過去の因果は時代を越えて
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【三国共有領地(公領地)】
三国共有領地(以下、公領地と表記する)はグローリア連邦共和国、マキナ国、アルビオン王国の三か国の軍が保護している土地である。どこの国にも属してはおらず、無断での立ち入りを厳禁している。その理由としては、過去に三か国がこの土地はどの国に属するのが相応しいかという議論から発展した三十年戦争による停戦協定で定めたものである。当時の公領地はアルカナム国が治めていたのだが、経済困難による市民の暴動やデモストレーションなどで国は崩壊。民主主義国家と謳っていた国であったのだが、その国民によって傾国されるとは思いもよらなかっただろう。国営不振により、他国との併合を求めたのだが、そこでグローリアとマキナ、アルビオンが揉めたことから始まる。
また、5539年まで軍以外の立ち入りを厳禁していたが、〈光の論争〉に基づくアンブラ一派の放火事件により、5540年には軍も含めて立ち入り厳禁となっている。
目を開けていられないほどの眩しい光に包み込まれる一つの無人島。そこからは不滅の炎とでも呼べるような、ラクリモサに似た炎の生き物の腹を突き破ろうとする男がいた。その者は自身が火傷を負おうが、構いやしなかった。とにかく、ここから出る。その一心で強引に飛び出してくるのだった。
それに伴い、地面に転がり込む男――アーク。自然と体に付いていた火が消えていく。そこに佇んでいた炎の生き物も消えそうだった。
「アーク、お前っ!?」
「何もねぇ」
何も問題はない。こちらとら、生き返ることができる魔術だってあるのだから。アークは痛みを堪えながら、消えゆく炎を見つめた。その生き物は苦しそうに「お前というやつは」そう、遺憾する。
「我が消えたら、どうなるのかわかっているのか」
「だが、俺は死ななかった」
「そういう問題ではない」
しかし、その問題とやらの内容を炎――セルウィーは口にする気にはなれなかった。こうして、自分の使命どころか、それ以上のことをしてしまった者の相手をする気にはなれないからだ。どうせ、この世から存在を消すだけ。それならば、この世界に縋る必要もない。セルウィーはすぐに消えてしまった。
彼は何かを言いたそうにしていた。それに気付いたのはジョクラトルであり、火傷を負ったアークを心配そうに「何があったんだ」と事情を訊いた。
「パティが、お前がらくちゃんみたいな火の生き物に連れ去られたっていうから、心配して来てみれば……」
「ああ、あんたいたのか……あれ?」
どうやら、アークは自身がニターティス島に連れてこられたことに、今気付いたようで、周りの景色に戸惑いを見せるのだった。先ほどまでケチュータにいたはずなのに。ああ、そうか。そういうことか。すぐに原因を知る。セルウィーはこの島に存在する炎の精霊だからか。
「お前、大丈夫なのか? あいつに変なことされていないだろうな?」
「あー、強いて言えば、魂を食われそうになったってことぐらいだな」
「そんなの軽々しく言うなよ」
これでもかなり緊迫した状況だったというのにもかかわらず、アークは終わり良ければすべて良しとでも言いたげにリラックスしていた。こちらとら、ずっと心配していたのに。何、その軽さ。
「いいじゃねぇか、別に。ある程度の記憶を思い出したんだからよ」
そして、ついにかとでも言うほどのアークの過去について。彼曰く、思い出したのは自分は何者であるのか。
「じゃあ、アークって勇者デアなのか?」
「いいや、違う」
思い出すだけでも胸糞が悪くなってくる。それだからこそ、アークはジョクラトルに手を差し伸べた。せめてもの思いで八つ当たりしたくなる心内をどうにか収めたかったから。そのジェスチャーを通訳するならば「タバコ寄こせ」だ。ジョクラトルがこちらに対して何が言いたいのかを理解している。そうであっても、「後ででもいいだろ」と少しだけ不機嫌そうに一本差し出した。
アークはジョクラトルから受け取った花タバコで一服すると、改めて島内に目をやった。木々の間から見える青色の海。それをぼんやりと見つめながらも「俺、この島で生まれた」と自身の過去を吐き出した。
