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2-1.律儀なのか面倒なのか

 ねえちゃん、と誰かに揺さぶられてベルベットは目を覚ました。

 目元を拭う彼女を見下ろしているのは、くりっとしたアーモンド型の目元が愛らしい弟のメイナードで、隣では双子の片割れであるギルバードが口元を尖らせている。


「ほら、怪我もなく無事だ。大丈夫だって言ったじゃん」

「でもねえちゃんだぞ。去年セロに突っ込まれてあばら折ったときは突っ伏して倒れてたじゃん」

「そうだけど、クッションまで持ち込んでたら流石に違うって」

「セロの頭がずっと乗ってたら息が苦しいじゃないか」


 双子の会話で、ベルベットは下半身がずっしりと重く、麻痺したように身動きできないことに気付いた。そういえばなぜギルバードが距離を取っているのか、答えは彼女の足の上にある。


「……おはよう二人とも。ちょっとだけのつもりが、けっこう寝ちゃってたのか」

「ねえちゃんセロと一緒に寝るなんて馬鹿だなー……あっごめん、ごめんって!」


 口の悪いメイナードの肩を強く掴み、わざと体重をかけながら上体を起こす。

 太腿の上に乗っていたのは愛馬のセロの頭部だが、肝心の馬は双子に心地よい時間を邪魔されたせいで、ばたんばたんと尻尾を揺らしている。

 身を起こすベルベットは眠る前の行動を思い出す。

 この日は休日。外から帰ってのままクッションを持って放牧場に直行したのだ。セロとじゃれながらくつろいでいたところ、彼女は眠気に負けた。普段ならセロを乗せたまま眠りはしないが、余程疲れが勝ったのだろう。セロの気分と位置次第によっては息の根が止まっていたので、褒められた行動ではないが、このあたりは長年の付き合いと、愛馬の賢さによってできる芸当だ。

 ベルベットは動こうとしない相棒のセロの顔を叩く。


「セロ、重い。どいて」


 動いてくれる馬ではないので当然無視される。


「二人もセロを退かすの手伝ってくれない」


 双子へ助けを求めたが、二人はとっくに姉から離れて、隣の放牧場からこちらを羨ましそうに眺めているジンクスの元へ行ってしまった。鼻をぶにぶに押しながら遊びはじめるので、どうやら助けを求めることは不可能らしい。

 一応抜け出すこと自体は難しくないのだ。ただセロは完全に遊びモードだったらしく、ベルベットの服を食んで引っ張るから、服のボタンを守るためにも慎重にならざるを得ない。愛馬に付き合えば土だらけになるのは必然で、セロの要求を満たして帰る頃にはメイナードが呆れていた。

 手に持っているのは放牧場に来る途中に放り投げていた上着で、姉に渡そうとしたものの汚れに慄き、上着をぎゅっと握りしめる。


「こんなところに仕事着放り投げるのやめなよ……大事じゃないの?」

「制服は替えがあるから大丈夫」

「汚れ落とすのに泣くのは兄ちゃんやリリアナなんだぞ。大体今日は仕事じゃなくて休みなのに、制服なんて着てどこ行ってたのさ」

「野暮用」

 

 うっすら汚れた姉に双子は距離を取っている。家に到着すると、ベルベットは乱暴に頭を掻きながら、変わり果てた家の外観を見上げた。


「……うちも随分様変わりしたよなぁ」


 つい感慨深くなってしまうのは、いまだ家の変わりように慣れないからだろう。

 家の建て替えを行ってくれたのは、デイヴィス家の養女でありながら、いまなおベルベット達に愛情を注いでくれている実妹グロリアだ。

 彼女のおかげでハーナット家は変貌を遂げた。

 古い家畜小屋は解体され、馬小屋は綺麗に改築。放牧場の更なる整地に加え、敷地内放牧のために家の周りにはしっかり木柵が作られたりと、あらゆることに至れり尽くせりだった。

 家ではすでに竃に火が入っている。


「おかえりなさいませ、皆さん」


 出迎えてくれたのは、エプロン姿が可愛いメイド服姿の女の子。眼鏡の似合う聡明そうな娘はいかにも育ちが良さそうで、家主達が姿を見せると溌剌とした笑顔を向けてくれる。

 少女の恭しく恭順する姿、一見主と雇い主のようにも思えるが、彼女はベルベットの妹であるグロリア付きの侍女だ。養子にもらわれて行った家……つまりデイヴィス侯爵家の使用人で、本来は平民の家で箒を握るような人物ではない。

立ち居振る舞いを含めた所作から、高等な教育を受けているのは明らかなのだが、本人が楽しんでいるのは明らかだった。

 ベルベットも顔を綻ばせる。


「こんにちは、リリアナ。貴女がいるってことは、グロリアは今日来る予定?」

「はい。お嬢様は学校が終わり次第こちらへ来るとのことでしたから、わたくしはいつも通り、食卓のご用意をさせていただいております」

「そっかそっか、今日もありがとうね」

「とんでもない。わたくしにまで合鍵を作っていただき、恐縮するばかりでございます」

 

 生活のため仕方なく家事をするベルベットは、お世辞にも家事は得意ではない。グロリア付きの侍女であるリリアナは、主人に綺麗な住まいを提供するため、進んで家事を手伝ってくれている。

 薄汚れたベルベットにリリアナは目を丸めたが、すぐににっこり微笑んだ。


「タオルも洗って干してあります。お食事の支度をしておきますので、ベルベット様は汚れを落としてくださいませ」

「あー……お言葉に甘えます」

「今日は暖かいですからラウラちゃんの髪を洗って、お手入れしてきてはいかがでしょう」


  この場にいないグロリアに言わせると『とんでもないこと』らしいのだが、サンラニア人は毎日洗髪をしない。暑い日や汗をかいたときはその限りではないが、基本的にデメリットの方が大きいためだ。

