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10.できないもどかしさを知っているから

 二人の視線の先にいるのは学園の制服に身を包む学生だ。

 やや急ぎ足で少女に近寄ると、その娘は胸のあたりを押さえながら座っている。

 ギディオンには身振りで自分が行くと伝えれば、彼は強面の自覚はあるらしく譲ってくれた。

 ベルベットは少女の横から柔らかく話しかける。


「失礼。お嬢さん、もしかして気分が悪いのですか?」

「え? あ……」


 少女の肩口くらいまでの髪がさらりと揺れ、汗がかった額に張りついている。

 グロリアとは方向性の違う、愛らしさが際立った少女だった。

 少女は青い唇を震わせる。


「ま、魔力酔いを起こして……」

「そっかそっか。苦しかったねぇ」


 ベルベットに魔力酔いの経験はないが、弟が何度か吐いていた時があったので症状は理解している。酔いといえば聞こえはマシだが、実際は内臓をかき回されるような痛みが伴うらしい。

 指の爪の先で娘の髪を優しく払うと、肌は冷たく冷え切っていた。

 ベルベットはギディオンには聞こえないよう、少女の耳元で囁く。


「よかったら貴女をわたし達に学園街まで運ばせてほしいのだけど、後ろのお兄さんに運ばせても平気? 知らない男性だし、怖かったらわたしが運ぼうか?」

「そ、そこまでお手を煩わせるわけ、には……」

「まあまあ、ここで放っておく方がわたしたちの心に悪いから、こっちを助けると思って」


 気負わせないように笑うと、少女はベルベットの腕とギディオンを見比べ、申し訳なさそうにギディオンを指差す。


「ごめんなさい……」

「なんで謝るの。いい判断だよ、お嬢さん……隊長、出番ですよー」


 さすが鍛えているだけあって、少女を抱えて坂道を歩いても脚力は衰えず、スムーズに少女を治療医のもとへ送りとどけた。

 治療医からお礼をもらって引き上げる際、ベルベットは純粋な疑問をギディオンに投げる。


「学園に運ばなくてよかったんですか?」

「学生であれば、学園街の医者なら誰でも問題ない。この街の医者達は密に連絡を取り合っている」

「だって学校医ならタダだけど、外は治療費がかかるじゃないですか。まさか学園街の医者だったら、学生さんはお金をとられない?」

「先に出てくる言葉が金か?」

「重症ならともかく、まず医者にかかるにもお金が先に浮かぶでしょう」

「金がなければ医者に行かんとでも言う気か」

「ひとまず死なない感じなら行きませんね」


 どちらの意見が間違っているわけではない。

 彼のような人物は人命優先なのかもしれないが、生活環境が違えば考え方も違う。

 価値観の違いはギディオンとてわかっているはずで、憮然としながらも答えた。


「この小さな街において、学園の生徒なら医療行為は当然、寮住まいなら毎食付き、生活物品も多少安く融通される」

「寮……」

「弟を寮に入れるか? それも手だが、まともな寮生活を送らせたいなら寄付金を考えておけ」

「やだやだ世知辛い。弟は自宅から通わせますが……学園に詳しいですね」

「セノフォンテの弟が寮住まいだ。そちらも俺が紹介状を書いた」


 ギディオンは慣れた様子で学生街を歩き、周囲の観察を行う。


「お前こそ学生の特権を知らなかったのか」

「知るわけないでしょう。私には縁のない場所ですよ」

「だが学園街(ここ)には時折足を運んでいたのだろう?」


 今度はベルベットがしかめっ面になる番だ。

 溜飲が下がったのか、ギディオンの目が嫌味に笑う。


「およそお前にあたらせた任務は確認してある。ほとんどが使い走りと情報屋紛いの仕事だが、学園街には率先して行っていたらしいな」


 彼の目は如実に「グロリアを気にかけていたのだろう」と語っている。

 ベルベットは舌打ちを零しかけるも、道ばたから寄せられる複数の視線に思いとどまった。

 上官は意にも介していないが、興味いっぱいにヒソヒソ話をする娘達がいたのだ。ベルベットが手を振ると、少女達は歓声を上げて友達と盛り上がる。

 セノフォンテの言葉を思いだし、ベルベットは表面上だけの笑顔を作った。


「わたしの前歴が何の役に立つんですか」

「何が得意かは知っておく必要がある。それより、よく笑えるな」

「だって女の子は可愛いですからね」

 

 変に注目されてしまっているが、恥ずかしいという気持ちはない。それより装いでこうも反応が変わる現実に、皮肉のひとつやふたつ口にしたい気分だった。

 ギディオンは表面上にこやかなベルベットへ奇異な生き物を見るような眼差しを送るが、何も言わず仕事に専念した。見回りを終える頃には時間が経ち、これがベルベットの近衛隊長ギディオンとの初仕事になる。



