22.今度は間違えないために
家で休む予定を変え、ベルベットは外出を決めた。
「行ってらっしゃい」
弟妹達を見送ると身なりの良い服装で整え、髪もほつれ一つ出ないように整えると、鏡の前に立っていたのは健やかなる麗人だ。颯爽と馬を繰る彼女には、そこかしこから熱い視線が注がれる。
ゆるやかな丘を駆け上がり、たどり着いた先はサンラニア学園だ。
事件の直後で警戒態勢が高かったものの、学校側はベルベットを記憶していた。予定にはない訪問であるにも関わらず、ベルベットの要望を聞いてくれたのだ。
個室に案内されたベルベットは窓際に立ち、人工物と自然と調和のとれた学び舎を見下ろしている。
さほど待ち時間はなかった。
面会室の扉を叩いたのはグロリアで、せっかく訪ねたベルベットにも浮かない表情だ。
「こんにちは、ハーナット様。あの時の視察以来でしょうか。あの時は殿下の……」
「人払いしてるから誰もいないでしょ。普通にしたら?」
気軽なベルベットに対して、妹はどこか不満そうだった。念のため廊下に誰もいないことを確認すると鍵を掛け、声を潜めながら席に座る。
「どうして学園に来たの。変に怪しまれる行動をするなんて……」
「別に怪しくはないと思うな。学園には事故の対応へのお礼で、爆発後にも毅然と対応してくれたデイヴィス家のご令嬢に会いたいっていったら、簡単に納得してくれたし」
「なにか悪そうな顔をしているのはそういうわけですか」
「悪そうなんて人聞きの悪い。わたしはただ……」
「ただ?」
続きは肩をすくめるだけで止めた。
近衛入りする前では学園に訪ねに行くことさえ許されなかったはずで、身分の隔てる壁がおかしかったのだと……そんなことは言うべきではない。グロリアには誤解させたまま、いまにも帰りたそうな彼女に切り出した。
「学校に押しかけたのはごめん。授業中なのは知ってたんだけど、そうでもしないと会えなそうだったからさ」
「リリアナに言ってくれたら家に行ったのに」
「嘘。こうでもしないとグロリアはわたしに会ってくれないでしょ?」
「なにいってるの?」
グロリアの瞳に動揺が走ったのは見逃さない。ベルベットは彼女から目を逸らさないが、かといって咎めるつもりもないので声調を変えずに続ける。
「わたしじゃデイヴィス家は門前払いだろうし、貴女の学校の送迎は基本馬車。外で会うにもわたし達じゃ不自然だし、無理やり二人きりの状況を作らないと話せない」
「私が家に行けばいいだけじゃない」
「わたしが家にいないときに来るのなら会えないのは変わらないでしょ?」
「姉さん、大丈夫? 変な勘違いしてない? ちょっとハーナットに行ってなかっただけで、大袈裟な……」
「大袈裟だと思うの? 本当に?」
演技は上手いがベルベットを誤魔化すのは無理だ。
「何があったか知らないけど、貴女、わたしを避けてるでしょ」
「根拠もなしにおかしなこと言わないで」
「ほんと、昔からそういうとこ変わらないんだからさ」
軽く嘆息をついた。もしかしたらグロリアがベルベットを嫌った可能性も考慮したのだが、生憎と何かやらかした覚えもない。
「まあ、わたしも押しかけるのはどうかと思ったけど、あんな無茶して戻ってきたいって言った癖に、そうやって人を避けようとするのはあんまりだと思うわけ」
「避けてなんかない、誤解しないでよ」
「あ、そう? じゃあまーた勝手に何も言わずに、一人で心にしまい込んで決める?」
ベルベットが不服だったのはこれだ。
彼女がまだ少女だったとき、妹の養子行きは引き留めるのを止めた。
理由はすべてグロリアの望みだと、それが彼女のためだと思ったから諦めた。なのに十年経って蓋を開けてみれば、グロリアの本当の望みはハーナットの家に帰ることで、ベルベットや弟のことをいまだに忘れていないと言われた。
ベルベットは怪我を負った時、グロリアが泣きそうになりながら彼女の手を握っていたのを覚えている。そんな妹が、せっかくのベルベットの復帰に「勉強が忙しいから」なんて理由で会いに来ないのは明らかに変だろう。流石にあからさますぎるし、それで二度も騙されてやるほど妹想いでもない。
