起 自作自演
「……キャロル・アングリッシュドペア! 私は本日をもって君との婚約を破棄し、このイーディスを新たなる婚約者とする!」
「ブラボー。そんな調子で良いかな」
マーヴェリックフォーク王国の王城。そこの舞踏の間……ではなく、控室には、僕、パピヨン・マーヴェリックフォークと、兄、アルバートがいた。
僕がこの国の第二王子、兄は第一王子。本来、こんな所で油を売っている暇はない、暇はないのだが、今はそれなりに大事な用事がある。
「な、なぁパピヨン、本当にこんな感じで良いのか? 」
兄は、そう不安そうに聞いてきた。その自信なさげな態度に、僕は心の中で舌打ちをしつつ、彼をおだてた。
「大丈夫ですとも。後は、勢いで乗り切りましょう。何、キャロル嬢を嵌める為の証拠は既に捏造済みです。あなたは、とうとうとキャロル嬢を断罪し、婚約破棄を宣言すればよろしい」
「そ、そうか……」
相変わらず、小心者だな。そう心の中で兄を罵倒した。やはり、この国の次期国王には僕が相応しい。
「ネペンテスもそう思うだろう?」
僕は、心の中で思った事を、傍に控える女性に聞いた。
「はい。そう思います」
彼女は、僕の従者の侯爵家の娘、ネペンテス・アイアンメイデン。僕、パピヨンの乳母の娘。いわゆる、乳姉妹というやつだ。
地味な色味の黒髪をロングヘアにして、同じく黒い瞳の、よくも悪くも癖のない、なんでもそつなくこなす有能な従者だ。
僕の心の声には、兄はちっとも気付いていない様だった。
弟の有能な乳姉妹の答えに、少し自信を持ったのだろう。
「よ、よし、やるぞ」
そう言うと、自分を奮い立たせるように軽く頬を叩いた。
「頑張って下さいね、兄上。これまでの集大成です。これに成功すれば、晴れてイーディス嬢と一緒になれますよ。僕、応援しておりますからね」
僕は、そう言うが、口元には無意識に黒い笑みが浮かんでいた。
――いけない、いけない。まだ、サプライズは先だ。その時まで、高笑いするのは我慢しないとね。
***
事の発端は、1年程前。
いや、それ以前から心の中で溜まっていたものはあった。
兄、アルバートはお世辞にも出来がいいとはいえなかった。学業の成績は良く見積もっても、中の下。武道も、剣でも、鉄砲射撃でも、僕に勝った試しがない。
だが、たった数か月、生まれが早かっただけで、たった少し母親の身分が高かっただけで、あの駄目王子は王位継承順位1位にいる。次期国王に内定している。側近だって、ネペンテス1人だけしかいない僕と違って、沢山いる。
面白くない。
面白くない。
面白くない。
特に面白くなかったのは、公爵令嬢キャロル・アングリッシュドペアを許婚にもっている事だった。
あの黄金の様な金髪、あの宝石の様に美しい瞳、あの東洋のボンサイの様に力強いながらも、薔薇の様に美しい肉体。
下世話な言い方をするなら、僕は彼女に惚れていた。妄想の中で、何度押し倒して何度穢してやった事だろうか。
兄の婚約者に横恋慕して欲情するなど、官能小説の中だけの話にすべきだが、人間の恋愛感情は理屈で動くものでは無いので仕方が無い。
面白くない。
面白くない。
面白くない。
彼女は、あのアホ王子よりも僕にこそ相応しい。
そんな悶々としたものを抱えている最中だった。なんとも都合の良い事が起こったのは。
とある男爵が妻の死後、新たに迎えた後妻。その連れ子だった元平民で現男爵令嬢の少女が、社交界デビューした。
僕は彼女を生贄に捧げる事にした。
王族の為に破滅するのだ。これは平民にとって名誉なことだ。喜んで欲しい。
その男爵令嬢、名前はイーヴィルだったか、イーディスだったか。その男に媚びた、欲に忠実な一方で、怠惰で自堕落な少女を、兄に引き合わせた。
あんな女、キャロルと比べれば、月とスッポン、ドラゴンとトカゲ位の差があるが、あの馬鹿兄は、そういう所に新鮮味を感じたらしい。
キャロルをほっぽり出して、どんどんのめり込んでいった。
そして、今日の夜会で、兄はキャロルに婚約破棄を叩きつけて、新たにその女を婚約者にするらしい。
勿論、そうする様に、兄と男爵令嬢を煽り、たぶらかし、そそのかしたのは僕なんだが。
僕は、今日であの男を越える。
そして、あの公爵令嬢も僕のものにする。あの男に、キャロルは過ぎた女性だ。
今回の婚約破棄で使う、捏造された証拠は全て僕とネペンテスが用意したものだ。つまり、逆に言えば、冤罪を晴らす、捏造を崩す為の証拠もこちらがあらかじめ用意できるという事。
