14.姉妹を隔てるもの
「わかった。極力殿下には近づかないって約束する……これでいい?」
ベルベットは約束するが、彼女の「お願い」はまだ絶えない。
「もうひとつ気にしてほしいことがあって……」
「まだなにかあるの?」
「……姉さん、学園に行ったときに私の同級生を助けたでしょう?」
「ああ、あの可愛い女の子」
言うや否やグロリアの眉がつり上がる。
「できればその子にも近づかないで」
「近づかない……って、別に知り合いでもないし、そんな機会もなさそうだけど」
「近々、学園に殿下の訪問があるってことは知ってるの。だから万が一って話なんだけど……」
「…………ねえ、その子となにかあったの?」
グロリアは多少変なところを気にする娘であっても、ベルベットの人間関係を制限するような人間ではないはずだ。彼女なりの理由があるはずだが返答は要領を得ない。
「な、なにもないわ。本当よ」
「喧嘩したとか、仲が悪いとか、嫌いとかじゃなくて?」
「そういうわけじゃないの。でも、関わったら絶対何か巻き込まれるから」
「なんで巻き込まれるって断言できるの?」
おかしな話ではないか。
グロリアは逃げようとしたが、ベルベットの鋭い眼に項垂れた。
「……あの子は主人公だから」
物語の「主人公」がすぐに浮かぶも、それがなぜ近寄ってはならない理由になるのだろう。それにあの時出会った女の子は確かに可愛かったが「主人公」に該当するような娘には見えない。
ベルベットは素直な心中を口にした。
「主人公って、私からしてみたら貴女の方がよほど主人公な感じがするのだけど」
「へ?」
「だってそうでしょ。貧乏な家から養子にもらわれて、容姿端麗で、勉強もできて、そのうえ王子殿下の元婚約者」
グロリアの方がよほど“らしい”のに、肝心の本人は悲しそうに目を伏せる。
「褒めてくれるのは嬉しいけど、私は引き立て役でしかないし」
「そんなこと……」
「あるの。自分が一番よく知ってる」
まるで自分には資格がないと言わんばかりだ。
普段は自信に溢れている彼女らしくない反応に、ベルベットは両手で妹の頬を包み顔を寄せる。乱暴な行動にされるがままの妹に、固い声で告げた。
「貴女がどう感じるかは貴女次第なんだろうけど、わたしにとってグロリアは可愛い妹で、世界に一人だけしかいない、最高に可愛らしい主人公なわけ」
「でも……」
「グロリアはそんなわたしの気持ちを否定する?」
グロリアを支配するのは迷いだ。
しかも先ほど一瞬だけ瞳の奥に宿した懊悩は、これまで妹をみてきた中でもとびきりで、しかも質が悪い。いまになってデイヴィス家を離れたがった理由に、他にも理由があるのではと思い至ったくらいで、ベルベットはすぐさま己を恥じた。
もし養子縁組の理由がベルベットの思うような理由ではなかったのだとしたら――申し訳ないことをした。
「グロリアは昔から一人で抱え込みすぎじゃない?」
「私が?」
「養子入りを決めたときに誰にも言わなかったのもそうだけど、ひとりで決めて行っちゃうでしょ。結果としてうちには良い結果を招いたけど……」
こうしてグロリアがハーナット家に帰りたがっているのを踏まえれば、恩恵を受けたのはベルベット達だけ。ベルベットは勝手に妹を美化し、なんでも平然とこなす完璧な娘と信じたかったのではないかと……不安になった。
「グロリア、本当はやっぱりデイヴィスに行きたくなかったんじゃないの?」
妹の心を支配するものは何だ。心配するベルベットにグロリアは唇を噛んで手の平を握りしめる。やがて意を決した様子で顔を上げた。
「あのね。笑わないで聞いて欲しいのだけど、実は私……ひゃっ」
グロリアが飛び上がる。
どうやら寝ていた老犬がグロリアに構ってもらうべく手を舐めたらしい。
我に返ったグロリアはいつも通りだ。
老犬を撫でるグロリアは苦笑気味でおどけてみせた。
「たいした話じゃないの」
「たいした話かどうかはわたしが決める」
「違うの。私はただ知ってただけで、最悪の未来を回避したかっただけ。自分の選択だし、後悔はしてないのよ……デイヴィス家が楽しかったのも本当だもの」
「じゃあなんで……」
「この子が遊んでもらいたがってるし、一緒にセロのお見舞いに行ってくる」
「グロリア」
ベルベットの伸ばした手も虚しく、グロリアは出て行ってしまう。
一人残されたベルベットは力なく椅子に座り込む。片手でぐしゃぐしゃに髪を乱すと、頭を抱えるように呻きを漏らした。
「なんで、辛そうに笑うのよ」
ベルベットはまた失敗した。
……彼女の人生は、肝心要の時においていつもこんな感じだ。
妹の養子入りを止められず、家族を支えるのもギリギリで、適応するとは聞こえはいいけど状況に流されっぱなし。妹の本音を聞き出すことすらできないほどに信頼がない。
自分自身で頑張った方だと励ましても、実力不足はもうとっくに気付いている。
密かに抱え持つコンプレックスや引け目を、どんよりとした瞳の奥に宿し――。
「……情けな」
力なく机に倒れ込んだ。
学園視察の日、ベルベットは王子を迎える馬車の近くに立っていた。
