人間未満
恥ずかしい人生を送ってきました。
私はまるで、真っ赤な魚の群れの中に1匹だけ混ざった、黒い魚のような存在でした。
周りにとっての当たり前は、私には当たり前ではなく―――
私にとっての当たり前は周りにとって当たり前ではなく―――
普遍的な価値観や考え方を理解できない惨めな黒い魚にできることは、赤い魚の真似をすることでした。
何も主張せず、
自発的にならず、
周りの様子を観察して、ただ真似をするだけの存在。
私にとっての人生とは、自分の本質を隠すための仮面を被り、周りの真似を続ける―――道化の人生でした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
記憶に残っている最初のズレは、幼稚園を卒園するときでした。
先生との別れを惜しみ、先生に縋りつく同級生たち。それを遠めに見ながら、教室の片隅でひどく居心地が悪い思いをしたことを覚えています。
友達との別れを悲しみ、涙を流す同級生たち。私に抱き着いて涙を流す同級生の頭を撫でながら、私の心は何も響かず、何も共感せず、ただただ静かでした。
家への帰り道。母親から「みんなと離れ離れになって悲しいね」と言われ、自分がおかしいということを痛感し、それが恥ずかしくて泣いてしまいました。
母は「我慢してたんだね。偉いね」と私の頭を撫でましたが、まるで傷口に塩を塗りこまれているような痛みを伴い、ますます涙が流れたのでした。
それでも私は、幼稚園の先生や友人たちの別れが、ちっとも悲しくないのでした。
幼いころから、私はそんな生き物でした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
小学校に入り、自分が周りの人達と何かが違うという思いは、ますます大きくなっていきました。
他の人達が感じる思いに、何一つ共感できないのです。
何が楽しく、なぜ楽しいのか。
何が嬉しく、なぜ嬉しいのか。
何が悲しく、なぜ悲しいのか。
何が嫌で、なぜ怒るのか。
運動会で盛り上がるクラスメイト達を、私は白けた思いで見ていました。
球技大会で優勝して喜ぶクラスメイト達を、私は冷めた思いで見ていました。
転校する友人との別れを惜しむクラスメイト達を、私は居心地悪く見ていました。
喧嘩をして対立するクラスメイト達を、私は何も理解できずに見ていました。
笑えばいいのか―――
喜べばいいのか―――
泣けばいいのか―――
怒ればいいのか―――
私の心に問いかけても、答えは出ませんでした。
でも―――
みんなが笑っているのに、
みんなが喜んでいるのに、
みんなが泣いているのに、
みんなが起こっているのに、
私だけ違うのは、おかしいことです。
そして、仲間外れにされるのは、とても恐ろしいことです。
みんなと同じにならないと……!
笑え、笑え、笑うのだ。
泣け、泣け、泣くのだ。
喜べ、喜べ、喜ぶのだ。
怒れ、怒れ、怒るのだ。
どうして、みんなと同じじゃないのか。どうして、みんなが当たり前に感じることが、私には感じられないのか。
私はそのことが、たまらなく恥ずかしいと感じるのでした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
国語の授業で、「スイミー」というお話を読みました。
赤い魚の中に1匹だけ混ざった、真っ黒な魚。
ああ。これは私のことだ。
赤い魚の群れに混ざった、黒い不純物。仲間外れのスイミーは、周りの魚からどう思われ、どんな扱いを受けているのでしょうか?
しかし、私の疑問に答えず、物語は終わってしまいます。
物語が終わり、先生が問いかけます。
「このお話を読んで、何を考えましたか?」
元気な男子が、一斉に手を挙げます。
「みんなで一緒に頑張ることが、大切だと思いましたっ!」
「周りと違うことは、恥ずかしいことじゃないと思いましたっ! 個性なんだと思いましたっ!」
その答えを聞いて、先生が満足げに笑います。どうやら、彼らは正解したようです。
先生は上機嫌のまま、何人かのクラスメイトを指名します。
「みんなで力を合わせれば、大きな力になって、一人じゃできないこともできると思いました」
「見た目だけで仲間外れにするのは、いけないと思いました」
先生に指名された女子が答えます。やっぱり、先生は満足そうに笑いました。
私は平静を装いながら、内心では怯えていました。もし、私が最初に指名されていたら、私は間違えていたでしょう。
なぜなら、私の考えていることは、周りの人達とは全く別のことだったからです。
(赤い魚の群れの中で、スイミーはいじめられ、仲間外れにされていなかったのでしょうか?)
