承 婚約破棄
キャロルはまだ入場していない様だ。
僕は、ネペンテスと壁の花になりつつ、はやる心を押さえて彼女の入場を待った。
もうすぐだ。もうすぐ。
そうするうち、司会がアングリッシュドペア家の入場を告げた。
来た。
もうすぐ、キャロルが僕のものになるのだと、胸を高まらせながら彼女を探す。
彼女は、いた。
しかし、何故か、おぞましい程に美しい男にエスコートされていた。
「え」
思わず、妙な声を上げてしまった。
何故なら、かの男は、辺境の辺境伯家の令息で、極めて容姿が優れている事で有名なドミニク・ブリッチングスタンドその人だったからだ。
何故、キャロルがそんな男にエスコートされているのか。
――彼女は……キャロルは僕のものだ! 離れろ、豚!
混乱しながら状況を整理しようとするが、考えが全くまとまらない。僕に出来る事は、心の中でドミニクを罵り、キャロルから離れる様に命じる事だけだった。
それは、他の貴族も同じだった様で、ざわめきが会場に広がる。
特に愚兄は、イーディス嬢を放って、キャロルとドミニクに詰め寄った。
「キャ、キャロル! これはどういう事だ! 」
「これはアルバート殿下。ご機嫌麗しく」
「麗しくなどないわい! 何故お前がキャロルをエスコートしている」
舞台俳優の様な威風堂々とした態度と声で挨拶したドミニクに、愚兄は苛立ちを隠さない。
「私が頼んだのです。本日、エスコートをして欲しいと。新しい婚約者になったのですから、これくらいの事は当然ですよね」
「何?! 新しい婚約者!?」
アルバートは訳が分からない、といった表情だった。僕も彼に近い表情をしているだろう。
「この場を借りて宣言させていただきます。私とアルバート様との婚約は解消されました。私は、新たにこちらのドミニク・ブリッチングスタンド様を婚約者にさせていただきますわ」
ざわざわと、ますます会場は混乱する。
「そういう事です、殿下。彼女はあっしが幸せにするのでご安心を」
「そ、そんな事認められるか! こんな事」
「認めるも認めないも、すでに話はついているのです」
キャロルは、扇子で口元を隠すと、言葉を続ける。
「……殿下。あなた、私の事、嵌めようとしていましたよね? そこの浮気相手の男爵令嬢と一緒に、まさにこの夜会で」
「な、何を言っている!でまかせはやめろ」
愚兄は、図星を突かれて目が泳いでいる。キャロルはため息をつくと、手を打った。すると、アングリッシュドペア家の家人が紙束を持ってきた。
「殿下、防諜には気を使わなきゃいけませんよ。情報が漏れていました。あなたが私を嵌めようとした証拠がここに」
「なぁ!?」
アルバートはそれをキャロルからひったくると、食い入る様に読んだ。みるみる顔が青くなっていく。
だが、彼は驚くべき行動に出た。力任せに紙束を破り捨てたのだ。
「ど、どうだ!これで証拠は無くなった!!」
その行動自体がやましい事があると言っている様なものなのだが、混乱状態の彼にはそんな事も考えられないらしい。
「まだありますよ」
キャロルがまた手を打つと、別の家人が予備の証拠を書いた紙束を持ってきた。
「うがぁぁぁぁぁぁ!」
アルバートは、発狂しながらそれを奪い取り、破り捨てる。
「頑張ってください。まだまだありますよ。」
アングリッシュドペアの家人達が一列に十数人並んだ。皆、手に証拠を持っている。
更に別の家人達は、出席した貴族達に、新聞屋がばらまく号外記事の様な感じで、紙束を配っていく。各所で「うわぁ~」と引く様な声がする。
まずい、この状況は非常にまずい。僕がアルバートを煽っていた事は裏を取ればすぐ分かる事じゃないか。
僕の焦りを無視する様に、キャロルは話を続ける。
「我々アングリッシュドペア家は、これまで王家に忠誠を誓ってまいりました。しかし、それに対して、この仕打ちはあまりにも酷い。我が父上も、この浮気した上に、冤罪を吹っかけて婚約破棄をしようとした前代未聞の事には、大変お怒りでしてね。すぐに婚約解消を認めてくれました。すでに私と殿下の婚約解消は、陛下との間でも合意済みでしてね。私とあなたは、もはや婚約者では無く、ただの第一王子と、公爵令嬢です」
そう一息に言うと、キャロルは、仲睦まじげにドミニクと口を重ね合った。
――やめろ……! やめろ……! 豚! キャロルは、僕のものになるはずだった。はずだったのに!