出発時から空気がひりついているのは、数十人もの護衛全員が気を張っているためだ。国外に出るわけでもなく、ただの学園視察に大仰ではあるのだが、これがサンラニアの王族警護だ。
なぜなら隣に聖ナシク信教国が在る。
彼の国の信徒は自らの神を信ずるあまり敬虔な国民ほど凶悪で、異教徒とあれば子供でさえも平気で傷つける。
サンラニアはナシク人の入国を禁じているのに、見境のない殺傷沙汰が度々起こって国内を騒がせるからやっかいなのだ。
当然サンラニアの象徴である王族も狙われる。
おそらくナシクの教義を知らしめることが目的なのだろうが、ナシク人は人々が多く集うところを襲う傾向にあった。近衛が警護を厳戒にするのは当然で、このときばかりはベルベットも長剣を下げている。
改めて見る警護対象は幻想的な夢の中から抜け出してきたようだった。彫刻めいた完璧な肌と、切れ長の目元。王室の中でも屈指の美しさを誇る存在で、ひとたび微笑むだけで周囲の人々を引きつけ虜にしていく。
それだけでも注目を集めるのに、後ろに付き従うのは黒尽くめの魔道士エルギスだ。
グロリアが家出してきた際、最初に会ったのが彼だったが、物憂げな瞳は相変わらずだ。彼はベルベットとそう年も変わらないのに、歩んでいるのはエリート街道だ。
最後に彼らに付き従うのがエドヴァルドの近衛隊長ギディオン。エドヴァルドの傍にあって引けを取らない風格があり、冷たい視線は周囲の者たちの背筋を自ずと正させる。
側近と会話を楽しみながらやってくる王子の足は遅い。
さっさと乗ってくれないか……そんなベルベットの思いと共に、やっと馬車の近くにやってきたエドヴァルド。彼と一瞬目は合ったが、笑い合って手を取り合う仲ではないので互いに無視だ。
王子が馬車に乗り込むと、合図と共に近衛は馬へ騎乗する。ギディオンを先頭に馬車を囲み、ベルベットは後方に位置して後を追った。
大仰な列は市民の注目を集める。
エドヴァルドが手を振るたびに歓声と、そして若い女性の嬌声が上がる一方で、ベルベットは別の意味で安堵している。
「せめてお前が周りと足並みを揃えられるくらいにはせねば、隊長の顔が立たん!」
こう叫んだコルラードから、彼女は地獄の特訓を課せられた。
無論、これは隊のためだけではなく、コルラードなりの部下への配慮である。彼は個人的な時間を割いて新人が使い物になるまで付き合ったのだから、その想いを知ると逃げるなど到底できなかった。
ベルベットは特訓の甲斐あって隊の律を乱さず、一分の隙もなく敬礼を取れるようになった。……が、覚えることがありすぎたせいで、彼女の精神は疲労困憊だ。
この日を終えたら家族からの褒美が待っている――その一心だけで彼女は今日に挑んでいる。
学園で王子を出迎えたのは学園長である老人と、学園に多額の投資を行っているデイヴィス家のシモンだ。
シモンは初めて遭遇したときとは違い、立ち居振る舞いは一般を凌駕している。教師然とした雰囲気はあるものの、上品な着こなしと優雅な仕草は、まさに貴族の風格を体現するかのようだ。
他にも宮廷魔道士や近衛隊長と揃っているから、十代半ばの多感な少年少女は空気に当てられやすい。感嘆の息があちこちから上がっていた。
学園長がエドヴァルドの手を両手でいただき、敬意を払って軽く持ち上げる。
「殿下にお越しいただき、まこと恐悦至極に存じます。どうぞごゆるりと見て回ってくださいませ」
「学園長、そう固くならないでくれ。視察とはいうが、私もこの学園で学んだ者だ。どちらかといえば懐かしさを覚えているよ」
「そうでございましたな。殿下は覚えが良すぎて、少々つまらないと教師の間では評判でございました」
「それはすまないことをした。陛下の顔に泥を塗りたくないと必死だったものでね」
校内をぞろぞろ押しかけるわけにもいかない。護衛に付くのは少人数であり、そこに今回はコルラードではなくベルベットが入ることになる。
学園長がにこやかに生徒を紹介した。
「殿下はすでにご存知でしょうが、卒業以降、少々変更になった授業もございます。案内はこちらの生徒達にお任せしたいと存じますが、よろしいでしょうが」
「うん、それも構わないが……」
案内役を賜るからには優秀な生徒達なのだろう。
エドヴァルドは鷹揚に頷くも、そこにある一人の生徒を指名した。
「シモン。よければお前の妹も加えてもらえないか」
「しかし、殿下……」
「いや、これを機に話をしておきたくてね」
一同の注目を集めるは、歓迎の出席を余儀なくされたグロリアだ。彼女ははじめエドヴァルドの頼みを断ろうとしたが、王子のある動作に一瞬目元を険しく細め、最終的に了承した。
エドヴァルドは一瞬だけベルベットを見たのだ。
一連のやりとりにベルベットは内心で舌打ちをした。
何故この日において自分が指名されたのか、遅まきながらようやく理解したのだ。
内心で罵倒が絶えない中、グロリアが案内の一人に加わると、ふたりはにこやかに挨拶を交わす。
「今日は改めてよろしく頼むよ、グロリア」
「はい。どうぞお手柔らかにお願いいたしますわね、エドヴァルド殿下」