ゼノという名前を親に付けてもらい、子ども時代は何不自由なく過ごしていた。あるとき、セルウィーの神子として島の占い師――あのジジイに選ばれ、本当はセルウィーに自身の魂を捧げるはずだったが――。
「この時代の俺が邪魔をしに来たんだよ。セルウィーに仕えるなって。逃げろって」
すべての真実を現代のアークから聞いた。それだからこそ、これ以上、島の者が神子として選ばれないように、島人たちを殺害することを当時のゼノは決めた。そのあと、ニターティス島で絶対に死にたくなかったから、島からの脱出を謀った。だが、運が悪いことに魔法エネルギーを多く使ってしまったため、急な潮の流れに逆らえず、もみくちゃにされ、海の中で気絶してしまい――。
「オリエンス島である人に介抱してもらったんだ。その人が、あんたらが言う勇者デアだ」
「そうなのか……」
「期待はずれで悪かったな。俺は別に光を世界に取り戻すような大層なやつじゃなかったってわけだ」
そうアークがタバコの煙を吐いたときだった。ポンコツ一号が《しかし》と目玉の光を点灯させていた。
《アークはデアとリヒト王を倒す旅に出たのは間違いないのでしょう? そうでしょう? カエルム教でカエルム神は双子だったという説もあります。もしも、そのカエルム神がデアであるとするならば、双子の内一人はアークであると考えられますよ》
ポンコツ一号に同調するようにして、ポンコツ二号もその通りだと言う。アークはその二機をじっと見つめると「そうだよ」そう、答えた。
「確かに俺はその人と旅に出た。だが、リヒト王を封印したのは俺じゃない。ましてや、そのための行動も全部的外れ。何もかもしたのは紛れもない、デアさ」
そのように語るアークはどこか悲しそうな表情をしていることに気付いたジョクラトル。しかし、瞬きをすれば、すぐにその顔はなくなっていた。すでに、次の目的があるとでも言わんばかりにこちらに視線を向けていたのだから。
「俺は今からアルカナに向かう」
もう短くなった花タバコを地面に落として、靴で火を消した。
「自分の正体を知ったとしても、まだ謎があるから」
《その場所にレグルス宰相がいるとでも?》
「だが、アーク。お前が言うアルカナというのは、三国共有領地のことであって、迂闊に乗り込めるような場所じゃ……」
「だからなんだよ。俺は今、自分の存在意義について問い質しているんだ。立ち入り禁止の場所とかウダウダ言ってられねぇんだよ」
【だからこそ、すべての決着はアルカナで決まります】
【元神子である勇者デアはリヒト王をその地で封印したのです】
〈Suvi〉も言っていたこと。これで本当の本当に終わりは近いのだろう。すべての悪となる根源に終止符を打たなければ――。今ならば、ジョクラトルは断言できると言えた。
世界の夜明けは近い、と。
◆
三国共有領地、あるいはアルカナへと向かう。その目標に対して、一度義勇兵宿泊施設〈インシグネ・ゲネリス〉へと戻ってきたアークたちにスンムスは「ダメだ」の一言で支援をする気は一切ないらしい。というよりも、絶対に行かせたくないという面持ちで「諦めてくれ」と場合によってはこちらが術式魔法弾を撃たれそうな様子ではある。
「あの場所は私の権力を持ったとしても、侵入は不可能だ」
「なんでだよ、あの場所にレグルスがいるってのに」
「いたとしてもだよ。君は仮にもグローリアに住んでいるんだから、この国の外交情勢を鑑みてくれ」
そのようなことを言われても、理解する気ゼロのアークは急いでいるという割には花タバコをふかしていた。その場に煙が蔓延し、傍らにいるパティやサックスの警戒心は跳ね上がっている。もちろん、態度の問題もあるため、ジョクラトルが「おい」と眉をひそめる。こんな人物がインペリウム帝国の滅亡一歩手前まで追いやった。この事実にスンムスは頭を抱えた。英雄と呼ばれても過言ではないことをしてのけた彼であるというのに。
スンムスは「いいかね」と改めて、現在のグローリア連邦共和国と他国の情勢について説明をすることにした。
「今のグローリアと他の国は緊迫した状況にある。共通の敵であったインペリウムは崩れたようだが、彼らにはこちらに遺恨があるはずだ」