赤い群れに混ざった黒い不純物。スイミーがどのような扱いを受けていたのか、教科書には書かれていませんでした。
(スイミーの体が、黒じゃなかったらどうなっていたのでしょうか?)
例えば、スイミーが緑色だったら、目になることは出来ません。何の役にも立たない周りとの違いを、個性と言えるのでしょうか?
私の「他の人達が感じる思いに何一つ共感できない」という違いも、個性と言えるのでしょうか?
モヤモヤした疑問が、私の胸を駆け巡ります。しかし、その疑問を聞くことはできません。
私は黙って、机に向かって俯き続けました。
待ちわびたチャイムがなり、授業が終わりました。どうにかやり過ごせたことに安堵しながら、みんなが当たり前に感じることが分からない自分が、どうしようもなく恥ずかしく感じるのでした。
いつメッキが剥がれ、私の本質が周りに気づかれるのか―――そんなことに怯え、私の心が休まることは1秒たりともありませんでした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
中学生になった私は、部活動を始めました。
人生といえば、青春。青春といえば、恋愛と部活動。
出来損ないである自分でも、少しでも人間らしさを手に入れられるかもしれない―――そんな浅はかな考えは、私をさらに絶望へと導きました。
先輩や顧問の陰口で盛り上がる同級生に、全く共感できませんでした。
最後の大会が終わって泣く先輩が、どうして泣くのか理解できませんでした。
あれだけ陰口を叩いていた先輩の卒業をどうして惜しむのか、私には分かりませんでした。
私にとって部活動とは、「本物の人間らしさ」を間近で見せつけられる―――そんな一種の拷問でした。
私が演じているものとは全く別物の「人間らしさ」に触れるたび、私は酷く惨めな気持ちになり、死にたくなるのでした。
ある日、国語の授業で「雨ニモマケズ」を習いました。
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ
国語の授業は好きではありませんでしたが、この「雨ニモマケズ」は少しだけ好きになれそうでした。
私にとっての「雨ニモマケズ」を、書いてみようと思います。
孤独に負けず
恐怖に負けず
楽しい時に笑い
悲しい時に泣き
嬉しい時に喜び
理不尽なことに怒る
そういう人に
私はなりたい
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
高校生になりました。私は、人間のふりをすることに慣れてきました。
何が、みんなを楽しくさせるのか。
何が、みんなを悲しくさせるのか。
何が、みんなを嬉しくさせるのか。
何が、みんなを悔しくさせるのか。
周りの様子を観察し、みんなが感じるであろう感情を表現する―――しかし、相変わらず、私はそういった感情に何一つ共感できないのでした。
感情表現が豊かな私を見て、周りは「悩みがなさそうで羨ましい」と言いました。
みんなが持つ悩みの大半は、「恋愛」、「将来」、「人間関係」の3つに分類されました。確かに、私にはあまり縁のない悩みです。
なぜ、私はみんなにとって当たり前のことすら出来ないのか?
こんなに恥ずかしい思いを抱えたまま生きることに、意味はあるのか?
きっと、私は人間未満なのでしょう。だから、みんなにとっての当たり前が出来ないのです。
いつか人間になれた時、他の人達が抱える悩みに共感し、私も同じような悩みを抱え、苦悩するのだと思います。
早く人間になりたい。そう強く願いました。
高校2年生の時、祖父が倒れました。
家族と共にお見舞いに行くと、まるで枯れた植物のようになった祖父がベッドで横になっていました。
母は涙を流し、妹も心配そうに祖父の手を握りました。私も何かしなくちゃと思いましたが、何をすればいいのか分からず、一歩も動くことができませんでした。
そして、弱った祖父の姿を見ても、私の心は何も感じないのでした。それこそ、道端で枯れている草木を眺めているのと、何も変わらないのです。
数日後。祖父が亡くなりました。祖父は最後まで、私が人の心を持たないバケモノであることを知らなかったでしょう。
祖父を最後まで騙せたことを、私は嬉しく思いました。そして、嬉しく思うことがとても恥ずかしく感じられ、やっぱり死にたくなるのでした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
大学に進学し、私は地元を離れました。
世界はとても広いです。もしかしたら、自分と同じ悩みを抱えた同志がどこかにいるかもしれない。
そんな期待を抱いていましたが、1年、2年と時が経つにつれ、やっぱり自分が世界にとって異質な存在であることを実感するのでした。
ある日。私は、交際を申し込まれました。今どき珍しいくらい、純粋でまっすぐな人。私が憧れた―――人間味に溢れた人でした。
恋愛をすれば、私は人間になれるのでしょうか。この人は、私を変えてくれる救世主となるのでしょうか。
私は首を縦に振りました。
最初は演技でもいい。この人を好きになろう。偽物だって続けていれば、いつか本物になるはずだから。
私たちの交際は、傍目から見れば順調だったそうです。
しかし、私にとってはいつまで経っても偽物のままで、本物の感情を抱くことはありませんでした。
こんなに愛してもらっているのに、どうして私はあの人を好きになれないのだろう?
