■■■の独り言
それは昨日だったか、何億年前だったか。
確かに、そういう衆生はいた。
他の衆生が、喰らったものを積み上げて己を成すのに対し、
彼らは、それを肉体までの事と分別して、己を〝魂〟なるものに在ると考えていた。
原初は、それは間違いであった。
だいたい、なぜ間違うというのか?
どの衆生も、所詮は大いなる流れの一部である。
一つしかない(衆生にとっては)世界の一欠けら。
なぜ、皆同じように世界を観ない?
なぜ、それぞれの内に虚構の世界を積み上げてしまう?
それは、
抱かれる事で、
名付けられる事で、
呼ばれる事で、
唄を聞かされる事で、
絵本を読まれる事で、
傷つく事で、
傷付けられる事で、
手を繋ぐ事で、
茶を飲む事で、
旅をする事で、
鍋を囲む事で、
独りになる事で、
月を見る事で、
笑い合う事で、
外から降り積もる、真実でない〝果実〟。
その〝業〟の積みの果てに出来るなら、その異世界こそが〝魂〟。
真の世界との相違を以って、己であらんとする。
もし、そんなモノが、内から外へ出てしまうなんて事があれば、それは忽ち周りの事象を侵して拡がり始めよう。
彼らが〝魂〟を表現するのに用いた物。
それは〝炎〟だったそうな。
あるがとうございました。