「遺恨って……あんたは何をやらかしたんだって話」
「私の外交下手ではない。カリクルスブン中将が残していった問題はまだ解決していないのだよ」
カリクルスブンが残した問題とは。全くピンと来ていないアークに対して、ジョクラトルはすぐに気付いた。あのことか、と小さく呟くと、パティとサックスも理解する。
《生命エネルギーを利用した作戦のことですね》
「あの作戦、結局は失敗して……周囲の国にインペリウム帝国軍が現れたんでしたね」
《おまけに、ルシオラやマキナ、イニティウムでは一部の領土を占領されましたしね》
そのことにようやくアークも「ああ」と思い出してくれたようだ。この話をつなげるようにして、彼は「中将さんの尻拭いも大変だね」とわざとらしい労いの言葉を掛けた。
「グローリア人の癖にして、俺の作戦を見破ることができなかった時点で、一つの国を制圧できるわけないしな」
《確かに。アークは頭を回さずに、動くだけですし》
一言余計だったポンコツ二号。彼女はアークの反感に遭い、機体を鷲掴みにされて、壁に向かって投げられるが、そこはポンコツ一号によって阻止された。そして、二機によるプチ暴力反対運動。この行為に見向きもせずに、彼は話を元に戻した。
「そこまで中将さんの作戦は他の国にヒンシュクでも買ってしまったのか?」
「早期決着の予定が大幅に狂ってしまったからな。本来ならば、〈黒い壁〉もケチュータすらも吹き飛んでしまうほどの威力の力を持って制圧し、無条件講和を提出するはずだったんだ。しかし、直前になって、あまり使い物にならないものとして気付いたときにはどうすることもできなかった。よその国からは軍事資金や軍需品の輸入に関する交易関連で結構な無茶ぶりをグローリア側が要求していたんだ。どの国も、相手がインペリウム帝国でなければ、供給してくれなかっただろう」
「あんたらが無茶苦茶な交渉をしたからだろ?」
「それは違うぞ」
ジョクラトルの声で、アークはタバコを口に咥えたまま、固まった。誰もが彼の方を見る。ジョクラトルが「交渉をしたのは〈フラーテル・アウローラ〉だ」と事実を告げる。
「アークとの再会を果たしたときはルシオラだったの、覚えているよな?」
《そう言えば、同盟に関する交渉をしに行っていたと仰っていましたね》
「そう。本当だったら、パクス同盟なんて存在しなかったはずだ。俺たちが〈顰蹙の空〉から出てこない限り。そうでしょう?」
グローリア連邦共和国にとって、インペリウム帝国という国は邪魔な国として。仮想敵国としての認識はあった。しかしながら、〈顰蹙の空〉という対処しようのない超複雑術式魔法が展開されていたため、どうすることもできなかった。そう、スンムスは当時の状況を教えてくれるのだった。
「世界各国を巻き込んだ戦いともなれば、どの国も渋るとしか言えないんだ。戦線が広がることは目に見えているし。何より、軍事レベルが乏しい国はグローリアやイニティウムから義勇軍の支援がないと、とてもじゃないが、魔法エネルギーの放出量で負けが見えているからな。それに、魔術工学が発展していない国はインペリウムに勝ち目はまずない。どの国もマキナ国みたいな国ではないのだから」
スンムスもタバコを吸いたくなったのか、花タバコに火をつけだし、煙を燻らせる。
「仮に義勇軍を送れたとしても、我が国しか支援ができないと思う。イニティウムは島国だからな。送りたくても防衛ラインの兵士が足りないだろうし」
「じゃあ、あんたらが〈顰蹙の空〉から出てこなかったら、インペリウムとの戦争はなかったってわけか?」
アークのその言葉に、ジョクラトルとスンムスは頷いた。その二人の様子にポンコツ一号が《もしかして》と一つの憶測を立てる。
《〈フラーテル・アウローラ〉が他の国へ交渉しに行ったのは、グローリア連邦共和国がインペリウム帝国との戦争をするためだったのですか?》
「その通りだ」
軍事国家として名高いグローリア連邦共和国。この国は軍事と政治が綿密に絡み合う国であり、現に将軍としての肩書きを持つスンムスは中央政権に携わっているのだ。因みに、今現在サンクトゥス山で指揮官として駐在しているポルケルーノ少将も本来は政治家の家系であり、曾祖母はグローリアの将軍だった――ということはアークにとってどうでもいい。とにかく、軍事国家としての動機は国民を打倒インペリウム帝国という扇動で経済や文明を潤そうと考えていたらしい。