「新しく婚約したドミニク様は、とても聡明で優しい方で良かったです。これ程の男が何故今まで婚約者がいなかったのか、不思議なくらい」
「いやぁ、実を言うと、今まで二次元の女の子にしか興味が無かったし、あっしは次男だから婚約者もいなかったんだけどさ。なんとなく、アングリッシュドペアから来たお見合いを受けたら、意気投合してしまいましてね」
「お互い趣味が読書と創作なんて、運命を感じてしまいました」
ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな!
僕が……僕が、何年キャロルを目前にして悶々としていたと……! それをこの男は一回のお見合いで、意気投合して婚約までいっただと! どこまで僕のプライドを踏みにじれば気が済むんだ!
僕の心の中で活火山が噴火している事なぞ、まったく気にせず、キャロルは言葉を続けた。
「さて、殿下。この婚姻は陛下からアルバート殿下への王命だったはず。更にそれを、アングリッシュドペア家の令嬢に冤罪をかけ、最悪の形で婚約破棄しようとした。……それ相応の処分は覚悟していますよね?」
「ひ、ひいぃぃぃっ?! 」
キャロルの瞳は、罪人の首を斬る直前の死刑執行人の様な、慈悲の一切無いものになっていた。
「ぼ、僕は第一王子だぞ! それを貴様は!」
「あなたは、負けてはいけない戦で負けたのです。潔くしなさい。さ、王弟殿下?」
これまでのやりとりを黙って聞いていた叔父上は、溜息を一つつくと、護衛として会場にいた警備兵に命じる。
「第一王子、アルバートを逮捕せよ。ついでに、あやつをたぶらかした男爵令嬢もだ。元はと言えば、彼女が悪い。ただし、処分は兄上が帰り次第決める故、罪人としてではなく相応の礼をもって接しろ」
「「「「ははっ!」」」」
「お、叔父上~!?」
「な、何で私まで!?」
アルバートと男爵令嬢は、警備兵達に取り押さえられて、会場から引きずり出されていった。
残るは、煽り立てた僕の処分だが……。
しかし、キャロルはそれ以上、この件を喋ろうとはせず、代わりに僕に近づいてきた。そのまま、扇子ごしに小声で耳打ちしてきた。
「今回の件、かなりあなたも絡んでいたそうじゃない?」
惚れている相手だというのに、ぞくりとせざるをえない。
「……」
「沈黙は肯定と受け取るわね。……ま、お陰で良い婚約者も得られたし、馬鹿王子とも別れられた。それにあなた、私に惚れていたそうじゃない。ふふ……。私は何でも知ってるのよ。まぁ、可愛いから今回は特別に不問にしてあげるわ」
「……」
「ただ、一切ペナルティ無し、というのもどうかと思うのよ。だから、もしも今後、今回の件が巡り巡って、あなたに王位を届ける事になるというなら、アングリッシュドペア家とブリッチングスタンド家を、ちょ~と贔屓してくれると嬉しいわね」
「考慮します」
「ふふふ。楽しみにしてるわね。……未来の王太子様」
そう言ってキャロルは、僕の耳元から顔を離した。
「ああ、そうだ、煽りというには下品な話なんだけど」
何かを思い出したようにキャロルは言う。これ以上、何があるというのだ。
「ナニとは言わないけど、ドミニク様のモノ、太くて固くて凄く良いわよ」
「……!?」
「対するあなたは、結構お粗末らしいじゃない。好きな女を雑に取られた上、男としても完敗とか、可哀想にねぇ……」
「……っ!!」
「じゃ、私はドミニク様と共に辺境に帰るわ。アデュー」
そう言って、キャロルはドミニクの元に行ってしまった。
色々な意味で完全敗北した僕は、呆然自失するしか無かった。
「我が主、これから忙しくなりますが、やけ酒するなら、今晩くらいは付き合ってあげますよ」
ネペンテスの優しさが逆に辛い。
「はは……。ネペンテスは流石優しいなぁ。今日は乾杯しよう。負けてはいけない戦で完敗した事に」