 元々別の世界の人間だった妹の世界だと「ドライヤー」という温風が出る道具があったらしいが、この世界にそんな便利道具はない。洗髪後は乾燥まで時間がかかるから髪が傷む要因になるし、ちょっとでも冷えると風邪を引く。ベルベットのように体が頑丈だったら毎日でも大概平気だが、末妹のように病弱だと一回の風邪で容易に悪化を辿るから、髪を洗うタイミングは重要だ。

 それでも今の新しい家は格段に断熱性能が上がっているから、以前よりも格段に機会は増えた。

 ふと下を見降ろせば、ラウラは既に刺繍の手を止め片付け始めている。


「お姉ちゃん、行こう」


 などと手を引かれてしまえば断れない。

 地面がタイル状になった手押しポンプ場を、大きな布地で囲んだのがハーナット家の風呂場だ。ただし風呂と言っても、閑散とした見目の通りちゃんとした仮設風呂だ。以前のハーナット宅基準で述べるなら水浴びは立派な風呂なのだが、グロリアという貴族令嬢基準では違うそうだ。

 彼女基準で述べるなら、風呂とは浴槽と温かいお湯があってこそ。

 どうやら新しいハーナットの家にも湯を自在に扱える風呂場を用意してくれるつもりらしく、その関係で工期が伸びて中途半端な風呂場の状態が続いている。

 工事さえ完了すればお湯も自在に使えるようになるとかで、それを妹のラウラは楽しみにしている。この時もベルベットに髪を洗ってもらいながら声を弾ませて言った。


「おねえちゃん、本当にグロリアちゃんの言うとおり、お風呂場が完成したらポンプを押すだけでお湯が出るようになるのかな」

「みたいだね。グロリアは魔石の手配や工事が終わったらっていってたから、まだ先だと思うけど」

「お湯を使えるようになったら、冬に寒い寒いって言いながら身体を拭かなくてよくなるね」

「風邪も引かなくてよくなるかもね。ラウラも油断すると風邪を引いてたし、嬉しい?」

「嬉しいけど、それよりお姉ちゃんがお湯を沸かすために何度も行き来する必要がなくなるのが嬉しい」

「……ん、そだね」


 家の改築や井戸掘り、水場の手押しポンプ設置はともかく、湯を自由に使えるのは中流家庭でも裕福層の贅沢品だ。家の改築もだが、グロリアの善意であっても彼女にすべて費用を賄ってもらうのは如何なものか……そう思ったベルベットはいくらか金を包んだが、これはすべて拒否されていた。

 新しい家に盛り込まれたグロリアの心遣いは他にもある。

 造りは全体的に、片足が不自由かつ身体の弱いラウラを考えた家づくりで、たまに車椅子を使う彼女のための動線も考えられている。

 洗い上がりのタオルを取るベルベットは尋ねる。


「たまにもう片方の足が上手に動かなくなるの、あれは良くなった?」

「ん、まあまあ」

「……そっかぁ。また先生に診てもらわないとだね」

「いつも「わからない」ばっかりだし、次も一緒だよ。困ってないからいらないよ」

「でも昔、両方の足が駄目になりかけたときは先生が助けてくれたんだよ」

「覚えてないし、お金かかるからいい。それよりお家にいて」

 

 稼ぐためには外に出ねばならない。そのため不在がちなベルベットに不満を持っているから、医者に診せるとなるとこんな言葉が出がちだ。


「……いろんなお医者さんに診てもらったし、もう足はいいよ。片足も慣れてるもん」

「うーん、それはお姉ちゃんが諦めきれないからなぁ」


 諦めろとラウラは言うが、無論本心ではない。

 駆け回る兄達を羨ましそうに眺めていることをベルベットは知っていたし、なにより動く方の足は、負担をかけがちなせいか痛がることが多い。そのうえ時折とはいえ麻痺し始めるなど、これまでで一番悪い兆候だ。安い痛み止めはラウラには負担が大きいから、薬を使うのも慎重だった。

 汚れを落とし、さっぱりとした気分で戻るとギルバートとメイナードが言った。


「姉ちゃん、弓矢が壊れた」

「明日みんなで的当て行くから作り直してー」

「はー!? この間作ってあげたばっかりでしょ!?」

「壊れたもんはしょうがないじゃん」

「っていうか明日って、今言うこと!? そろそろ夕方なんだけど!」

「姉ちゃんが作ったやつが一番使いやすいって、皆が言うからさー」


 つまり人に貸しまくって壊したらしい。ベルベットは青筋を立てるも、リリアナの手前怒鳴り散らすわけにも行かない。説教は夜に回し、材料を取りに外に出たところで声をかけられる。

 ベルベット、と呼ぶ声は男だ。振り返ると、馬を下りたばかりの黒尽くめの男が二人いる。

 美丈夫だが眉間の皺が深い男と、切れ長の憂いを帯びたような魔道士だ。見目麗しくもまるで正反対の見目を持つ二人組は知っていた。


「隊長にエルギス、ふたりして一体何事ですか」

「用事があるから来ている」

「そりゃごもっとも」


 とはいえ、今は材料を取ってくる方が優先だ。暗くなってから納屋を探すのは骨が折れるし、下手をすれば骨張った木材で怪我をする。

 親指で家の方を指差し、歩きながら告げた。 


「すぐ行きますから家で待っててください」

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