02 大樹と令嬢
いつもありがとうございます。
皆様、ごきげんよう。
私はヴェルデ侯爵が娘、リリアーヌでございます。二度目ですから、ご存じですわね。私、先ほどまで世界で一番美しいであろう百合の姿でしたわ。
…えぇ、お気付きの通り、今回も過去形なのです。先程、百合の花生を生き抜こうと思ったばかりですのに。ただ、エドモン様の御顔と立ち去る後ろ姿を見てしまったら…。どうせなら彼を見守りたいと思っても不思議ではありませでしょう?とても強く願ってしまったみたいで…今はデルヴァンクール国で一二を争う、樫の大木になっておりますの。…エドモン様と樫が結びつきませんか?まぁまぁ、焦りは禁物でしてよ。今から、お教えいたしますからね。
ブランシュ公爵家の庭に枝葉を伸ばし、百年以上も、その地を見守ってきた大きな木。幼い頃、公爵家へ参った私も、エドモン様と木陰で過ごしたり、初夏には独特な花の匂いに顔を顰めて笑い合い、秋は団栗を拾ったりしたものです。エドモン様の部屋の窓から、手を伸ばせば葉に手が届く距離。そんな場所に、この樫は植わっているのです。どうせ植物に生まれ変わるのなら、なるべくエドモン様の近くが幸せだもの。ですから、この樫の木は打ってつけでしょう?
このリリアーヌ、今度こそ樫としての人生…いえ、木生?を全うしようではありませんか!
植物に生まれ変わるのも、二度目ともなれば慣れたものですわ。そう言えば、朝昼と食事をしていないにも関わらず、不思議と空腹感はありませんのよ。更に、とんでもない大きさになっておりまして。視界の高さに少々怖気づいておりましたけれど、いい加減慣れましたわ。それより何より、空にも手が届きそうな程の巨体の、空を目掛けて広がる枝葉から、大地に深く張り巡らされた根から、ほわほわとした温かさと活力が入って来るのです。初めての感覚に、生命の神秘を感じざるを得ませんわ!
人間も、この大地の僅かな一部に過ぎない…。私の悩みなど、ちっぽけな取るに足らないもの。
度重なる奇跡を体験したリリアーヌは、世の理に気付けた事に感謝を送る。
リリアーヌは涙を流す。その日、樫の葉は夜露に濡れていた。
◇◇◇
ブランシュ公爵家を見守って、一日が過ぎた頃。漸くリリアーヌは、エドモンの顔を一階の客室で見ることが出来た。閉められた窓の所為で、室内の会話は聞こえない。エドモンが入室すると、リリアーヌは喜びに安堵した。表情は暗いものの、元気そうで何よりだと。
だが次の瞬間、まるで崖から突き落とされたように、気分が急激に沈んでいく。エドモンの後から、ソフィが続いて来た為だ。元々、部屋にはブランシュ公爵と公爵家の家令が居り、エドモンとソフィの二人きりではない。だとしても、落ち込んだ様子のエドモンに、ソフィは笑いかけ肩に手を添えた。エドモンは俯いた顔を上げ、ソフィの目を真っすぐ見つめる。ソフィが頷くと、僅かに笑みが戻る。
羨ましい。純粋に、そう感じた。
リリアーヌはエドモンと目を合わせた事など、ここ久しく無かったと断言できるのに。あまり感情を表に出さない人だと思っていたけれど、向かい合う相手さえ変われば、笑いかけてくれるようだ。どこまで自分は、エドモンに避けられていたのか。
…あぁ、本当に嫌われてしまったのね。
いつから?
ふふ、やっぱり。エドモン様の隣は、私の場所ではなかったのね。
…薄々気づいていたけれど、いざ目の当たりにすると耐え難い。リリアーヌは、いきなり頬を叩かれたような大きな衝撃に襲われた。
ぼんやりと、エドモンから視線を外す。
少し前に読んだ流行りの物語に出てきた、憎まれ役を思い出す。気が強く、ただ我武者羅に主人公を追いかける、そんな人。誰よりも主人公に執着し、己の信念を貫く。そうまでしても、報われないのだけど。その真っすぐ過ぎる心に、リリアーヌは少し共感したものだ。ただ愛されるだけの女主人公より、よほど好ましかったから。
嫌われても憎まれても突き放されても、縋れるというのは、途方もなく力を使う。何故、そこまで出来る?…とても私には無理に違いない。想いを寄せた人に邪魔者と罵られ、拒絶されてしまったら、その瞬間に砕けてしまう。だから、憎まれ役の抱く想いは理解できても、止む事のない行動力については…戸惑いにも似た感情しか抱く事が出来なかった。。
今のリリアーヌは敵役と同じ立場、若しくは近い存在だろう。
けれど。
時間と共に移り変わる空を見ながら、ふるりと身を揺らす。
どうして、そんなに強く居られるの?
どうして、いつまでも耐える事が出来るの?
どうして、最後まで信じられるの?
どうして?
どう、して…?
思いが膨らむにつれ、どんどん心が沈むのが分かった。
私には、とても無理。
リリアーヌの気力が、急速に失われていく。
もう、疲れてしまったわ…。
本当は物語の人物のように、只管にエドモンを想いたかった。彼の為なら、何でも耐えれると思えたから。でも、耐えたとして、エドモンは喜ぶのだろうか?あくまでも、それはリリアーヌの我儘で、彼の為にならないのでは…と気付いてしまった。いや、今まで気付かない振りをしていただけだ。
エドモン様とソフィ様が、互いに愛し合っているのなら。二人の前から邪魔者は立ち去りましょう。これ以上、嫌われてしまう前に。彼の力になりたいから、婚約者として一度くらい。凛と美しく。
気持ちの整理がついた頃には、リリアーヌは深い眠りに落ちていた。
翌朝、ブランシュ家の庭師だけが異変に気付く。樫の葉が黄に変色し、数多く落葉していた。まだ実りの季節すら迎える前だというのに。