もしベルベットの言葉が的外れであれば、グロリアは柳眉を逆立て感情を露わに怒っただろう。だが彼女はそうしない。その他大勢の人達にするように、貴族の娘としての仮面を被って冷静であろうと振る舞う。
……それがすでに嘘をついている証拠なのだと、なぜこの子は気付けないのだろうか。
「とりあえず理由だけでも話してよ。もしかして王子を庇って怪我をしたことが嫌だった?」
「違います。姉さんは義務を果たしただけで……」
「あの日死にかけたこと? それとも会うなって言われたアリスちゃんと話しちゃったこと?」
「えっ」
初耳、といった顔だから知らなかったらしい。
であればベルベットにはお手上げだ。アリスの話にはグロリアの瞳が揺れたものの、以降理由を聞いてもだんまりを決め込み、膝の上で固く拳を握っている。
ベルベットは内心困り果てた。
――あー、これ、話す気がないな。
じっくり話を詰めても良いが、あまりグロリアを長時間拘束しても学園側に怪しまれる。逃げ切ればグロリアの勝ちの状態で、ベルベットは面白くなさそうに腕を組んだ。
「どうしても話したくない?」
「関係ない人に話す理由はないもの」
カチンときた。
「…………へー。関係ない人かー」
実をいえば、押しかけは行き過ぎた行いだったかもと思っていた。
それに言葉もきつかった……と内心反省していたら、これだ。柔らかな言葉を選んでいたら、お前は関係ないと言われ、冷静さは溶けてなくなった。
ベルベットはおもむろに窓を開き、外に向かって大きく息を吸う。
「姉さん?」
「みなさまご静聴くださーーーーーーい!!!!」
叫んだ。
グロリアもびっくりするほどの大声だ。誤って聞き取り間違いを起こさないよう、ベルベットはゆっくりと腹の底から声を出す。
「わたしーーー!! ベルベット・ハーナットはぁーーーー!!」
「え……えっ、え……あっ!?」
「グロリア・デイヴィスのーーー!! 実のあ」
「だめええええええええ!」
何をバラそうとしているのか気付いたグロリアがベルベットに突進した。眺望を重視した窓の額縁はベルベットの腰下もなく、勢いづいたせいで二人諸共、窓から大きく身を乗り出す。
場所は三階。落ちて打ち所が悪ければ死ぬだろう。ベルベットはなんとか枠に手をかけるも、二人分の体重を支えるには指の力が足りなかった。
「あっ、まず……」
「きゃああああああ!?」
「この……!」
持ち前の運動神経か、グロリアを部屋に押し込めたものの、反動でベルベットは頭から落下……となる前に、腰のベルトをグロリアが掴み、必死の形相で引っ張り叫ぶ。
「いやーーー! 落ちないでー!」
「落ちない、落ちないから、いいからそのまま支えて!」
二人は滅茶苦茶になりながらも窓から離れ、今度は力尽きて尻餅をつく。
理由がないなら理由を作ってやろうではないか……と思い立ったせいで、投身自殺するところだった。
ベルベットが胸をなで下ろしていると、グロリアの反応がない事に眉を顰める。
「グロリア、どしたの?」
床にへたりこみ、呆けたように姉を見つめていたグロリアがぼろぼろと涙を流しはじめる。小さく嗚咽をこぼし、喉を震わせると、ベルベットは目に見えて慌てはじめる。
「え、どうしたどうした。なに、ごめん、怖かった……!?」
グロリアに抱きつかれた。
ベルベットは飛び込まれた衝撃で後頭部を打ち、目に花火を飛ばしたが、子供のように泣きじゃくる妹の前で痛がってはいられない。
グロリアはうわごとのように繰り返した。
「死なないで。お願いだから、どこにもいかないで」
「生きてるってば」
「違う。そうじゃないの」
「何が違うの」
「私のせいなの! 私が、シナリオが終わったって安心してたせいで──」
あとはごめんなさいと繰り返し、ぐずぐず泣くばかりで話にならない。縋り付いて泣くグロリアに、気の抜けたベルベットは天井を仰ぐ。
「…………あのさぁ、わたし、信用してもらえてないのかなーと落ち込んでたから会いにきたんだけどー」
聞いていやしない。
もはやこの場でできることとなれば、グロリア涙拭き専用のタオルになることだ。ベルベットはすべてを諦めると一定のリズムを刻みながら、まるで赤子をなだめるかのように妹の背を優しく叩き続けた。