「〈フラーテル・アウローラ〉の構成員のほとんどがグローリア人だというからな。それを利用したプロパガンダのおかげで、本当にインペリウム帝国との戦争時には志願兵の割合が増えたし、同盟軍として動いてくれる国も予想を上回る数になった」
スンムス曰く、軍人の外交官が戦争の話を持ち掛けるよりも、被害者である〈フラーテル・アウローラ〉の彼らが悲願する方が成功率が上がるとのことで、それ以外にも世界各国からの財閥やグループからの軍資金の援助もあったと言う。
「そして、何より誰しもが破壊することができないと謳われていた〈黒い壁〉に穴を空けて出てきたんだ。あの国を討ち取る可能性も教えてくれた。だったら、今が好機だろう。今に攻めないで、話を風化しても仕方ないだろう。軍事会議ではそのような話題で大いに盛り上がったよ」
大きな息と共に、花タバコの煙を吐き出すスンムスはまだ長いというのに、それを灰皿に押し付けた。もう吸う気にはならないのだろうか。もったいないな、とアークは思いつつも、偶然にも彼と視線がぶつかった。それでスンムスが言いたかったこと。グローリア連邦共和国は人々を軍事利用してきたその天罰が背後にいる、と。
「だから、あの土地へ君たちが足を踏み入れるのは止めて欲しい。現状では、我が国が一番動員数が多いんだ。これ以上、兵力が減るのは軍事の機能が限界になってしまうのだよ」
彼は言う。このようなことを言いたくはないが、なぜにポルケルーノをサンクトゥス山地へと派遣したのかわかるか、と。なぜに後からモーディンを派遣したのかわかるか、と。
「元々、ポルケルーノ少将は中央軍政議員だ。軍事として働くよりも、政治家としての仕事が多かった。そんな彼を派遣したのは、指揮官不足によるものなんだよ。現場を知る将校のほとんどを義勇兵として、各地に送ってしまったから。それに加えて、モーディン少将の場合はイニティウムへ義勇軍を送った際の師団長だったんだ。だから、モーディン少将を外すのには苦渋の決断だったさ。すでにイニティウムの一部はインペリウムに占領されてしまったていたから」
スンムスの嘆願はアークの目に届いてはいるようだが、それをどのように処理をするのかは彼次第。ジョクラトルは横目で彼を見た。じっとスンムスとの視線を逸らそうとしないアークは何を言うのか。
ジョクラトルとしては、いつもの人の話を聞こうとしないアークであって欲しいと思っていた。なぜならば、その三国共有領地にレグルスがいるという判断であるならば、カーリーもそこにいるという可能性を捨てたくなかったから。彼は彼女を助けたいのだ。未だとして、レグルスの魔法エネルギーの結晶に閉じ込められているカーリーはどうしているのだろうか。早いところ、解放してあげたい。その念が彼の心を支配する。
別にアークに決定権があると決まっているわけではない。一瞬、その思いがジョクラトルの頭に過った。そして、彼はすぐさま口にしたくて「スンムス将軍殿」と呼び掛けた。
「国交情勢に水を差すことはお許しください。しかしながら、すべての元凶はあの立ち入り厳禁の土地にいており、なおかつとんでもないリスクを世界中の人々に課した状態で〈壁〉や〈滝〉の向こう側をこちらにつなげようとしているのですよ。それに……それに、カーリーだっている。助けてあげたい。わたくしは、あの子に何度も救われたことがあります。だから、どうか……」
「…………」
スンムスの反応は悪い。唇を尖らせて、アークからの視線を外していた。どうしても、三国共有領地へ足を踏み入れることを諦めて欲しいらしい。だが、この二人は――パティたちを含めた彼らは諦めが悪かった。
「あの女はどうでもいい」
アークは短くなった花タバコを灰皿に押し付けると、立ち上がった。この発言に、ジョクラトルたちは彼を睨み付けてくるも、その視線に臆することはない。
「俺は、なぜに過去に死んだはずの俺を現世に呼び寄せた理由を知りたいんだ。それが事実ならば、あいつは何かやましいことを考えていることがわかるだろ」
「し、しかし……」
