13.人はそれをフラグという
走っていると勘違いされそうな速度で廊下を歩く途中で、二人はある人物とすれ違う。
濡れ鴉のような艶やかな髪色をした宮廷魔道士エルギスだ。
如何なる用か、彼女達の姿を認めた青年は「おい」と声を発する。
「あんたの薬を届けに来たんだよ。この間の怪我の痕が傷むって……」
「ならば俺の机に置いといてくれ。それかセノに渡しておいてくれ」
「そりゃ構わないが、あんた、その後ろの女はこの間の……」
「用事はそれだけか? 急ぐから行くぞ」
ギディオンは早足で抜けてしまう。唖然としたエルギスに見送られながら、ベルベットは上官に問うた。
「よかったんですか」
「薬の受領だけだ。それにあいつがこちらに足を運ぶなど、大方サボり目的だろう。手伝ってやる理由はない」
サボりの多い人物らしかった。
「薬というのは?」
「時々ある話だ。怪我を負って傷口は塞がったはずがわけもなく痛むというな。あいつはそういう調合も上手い……それより獣医だ。拾って行くぞ」
ギディオンの馬は近衛隊長所有だけあって立派だった。
足首がどっしりと太く、頑丈な馬体。青鹿毛の黒っぽい体が太陽光を反射する様は惚れ惚れとするほど美しく、いかつい顔立ちをしているのに、間近に寄れば額の白い稲妻模様と、くるっとした瞳がアクセントになって誇り高さを感じさせる。
ギディオンが顔を見せただけでも喜んでいたら、ベルベットが鼻先に拳を近づけ挨拶するのも許してくれた。
「軍馬なんですよね。これだけ大きいと動きが鈍かったりしませんか」
「たしかにこの存在感だ。目立つ分だけ注目を集めるが、オーランド・キース二世は機敏で頭が良い馬でな。特に苦労した覚えがない」
「……なるほど。ちなみに一世は?」
「祖父の偉大な馬だった」
この男、彼女が考える以上に相棒への思い入れが強い。
ベルベットはギディオンの計らいで特別に馬を借りることができた。若々しい雄の葦毛はまだ調教中だが、他の強い馬……オーランド・キース二世がいれば言うことを聞く。
葦毛に跨がりながら追いかけたのは、住宅街から離れた場所にある森林地帯だ。
前庭に大型犬が何匹もたむろしている以外は診療所とは思えない屋敷で、よく訓練された犬達は客人を静かに出迎える。
群れのトップと思われる犬が開け放しの扉の中に入って行くと、時を置いて二十歳中頃の男性が現れる。髪を結わえた眼鏡の男性は、両手を広げながら破顔した。
驚くべきはこの人が目的の人物だったことだ。髪を結わえた眼鏡の男性はギディオンを歓迎し、ベルベットの愛馬の容体を聞くとすぐに支度を整えてくれた。
オーランド・キース二世は二人分の体重をものともしない力強さで走り出したのである。
「貴女とは初めましてですよね、ベルベットさん! 私は獣医のヴィルヘルムです、騎士院とは専属契約を結んでいます」
「よろしくお願いします、先生。でもなぜわたしの名ご存知なのでしょう?」
「そりゃあ、ギディオン隊長さんのところにお綺麗な人が入ったって有名ですからね。一緒に居れば一目瞭然です」
「ヴィルヘルムは黙れ、舌を噛むぞ!!」
一行がハーナット宅に到着すると、そこで出くわしたのはグロリアだ。馬車が裏手に回っていたためベルベットは気付けなかった。
ギディオンの顔を見た途端にグロリアは悲鳴を上げ、もっていた水桶を落とした。
「いやぁぁぁぁ! あなた、姉さんに何をするつもり!!?」
隣家まで距離があることを感謝したのはこの時が初めてだったかもしれない。
グロリアはわなわなと肩をふるわせギディオンに怒り、次にヴィルヘルムの姿を認めた。
「あなた……まさか獣医のヴィルヘルム・ルディーン!?」
「は、はい。たしかに私はルディーンの出ですが、面識があったでしょうか。貴女様は……デイヴィス家のグロリア様……え、姉……?」
「先生! 馬はこちらです、さぁ!」
ベルベットはヴィルヘルムの背中を押して無理やり移動させる。
ヴィルヘルムは混乱しきりだったものの、元気のない牝馬を前に役目を思いだした。すぐに触診に入りながらベルベットにも再度聞き取りを行い、慎重に判断をくだして行く。
「傷ならば治癒魔法で治せます。たとえば腸が曲がっていたり、食べ物が詰まったのであれば切開後に治癒魔法で対処可能でしょう。ですがそもそもこの子自身が抱えている問題だとすると――」
「ち、治療方法がない、とか?」
「注射を打っておけば安定の手助けにはなるでしょうが、これではっきりと治るというものではありません。大事なのは安静にさせることなんです。悪化した状態が続くと突然死の恐れがありますから」
突然死と言われ心臓が凍りそうになっていると、淡々と説明していたヴィルヘルムも気付き、安心させるように目元を和らげた。
「このまま休ませるならきっと落ち着きます。それはベルベットさんが無理に動かさなかったおかげなんですよ」
突然死の可能性を示唆したのは、人々にとって馬が移動手段だからだ。