愛してもらった数だけ、私はあの人を愛する真似をしました。あの人はますます私のことが好きになっていたようですが、私は騙している罪悪感でいっぱいでした。
まだ、演技が足りないのだろうか? やっぱり、私は人間の出来損ないなのだろうか?
周りには恋人と充実した時を過ごしているように見せかけていましたが、私の精神は飢えた子供のようでした。
交際して1年経った頃。あの人は私を抱きしめ、別れを告げました。
「私はあなたが好きだけど、あなたは私のことが好きじゃないから」
あの人は、私の本質に気づいていたのです。別れを告げられた時、私の体は恐怖で震えました。
私が一番恐れていたのは、自分の本質に周りが気がつくことでした。
私がこのような人間だと知られたら、どんな扱いをされるのか―――それが怖くて、私は必死に周りの真似をしてきました。
私はあの人に縋りつき、懇願しました。捨てないで、行かないで、傍にいてと。
私の本質を隠し通すことが出来ないのなら、せめて引き止めないと―――!
そんな私を見て、あの人は悲痛な面持ちを浮かべました。同情したのか、哀れんだのか―――それでも、あの人の決意は変わりませんでした。
私たちの交際は、1年ほどで終わりを告げました。もっとも、交際というのはあの人にとって失礼かもしれません。
あの人の誠実な思いを、私は利用していただけなのですから。
結局、私の本質は、これっぽちも変わっていないのでした。
自分という存在がたまらなく恥ずかしく思え、死にたくなるのでした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
大学を卒業し、私は就職して社会人になりました。
スーツ姿で病院に行き、大学の卒業式で撮った写真を祖母に見せました。
祖父を亡くしてから元気を失っていた祖母は、ここ数年は入院と退院を繰り返していました。
スーツ姿の私を見て涙を流した祖母は、1週間後に眠るように息を引き取りました。
私がどんな感情で涙を流す祖母を見て、どんな思いで葬儀へと参加したのか、もう語る必要はないでしょう。
社会人になった私は、相変わらず人間のふりをした化け物のままでした。
人間になろうともがき、その過程で様々な人を騙し続け、法では裁かれない罪を重ねていきました。
体の契りも結びました。あの人にも、体を許したことはなかったのに。
心が麻痺しているのか、騙す罪悪感も、他人と違うことに羞恥心を感じることもなくなりました。
ただ、体と心が重くなっていき、段々と動かなくなっていきました。
30歳になりました。
幸いなことに、私の本質に気が付く人はいませんでした。
不幸なことに、私の本質に気が付く人はいませんでした。
あの人は、最初で最後のチャンスだったのかもしれません。「幸運の女神に後ろ髪はない」とは、よく言ったものです。
私の一生は、人間のふりをして周りを騙し続けた一生でした。
早く人間になりたいと、当たり前の価値観・感情を手に入れたいと、神に願い続けました。
生きているだけで恥ずかしくて、裁かれない罪を重ねていきました。
これは人間になるために必要な行為だと、自らの行為を正当化しました。
そして、私が人間になることはないと確信を得ました。
私は、死ぬまでバケモノのままなのでしょう。
私は先に眠ります。これ以上、罪を重ねることに耐えられません。
願わくば、この手記が、私と同じ魂を持つ同類の助けになることを願って。
さようなら。
おやすみなさい。