「この国が滅びようが、俺には一切関係のない話だ」
再び、二人の目が合う。スンムスは人の心を読み取る力があるわけではないにしろ、グローリア民族ではある。ある程度の察しはついた。アークが何を言うのか――。
「この国が周りから攻撃を受けるその前に、俺が潰してやろうか」
こいつのこの目は本気で言っていた。だからこそ、誰もが戦慄する。パティが《何を仰っているのですか》とどこか焦りを見せていた。だとしても、そんなことアークにはお構いなし。別案として「じゃあ」と窓の外を見た。今でこそ、見慣れた摩天楼が立ち並ぶこの町には思い入れはマルガリータの店ぐらいしかないが――。
「“俺と同盟を結ぶ” という手もある」
ペーパーレス化の進まない国で嬉しい限りだとでも言うように、アークは適当に紙を手にして『三国共有領地への立ち入り厳禁を解除すること』、そして自分の名前を記入すると、その一文だけの文書をスンムスに押し付けた。
「あんたが俺に課せたい条件でも書けば? ただし、あの土地の進入禁止はなしで」
言わば、白紙契約文書とでも言うべきか。正確には一文のみ書かれた白紙契約文書か。どちらにせよ、このままスンムスが自分通りの条件を記入してしまえば、アークはかなりの不利な立場と化するだろう。しかしながら、それすらも恐れない精神を持つ彼は余程の余裕があるのか。それとも、何が何でも三国共有領地へ行きたいのだろう。
アークから突き付けられた文書に頭を悩ますスンムスは「時間をくれるか」とだけ言うと、彼らを執務室から追い出すのであった。
◆
アークたちが立ち去った執務室で、スンムスは一息をつくために新しい花タバコに手をつけた。細い煙を吐き出すと、窓の外に目をやった。立ち並ぶ摩天楼。ここまでの建築技術が発展したのも、時代の流れとも言うべきだろう。今を生きるこの時代は過去との絡みが生じ合って、とても複雑としている。もはや、誰を信頼してもいいのかわからないほどの状況。下の方には彼らの姿が見える。時間があるから、たまには町中を歩くつもりなのかもしれない。
そんな彼らの姿にスンムスは再び、アークから渡された文書を見つめた。綺麗な字とは言えない乱雑に書かれた一文と名前が。彼は思う。もしも、アークがグローリア連邦共和国の軍人で、それなりに将校としての肩書きがあったら、代筆役が付けられるだろうな、と。
――待てよ?
ここで、スンムスの動きが止まった。じっと、アークの汚い字を見る。タバコが徐々に灰に変わっていく。
「……こういう手もあるな」
まだほとんど吸っていない花タバコを灰皿へと押し付けるスンムスは何かを考え付いたようではある。
◆
スンムスの答えが出るまで何もすることがない。それが故に、アークたちは久々に町中を歩いていた。二年半前とは違って、どこか安定した様子。以前はインペリウム帝国に対するデモンストレーションがあったりしたのに。もう滅んだと言ってもおかしくないから、こうして浮かれているのだろうか。
待ちゆく人々とすれ違いながら、アークの足は自然とマルガリータの店へと向かっていた。もちろん、半歩後をジョクラトルが追いながら。
「なあ、アーク。お前、あんな無条件文書みたいなのを突き出してさ、自分自身の心配をしなくていいのか?」
彼はアークを心配していた。よくもまあ、世界中に敵を回しますとでも言うような発言をしたのと同等のことをやってのけたな、と思う。あんなもの、使い物になる文書とは言いがたいのだが。
愁眉を開くジョクラトルに対し、アークはというと、「別に何も」と己の心配は微塵もしていないようだった。それどころか、楽しそうにポケットに入っている硬貨をジャラジャラと音立てているではないか。
「流石に将軍殿はアークが圧倒的不利になるような条件を書きはしないと思いたいが、仮に単身で世界中と戦えとか書かれていたらどうするんだよ。特に武力禁止で、対話のみとか書かれてたら」
「そのときはそのとき。きちんと話はするさ」
《それ、魔術での対話をするとか言わないでくださいよ》
アークの頭の中を見られたとでも言うべきか。サックスのツッコミに、彼は一瞬だけ硬直したから。ああ、こいつ、絶対に暴力で解決しようと考えていたな? それこそ、最大のヒンシュクを買うぞ。元々がインペリウム人であるからこそ、すぐに攻撃対象と化するに決まっている。