婚約破棄という茶番を使ったマッチポンプ。自作自演。今回、僕達が行う作戦はこれだった。
後は、夜会が始まり、適当な所で第一王子が婚約破棄を突き付けた所で、僕が登場し、正当な証拠を用いて、ふっかけられた冤罪を跳ね飛ばす。その後は、叔父上に介入していただく。国王陛下は現在外遊中だ。その間の代理は、王弟……叔父上が務める事になっている。
そして彼は、内心、出来の悪い甥の第一王子に辟易していて、可能であれば、僕を次期国王にしたいと思っているという。
叔父上には、既に根回し済みだ。「今度の夜会で兄が何か、良からぬ事を企んでいるらしい。有事の際には、僕を支持して欲しい」と。彼は快諾してくれた。
兄と、キャロルの婚約は王命だ。それを一方的に破棄する事は、反逆の意思ありと見なされても仕方ない。
兄と、男爵令嬢を抗命罪で逮捕して、僕はその場でキャロルに告白する。
彼女からしても、兄に捨てられた後、僕と結ばれるのは悪い話では無いだろう。「冤罪から救った相手と結ばれる。これこそ真実の愛!」と宣伝すれば、醜聞もある程度はカバー出来るし、何より、僕は自分で言うのもなんだが、「蝶」の名前の通り、顔は美しい。彼女が僕を受け入れるかは賭けになるが、十分勝ち目がある勝負だ。
今日、僕は、兄を裏切って、追い落とす。黒い笑みを浮かべずにいられるだろうか? いや、出来ない。
***
「お、おい、本当に大丈夫なんだろうな。やはり、公衆の面前で婚約破棄などまずいのでは……」
「今更何をおっしゃいます」
愚兄は、会場入場直前になって日和り始めた。本当に今更何を言っているのだ。
「イーディス嬢と結ばれたく無いのですか」
「それは結ばれたいが……。今にして思うと、キャロルも悪い女では無い。口うるさいが、顔は美形だし、胸もイーディスより大きい。それに、父上から命じられた婚約を、勝手に破棄して良いものか……」
馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、最低限の常識はある様だ。厄介なものだ。
僕はため息をつくと、ネペンテスにこっそりある事を命じた。彼女は一時、場を離れたが、やがてすぐに、戻ってきた。傍らには一人の女性を連れている。
「アルバート様!」
「イーディス?!」
果たして女性は、渦中のイーディス嬢だった。彼女は特徴的なピンクブロンドの髪をツインテールにして、ドレスも化粧も装飾品も盛りすぎて、はっきり言って悪趣味な域だった。が、愚兄は目が曇っているのか、それとも、同じ様な趣味なのか、頬を染めて見とれていた。
「アルバート様は、私よりあの悪女の方が良いんですか?!」
「っ! そんな事は無い。キャロルなぞお前と比べるまでもない!」
「じゃあなんで婚約破棄を躊躇する必要があるんですか! さっさとあいつを断罪してくださいよ!」
ヒステリックに怒鳴るイーディス嬢。アルバートは、それにオロオロしながら僕を恨めしげに見る。
「すいません。彼女に、あなたが日和り始めている事をチクリました」
「お前……」
「しかし、こうでもして背中を押さないと、あなたいつまでも躊躇してるでしょ」
「それは……そうかもしれん。そうだ、こうするのはどうだ。キャロルは正室。イーディスは、公……」
アルバートの言葉に被せて、イーディス嬢が続ける。
「アルバート様、本当に私を娶る気なんてあるんですか? 私、公妾なんて嫌ですから! あんなの、実質生贄じゃないですか! 」
「公妾では駄目か……」
一瞬、彼の心に浮かんだであろう選択肢は、あっさり潰された。
公妾とは文字通り、公的に認められた愛人である。公的なものだから、生活は公金で支えられるが、代わりに王家が何かやらかして、世間からバッシングを受けた際に、「こいつが王族をたぶらかした!」と、デコイとして全責任を押し付けられる立場でもある。イーディス嬢がそんな立場に納得する訳がない。
「兄上、もう入場ですよ。選んでください。愛する人と結ばれ、バラ色の生活を手に入れるか。押し付けられた婚約に縛られ、灰色の生活を一生続けるか」
「お、俺は……俺は……」
ここまで煽ってようやく覚悟を決めた様だ。アルバートはイーディス嬢の手を取った。
「俺は覚悟を決めたぞ。婚約破棄をする! だから、イーディス、この騒動が終わったら結婚してくれ!」
「アルバート様……! 私、嬉しい!」
勝手に2人で盛り上がっているところにイラっとしたが、もうすぐ、この愚兄との付き合いも終わり、キャロルを手に入れられるのだと思ったら、まだ我慢出来た。