母とあの人の事
「………それは……本当の事なの?」
手紙が私の元に届かなくなった経緯を調べると言ったブレイクから聞かされた結果に、私は驚愕した。
「ああ。アイシャが手紙を出すのをやめるまでは俺の元にはちゃんと届いていた。なのに俺が出した手紙はアイシャの元に届かなかった事を聞いて、最初にまずその可能性が浮かんだんだ。そんな事が出来る人物は限られてくるからな。ご本人もそれを仄めかすような事も言っていたし……それで直接確認したところ、すんなりと認められたよ」
「っそんな……なんて酷いっ……その所為でどれだけ私が苦しんだかっ……」
「アイシャ……」
「ごめんねブレイク。私はてっきりあなたの心変わりが原因だと……あなたはちゃんと手紙を出し続けていてくれたのに……」
「いや、いいんだよ。ウチの親父がどうしようもないのは確かなんだから。まぁだからといって、手紙を隠蔽するのはよろしくないと思うけど」
「よろしくない!よろしくないわよっ!」
「アイシャ……?」
「許せない……許さないんだからっ!もう絶っ対に“お父さん”なんて呼んであげないっ!一生!死ぬまで!義父と呼んでやるんだからっ!」
「ア、アイシャ……?ギチチ……?」
ブレイクからの手紙を隠していたのは母の再婚相手、形の上では私の義理の父となるギード=クレイルの仕業だと分かった。
その事実を知った私は直ぐに王都にある母と義父が住む屋敷へと向かった。
事前の知らせもなく怒りが冷めやらぬ状態で訪ねて来た私を、私以上にのんびりした母が迎えてくれた。
「きっと怒鳴り込んで来ると思っていたわ。あなたは普段は事勿れ主義だけど、一度怒ったら手がつけられないものね」
「お母さんは知っていたの?義父がブレイクからの手紙を隠していた事を」
「義父だなんて……。ごめんね、私も知らなかったのよ。アイシャと一緒に住んでいたなら、様子が変だと察する事も出来たと思うんだけれど」
「嫌よ。本当は実の父だった義父と一緒に暮らすなんて。今さらなんなのよ」
「そんな事を言わないであげて。あの人の立場的に仕方のない事なんだから」
「お母さんに私を産ませておいて他の人と結婚したくせにっ?」
「貴族の政略結婚とはそんなものらしいわよ」
「お母さんたら本当にのん気なんだから」
「私はいいのよ。あなたという宝物を授かれたんだから」
「………」
………狡い。
お母さんにそんな事を言われたら、何も言えなくなってしまう。
今の状況だって、全て義父の、ギード=クレイルの思惑通りになった結果だから悔しくてたまらない。
だけどお母さんが幸せそうだから、我慢しているというのに。
母とギード=クレイルは、今も私が住むあの街の病院で知り合ったのだそうだ。
当時ギード=クレイルは二十二歳。
地方局の副局長として勤めていたらしい。
そして体調を崩したギード=クレイルが病院を訪れた時に看護師として勤務していた母(当時十九歳)と知り合ったそうだ。
若い二人が恋仲になるのはあっという間だったらしい。
だけど父は子爵家の嫡男。
もちろん親に決められた婚約者がいた。
そして母は平民。
二人が結ばれる事など許されるはずもなく……。
母は当然、いつかは身を引くものだと思っていたようだ。
だけどギード=クレイルは母を諦めるつもりは最初からなかったらしく、
同じように恋人がいた婚約者に取引きを持ち掛けたそうだ。
互いに貴族として家門の柵からは逃れられない身。
それならば予定通り結婚をし、クレイルの家を継ぐ後継を作った上で円満に離婚しようと。
生まれた子どもは当然クレイル家のものとなるが、
離婚の際は多額の金銭と恋人と自由に暮らせる他国への渡航手形を用意するという条件を、婚約者であった貴族令嬢に提示したという。
相手の令嬢は喜色満面でその条件に飛び付いたという。
もう、その時点で私には理解出来ない。
互いに愛する者がいるのに、家の為に違う相手と結婚し、子を成す。
本当に愛する者と結ばれる為に、仕事の様に他の者と結婚するなんて私には出来ない。
聞けば貴族社会ではよくある事で、ギード=クレイルの両親(私にとっては祖父母にあたる人たち)も後継さえ残すならば構わないと言ったという。
嘘でしょう……?
結婚てそんなものではないでしょう?
