先まで見下ろす。
「私は好き嫌いがないだけだし、そんな細かいこと言ってるから痩せてるんじゃないの?」
「は? どこからどう見ても僕は標準体型だが?」
「うちの近衛の人達に比べたら、体格の差なんて歴然じゃない。コルラード殿と並んだって変わらないくらいのくせに」
「あんな筋肉馬鹿共と一緒にするなよ」
呑気な護衛二人はさておき、ゆっくりしていられないのはスティーグだ。教会というあてが外れた青年は、苛立ちを隠せない様子で往来する人々を睨むように佇む。
きっと次の手段を考えているのだろうが、彼を見守る二人が会話を続けていると、そろりと二人に近づく人がいた。
「ベルベット、そんなところで一体なにを?」
獣医のヴィルヘルムだ。紙袋を片手に持っているのは買い出しの帰りだろうか。
「ちょっと野暮用。ヴィルは買い出し?」
「ええ、助手の手が空きそうになかったので、ちょうど暇だった私が……そちらは?」
彼が注目したのは、当然フードを目深に被った人物で、ベルベットは笑顔で取り繕った。
「彼は気にしないで。ちょっと恥ずかしがり屋さんな腕の良い薬師なの」
「そうですか……初めまして、獣医をやっているヴィルヘルムです」
「……どうも」
朗らかに挨拶を行うヴィルヘルムに反し、エルギスは警戒気味だ。
そんな彼にヴィルヘルムは苦笑した。
「ベルベットがいたからつい声をかけてしまったのですが、野暮用と言うからには仕事の途中だったのかな。いや、申し訳ない」
「知らない顔をされるほうが悲しいけど?」
「……そう言ってもらえると嬉しいな」
ヴィルヘルムがベルベットを見る眼差しは柔らかく、親しみに満ちているが、仕事中と聞いて残念そうだ。
「貴女には少し聞きたいことがあって声をかけたのだけど、仕事中ならまたの機会にするよ」
「え、なに? 馬のことだったりする?」
「私的な質問だから気にしないで……と、なにか?」
目深に被ったフードに隠れていたエルギスがじっと見つめるのは、その穏やかな風貌だ。無言の、しかし一度見てしまったからには見過ごせない訝しげな眼差しに、ヴィルヘルムが怯む。
何かを見定める様子だったエルギスは「いや」と口を開く。
「貴族なのに、わざわざ出歩いて買い物するんだなと思ってな」
「そういう貴方も、貴族なのに市井に出向いているようです」
エルギスは怪しさ満点ではあるが、一目では貴族かどうかは見分けがつかない。その一言にヴィルヘルムを警戒するように身を固くすると、すかさず戯けたような降参のポーズで返される。
「失礼。仕事柄、様々な方にお目にかかるためか、貴族かそうでないかを見分けられるだけなんです。脅かそうとかそんなつもりで言ったわけじゃない、どうか警戒しないでほしい」
謝罪を口にすると、不承不承エルギスは警戒を解いた……ようにベルベットの目には映る。真実はともかく、安心したらしいヴィルヘルムは胸をなで下ろした。
「私が貴族らしくないとは、その通りです。身の回りのことは自分で行いたいので、我が家に使用人は置いていないのです。余程忙しくない限りは、こうして買い出しも出るのですよ」
「ふーん、変わってるんだな」
「そうかもしれません。ですがこうしてベルベットに会えたように、友人や患者の子達に会えるので、自らの足で出向くのも悪くないんですよ」
これ以上エルギスを刺激してはならないと思ったのだろうか。見る者が惚れ惚れするような笑顔で別れを告げ、颯爽と去って行く。
ヴィルヘルムを見送るベルベットは、顔は笑顔のままでエルギスに尋ねた。
「エルギス、機嫌悪そうだけど?」
どうもエルギスは納得していないように映るのだが、間違っていなかったらしい。
「なんか気に食わない」
「珍し……と言いたいところだけど、そういえば貴方って人見知りが激しかったっけ。なんか、でそこまで警戒しないでも」
「慎重に相手を見定めていると言え」
「猜疑心の塊なだけでは」
「馬鹿いえ。この審美眼が備わっているからこそ、僕は魔道士としてやってこられたんだ」
「その割に、患者とはいえわたしとはすぐ打ち解けてくれたじゃない。これでわたし、けっこう悪いこともする人間よ?」
「悪いことって言っても、僕が見たところ、あんたはやっていいことと悪いことは弁えてる」
エルギスは笑いながら肩をすくめる。
「なあ、あんたはナシクのいかれた連中みたいに、異教徒は罪だって叫びながら親から赤ん坊を奪って、子供だけはって泣き叫ぶ彼らの前で、赤ん坊を木に叩きつけるられるか?」
ナシクと比べられるのは、いくらなんでも気分が悪い。しかめっ面になるベルベットの表情で、エルギスは満足したように薄く笑い肩をすくめる。
「ほら、大丈夫だ。あんたが言うその「悪いこと」っていうのも理由があると信じてるよ」