必要だからこそ、代わりの馬を用意できない人などは無理をさせてしまうのだ、とヴィルヘルムは説明する。ひとまず愛馬が死ぬことはないとわかったベルベットは、背中に冷や汗を流しながら口を開いた。
「……今後は走らせない方がいいですか?」
「軽い騎乗なら大丈夫でしょうが、もう早駆けは勧められませんね。……ベルベットさんの仕事の手伝いはできなくなるでしょうが、それでも飼い続けられますか?」
働かせられなくなったら処分する飼い主も少なくない。安楽死を選ぶ人が多いからの質問と察し、頷いた。
「早駆けだけが役目ではありませんから、面倒は見続けられると思います」
「そうですか……良かった」
役目上、その手の光景も見続ける場合が多いのだろう。
処方された薬は人間用よりも量が多く、かつ効き目が強いために決して口にしないよう注意を受ける。明日も様子見に来てくれると言って、耳を絞って怒り始めたセロに対し眼にあたたかな光を宿す。
「可愛がられているのですね、今日は頑張ったと褒めてあげてください」
ハーナット家の問題はこれで解決をみせたが、問題はまだ残っている。
最後まで診察を見届けていたギディオンはヴィルヘルムにある約束を求めた。
「すまんが、ここでグロリア様を見たことは黙っておいてもらえるか」
この時にはヴィルヘルムも、聞かずとも大体を察していたのだろう。
「無論、口外いたしません。騎士院に足を踏み込いれていれば、そういった秘密を知ることも少なくありませんから……ベルベットさんもご安心ください」
口約束に留まったが、ギディオンはヴィルヘルムを信頼しているようだし、バラされることはないはずだ。
ヴィルヘルムを診療所に送るというギディオンは、ベルベットに葦毛馬を託した。
「もう一頭置くだけの環境はあるようだし、しばらく使っておけ」
「そんなこと言って後悔しませんか、私用で使いますよ」
「承知の上だ。ついでに真っ直ぐ走れるよう調教しておけ」
余計な仕事を増やされた気がするが、移動手段が維持できるのは素晴らしい。
別れ際、彼はベルベットに言った。
「あそこまで人に懐いているなら大事にしているのだろう。長生きさせてやれ」
馬は臆病な生き物だ。
元気がなかった点を加味しても、突然知らない人間が押しかけて暴れなかっただけ、セロのベルベットに対する信頼感は厚い。
客人達が帰ると、愛馬のもとには教会学童を休んでいた弟妹達が向かった。
皆、セロとは長い付き合いだから、ずっと心配していたのだ。ベルベットも愛馬の首を撫で抱きしめたかったが、その前に居住まいが悪そうなグロリアを気にした。
室内には姉妹二人きりだ。
「なんで昼間っから貴女がうちにいるのかな。今日、別に休みの日じゃないはずでしょ」
「……ちょっと頑張る気がなくなったのでサボりました」
学園や成績に関してはデイヴィス家の範疇だ。ベルベットにとやかく言う権利はないが、ため息は吐きたくなる。彼女の思いをよそに、グロリアは半眼でベルベットを見上げた。
「姉さん、私の知らない間に随分ギディオン様と仲良くなったのですね」
「なんだかんだで良くしてもらってるからね。四六時中言い争いするのも駄目でしょ」
「……そうね、ギディオン様は悪い人じゃないもの。懐に入った人には優しいって言うか、そんな感じだけど」
ギディオンに随分詳しいのは、やはり第二王子の婚約者だったからだろうか。文句をいうに言えないらしい葛藤に眉をキュッと寄せている。
「ねえグロリア、貴女、ヴィルヘルム先生のこと詳しかったみたいだけど、知ってたの?」
「え?」
「名前まで言い当てたじゃない。先生、かなり驚いてた」
「そ、そう? だってあの先生、動物に優しくて良い人で有名だし……攻略対象だし……」
ぼそりと囁くような後半の呟きは、ベルベットにはよく聞こえない。
「あの先生、大型動物がほとんど専門なんじゃないの。デイヴィス家に縁なんてあった?」
「う、うううちも一応馬を飼ってるし、評判くらいは聞きます!」
「……ねえ、そんなに嘘が下手で大丈夫?」
「んなぁ! なにをおっしゃるのですか、私、これでも最近は茨の女と新しい異名があるくらいなんですから!」
こんなにわかりやすくては、魔境と名高い社交界で上手くやっていけるのか心配になる。ベルベットの心配をよそにグロリアは勢いよく姉へ詰め寄った。
「姉さん、お願いだからエドヴァルド殿下には関わらないで」
「なんでいきなり殿下の名前が……でも関わるなってさ、それこそ無理でしょ。わたしがあそこで働く限り、顔を合わせるときだってあるだろうし…」
「親しくしたり、話したり、そういうのは全部ダメなの。お願い」
「……グロリア?」
「お願いよ」
グロリアはいまにも泣き出しそうだ。
到底無理な頼みなのだ、そう思ったが考え直した。なにせあの殿下は一般で流布されている評判と正反対で、平民に優しくない。
きっとベルベットとまともに話そうとはしないだろう。親しくなるというのもグロリアの行き過ぎた妄想だ。