今こうやって、以前聞かされた話を思い返しているだけでも理解が追いつかず頭が痛い。
そして更に度し難いと思ったのが、
その計画を推し進めている最中にギード=クレイルが母を身籠らせた事だった。
その身籠った子…というのが私なのだけど、もう順番がめちゃくちゃで腹が立つ。
その所為でこれまたややこしい状況になったからだ。
今はまだ、たとえ子が生まれたとしても母を妻として迎える事は出来ない。
だけどこのままでは母は、世間から婚外子を産んだシングルマザーとして扱われる事になる。
そこで父は大金を積んで母の夫、私の父を偽造?捏造?とにかく、偽者を用意したのだ。
金で雇った舞台俳優……男装をし、男役で活躍する女優を雇い、籍を入れさせて一年で離婚させた。
当然、私が赤ん坊の頃の話なので全く何の記憶もないのだけれど、私はずっとその俳優の事を離婚して出て行った父親だと思って育ったというわけだ。
その後ギード=クレイルは計画通り婚約者であった貴族令嬢と結婚。
だけどなかなか子が出来ず、ようやく授かったと思った子どもは死産。
そして次に授り無事に生まれた男児(男の子であった事に執念を感じる)がある程度の年齢になった時に、予てよりの計画通り円満離婚したそうだ……。
別れた女性は今は遠い異国の地にて、ずっと続いていた恋人と幸せに暮らしているそうな……。
そしてギード=クレイルは母と、互いに再婚という形で結婚した。
私が十五歳の時の事だ。
最初、私は何も知らされずにギード=クレイルと引き合わされた。
母の昔の恋人だと聞いていて、そんな人と再び出会い結ばれる事が出来た母の幸せを心から喜んだ。
だけど二回目の会食で、
ギード=クレイルが実の父親だと聞かされ、これまでの経緯を知らされた。
そんな話を聞かされて、当時思春期だった私が嫌悪感を抱いても仕方なかったのではないだろうか。
ショックだったし、ギード=クレイルのした事が理解し難く許せなかった。
当然それを受け入れ続けた母の事も責めてしまう。
最愛の人が自分以外の女性と気持ちが伴わなくとも結ばれたのだ。
怒りや悲しみの感情はなかったのか、相手の言いなりで偽装結婚までして良かったのかと、
酷く罵り質問責めにした。
だけど母はしれっと言ったのだ。
「もちろん腹が立ったし悲しかったわ。でもあなたを宿したその瞬間から、あなたが私の行動理念になったのよ。未婚で婚外子を身籠った身寄りのない女には冷たい世の中だし、私はともかくアイシャがそんな目で見られるのが嫌だったの。だから偽装結婚を受け入れたわ。男装の俳優さんはとても良い方だったしね。今も隣国の舞台で活躍されているそうよ」
何の迷いや後悔の念もなく、あっけらかんと言った母に、私は開いた口が塞がらなかった。
じゃあどうして何年もギード=クレイルを信じる事が出来たのかと訊くと、これまた母は何でもない事のように言った。
「信じてなんかいなかったわよぅ。月に二度ほどは会っていたけど、それもいつ心変わりをするか分からないと思っていたし。だから家は借り上げて貰っていたけど、私、働いていたでしょ?あなたを託児所に預けて」
そういえば、母はずっと看護師として働いてきた。
本当は毎月、ギード=クレイルから充分な生活費を貰っていたという。
それこそ無理に勤めに出なくてもいいように。
でも母はそのお金には手をつけず、
そんないつ無くなるか分からないお金に頼るよりも自分で働いて自分の身を立てられるようにしていたいと思っていたそうだ。
母の意地だったのかもしれない。
それでもやっぱりどうしようもなくギード=クレイルの事が好きで、
数年がかりで求婚された時は嬉しかったのだそうだ。
この愚かな人とこれからも生きてゆきたい、そう思ったのだそうだ。
私が実の父と暮らせるようになるのも良いと思ったらしい。
そこまで聞かされて、私はもう何も言えなくなった。
母の人生だ。
娘だからと口出しは出来ない。
母が心から幸せなら、それは仕方ないと思った。
だけど、私の気持ちはそれとは別。
義父だと思っていた人が実は実父だと聞かされ、
実は貴族の令息である六歳下の弟がいると聞かされ、
これからは貴族令嬢として生きろと言われた。
冗談ではございませんことよ?
私は平々凡々の、波風立たないのんびりした人生を送りたいの。
それがそんないきなり安っい小説のような人生を突きつけられて、ハイそうですかと従順に頷ける訳がない。
よって私は、ごねにごねまくって十六歳にてひとり立ち宣言をした。
母がギード=クレイルと共に暮らす為に王都に移住するのは構わない。
もうどうぞお幸せに、という気持ちだ。
だけど私はこの街から出て行くつもりは更々なかった。
だって。
ブレイクはこの街に戻って来ると言ったから。
結婚しようと言ってくれたから。
ギード=クレイルへの反骨精神+乙女の純情で、
私は一人暮らしをすると母たちに宣言したのだった。
当然、今まで放置していたくせに(どんな顔して会えばいいのか分からなかったとか言ってた)、
私が生まれてから父親としてずっと陰ながら見守ってきたとか言うギード=クレイルは反対した。
年頃の若い娘の一人暮らしなんか認められないと。
でも私も決して意思を曲げずに戦った。
そしてようやく折れたギード=クレイルが、
魔法省に勤め、魔法省の寮で暮らすのであればひとり立ちを認めると条件を出してきた。
まぁ正直、私も仕事は何をすればいいのやら…と困っていたし、母に泣きつかれたのもあり、その条件を呑んだのだ。
こうして私は縁故採用で魔法省の下っ端職員となり、ひとりこの街で暮らす事になった。
今思えばギード=クレイルと引き合わされてから直ぐくらいから、
ブレイクからの手紙が届かなくなっていた気がする。
それがまさか遅れてやって来て父親面した男に手紙が届かないようにされていたなんて………。
そんな過去の記憶が一気に蘇り、私は盛大にため息を吐いた。
相変わらず母はのん気に言う。
「まぁまぁ大きなため息ねぇ」
「……義父はいつ帰ってくるの?」
「また義父なんて呼び方して……今日は早く帰ると言っていたわ」
「そう。それじゃあそれまで待たせて貰うわ」
「あら、ここはあなたの家でもあるのだから、ずっと居てもいいのよ?」
「絶対にごめんです」
「ふふ。頑固ね。そういうところ、本当にお父さんとよく似ているのに」
「やめてよ」
「まぁいいわ。じゃあねぇ、ブレイクと再会したんでしょう?どんな感じだった?素敵な青年になったらしいじゃない?詳しく聞かせてよ。恋バナしましょ、恋バナ」
「えっ……こ、恋バナって……」
いきなりブレイクの事を聞かれて恥ずかしさでしどろもどろになる私は、
母に根掘り葉掘り聞き出されてしまった。