 その日はグロリアが性懲りもなく泊まりに来たのだが、彼女はベルベットと顔を合わせるなり、軍服へ着替えるよう要求した。


「街でギディオン様と見たことのない女騎士が歩いてたって噂を聞いたの。それ、絶対姉さんでしょう!」

「人違いでしょ」

「いいえ、姉さんよ。噂になるほどの人なんて、絶対姉さんです。それ以外にいるものですか!」

「それよりわたしに今日の日程を確認した方が早くない?」

「じゃあ今日はどちらにいらしたんですか」

「学園街」

「ほらぁ!」


 ハーナット家の食卓には買ったばかりのパンや新鮮なチーズにハムが並んでいる。

 弟妹達は固く乾いたパンとの別れに喜び、ベルベットは焼きハムとトマトを味わっている最中だった。リリアナが同席しているのは、使用人という概念がない子供らによって招かれたためである。

 ベルベットは肘をつきつつ、フォークでハムの切れ端を刺す。


「着替えだっけ?」

「はい、私に姉さんの制服姿を見せてください」

「そのうちでいいでしょ。私けっこう疲れてるし、見せる機会はいつでもあるんだから」

「嫌。他の子達はすでに見ちゃったんですから、私にも見せて!」

「着替えるの面倒。お腹いっぱいでお腹たぷたぷだしやだ」

「だってリノたちだって見たんでしょ!? ねえ、リノ!」

「うん、それは、まぁ」


 リノが気まずげに視線を逸らした先にはラウラがおり、目をキラキラさせながら言った。


「あのねグロリアちゃん、お姉ちゃんすっごくきれいだったよ!」

「ラウラもこう言ってますよ。姉さん、見てないの私だけです!」

「嫌だってば」


 こうしてみる分には年相応の姿を見せるグロリアだが、社交界で“玲瓏なる一輪の華”と揶揄された令嬢はどこに行ってしまったのだろう。

 グロリア・デイヴィスは誰にも心を許さず、拒絶の微笑を絶やさないと噂の……かつてベルベットが遠目から見ていた彼女は幻だったらしい。

 ベルベットに着替えるつもりがないと知ったグロリアは不機嫌になり、チーズに囓りつく双子をチラリと見た。

 

「姉さん、姉さん」

「今度はなに?」

「肘をつかず、お行儀良く食べてください。そういうところがこの子達の将来に影響するんです」

「肘くらい……はいはい、そうね。学んでおくに越したことはない、はあなたの言葉だったっけ」


 肘を下げたベルベットは、末っ子達へ正しいナイフの使い方を教える妹の姿に思いを馳せる。

 彼女の帰還は彼女のためにならないと思っていたのに、結局、この世話焼きに助けられている。

 ベルベットは背筋を伸ばす。

 ――忙しくなる前は礼儀作法もしっかり教えようと思ってたのに、すっかり忘れてた。

 下の三人が大きくなるにつれ、家のことに手が回らなくなったから忘れていた。

 多忙だったのは理由がある。

 母の死後はいくらか楽になったが、育ち盛り達を歪めず、まっとうに育てるためにはそれなりの金が必要だ。

 その金のために奔走した。

 学校に通うなど、はなから考える余地すらなかった彼女では、高給取りになるは難しい。前の上官に巡り会えた時点で、運を使い果たしたと感じていたのに、いまはどうだ。

 それがいまはどうだ。

  綺麗に畳まれた洗濯物と、清掃された部屋に彼女は居て、財布の硬貨を気にしなくていい食事が目の前にある。

 弟妹達が起きている時間に帰宅できる時間のゆとりがあった。

 夜もとっぷり更けた時刻に疲労困憊でふらつきながら、金だ家事だの気を取られながら眠りにつかなくて良いだけで、どれほど恵まれているかを痛感している。

 リノはよくやってくれているが、勉強をしながら三人の面倒を見るには限界があったし、いずれどこかで綻びが生じると、ベルベットも本心では限界を悟っていた。

 自分の無力さを突き付けられるような心地だが、いまは目の前にある笑顔を享受し――。


「……姉さん?」

「ん?」


 グロリアを筆頭に弟妹達が姉を見ている。

 その姿は一様に姉を案じており、心配をかけたというのにベルベットは笑いがこみ上げてしまう。


「……なんでもない。それよりご飯食べなさい、せっかくみんな揃ったんだしね」

「もちろん食べますけど……」


 それまで身を縮み込ませ、小動物のようにサラダを食べていたリリアナが手を挙げた。


「お嬢さま。やはり、わたくしはいない方が……」

「あら、どうして?」

「……ええと……せっかく皆さまお揃いですから」

「おばかさんね。あなたがいたからこそ家が綺麗に片付いたし、料理だって手際よく準備できたのよ。一番の功労者を労うのは当然でしょ。そうよね、姉さん?」 

「そうそう。うちとしては一人増えたところで変わらないし、こちらを思ってくれるなら、同席してくれると嬉しいな」


 リリアナは召使いゆえ主張は激しくないが、グロリアが見込んだだけあって気が利く娘だ。ベルベットは背後の棚から瓶を掴み取った。


「じゃあ出すタイミングが遅れちゃったけど、乾杯しましょうか。わたしからの感謝の気持ちを込めて、この葡萄ジュースも一緒にね」

「葡萄……それは!」


 リリアナの好物は弟妹達を通して確認済みだ。

 自己主張を始める弟妹達にも甘い飲料を注ぎ始める。

 ベルベットでは長らく与えてやれなかった、賑わいと安らぎの食卓だった。


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