「頼むから、危ない橋だけは渡らないでくれよ」
「はいはい」
ジョクラトルの忠告なんて耳を貸す気なしのアークはマルガリータの店の前にやって来た。彼女の店は二年半前と変わらない佇まい。そこへ、彼は何事もなかったかのようにして、店内へと入るのだが――。
「お化け!?」
腰を抜かしてしまったマルガリータが。彼女のその反応に、アークは片眉を上げ、ジョクラトルは「あ」と感嘆を上げる。その声と共に、アークは「どういうことだ?」と目を合わせると――。
「……あんた、勝手に俺を殺すなよな」
忘れていた。カリクルスブンの作戦に乗るため、わざとグローリア連邦共和国内ではアークが死んだという情報を流していたことを。そもそも、この国の国民との交流がマルガリータしかいない彼だ。いつも仕事が忙しいジョクラトルが訂正する余地なんてあるはずもなく――。
「悪いな」
慌てて、マルガリータのもとへと駆け寄るジョクラトルは手を貸した。
「すみません、マルガリータさん。俺、嘘をついてしまいました。反勢力のやつらを騙すために、わざとアークを死んだことにしていましたので……」
「えっ、じゃあ……ここにいるのは生きているのかい?」
《はい、紛れもなく生きたアークですよ》
「そ、そうなのかい」
目の前にいるアークが生きた人間であることを確認するために、マルガリータはおそるおそる彼に近付いて、そっと触れてみた。普通に触れた。この様子を見ていたジョクラトルはまるで、腫れもの扱いだなと思っていた。
「……全く、年寄りで遊ぶんじゃないよ」
すべてに安心したのか、彼女はため息と共に涙目になっていた。その涙が頬に垂れないようにして、軽く指で拭き取ると、店の奥へと行こうとする。
「今日は何にするかい? ライト? リッチ? グレード?」
声が少しだけ震えていた。そんなマルガリータに小さく肩を竦めるアークは「グレードが欲しいところだが、生憎金がなくてね」とリッチを選んだ。花タバコの箱を二箱手に取り、お金を彼女に渡す。そのしわだらけの手にアークから渡されたお金が置かれた。
「ばあさん、灰皿を貸してくれ」
「待ってな」
アークがいてくれて、嬉しいからだろう。マルガリータはすぐさま灰皿を持ってきてくれた。それを待ち侘びていたかのように、彼はタバコに火をつけて、紫煙を燻らせた。そんな彼らを見つめていたジョクラトル自身もタバコを購入して、一緒に吸う。久々のゆったりとした一時。
二年半前が不意に昨日のことのように思い出す。ここにはいるはずだった者がいたのに。少しだけ寂しいマルガリータは「あの子らは後で来るのかい?」とパティに訊ねた。
「どうせならば、あの女の子と男の子も一緒に来て欲しかったんだけどねぇ」
いつでも来ていいように。タバコを嗜む二人の横からカーリーがお気に入りのお菓子と、ミレル用にと花タバコの箱を手にしていた。これに関して、アークは口にする気はないのか、黙る。もちろん、ジョクラトルだって。彼らはパティとサックスを見てきた。口に出しづらいからこそ、二機にお願いする。逃げとも言えるかもしれないが、特にミレルに関しては形容しがたい現実がそこにあるのだ。
二人に察したパティとサックスは淡々とカーリーとミレルのことについて。それを踏まえて、二年半前からの出来事を簡潔に伝えた。マルガリータはその話を真摯に受け止めつつも手にしていたお菓子とタバコの箱をアークに渡した。
「あの女の子は可能性があるにしても、あの男の子にこれを」
「……ああ」
ちらりとマルガリータの方を見るアーク。その視線に気付いた彼女は「安心しな」と店の奥に置いている帳簿へと手をつけるのだった。
「お金は取らないから。いいから、あの女の子を捜し出してきて、渡してやりな。きっと、あの子はこのお菓子が食べたいとでも思っているさ」
それに、とニヤリと笑うマルガリータは面白おかしそうに「さっさと迎えに行っておやりよ」と口にするのだった。どこか、二人をからかっているようではあるのだが、ここまでの彼女が何に察しているのか理解しがたい男どもは顔を見合わせながらも短くなった花タバコを灰皿に押し付けるのであった。




