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夜明けの光を待つ  作者: 池田 ヒロ
第一章
5/112

心内は嘘をつけない

ID 0000271【M】【T.04要塞への奇襲作戦について(結果)】

F:ID 0000001

T:IDa 0000000


<被害状況>

作戦部隊第一班(本部):通信機器による電波障害あり。

                幾人かとの通信が途絶える。

作戦部隊第二班:全滅。

作戦部隊第三班:半数が敵から死傷を受ける。

作戦部隊第四班:複数人が重傷を負う。

作戦部隊第五班:半数が敵から死傷を受ける。

作戦部隊第六班:全滅。


 先日行われたT.04要塞奇襲作戦の結果を報告する。みなも知っての通り、本作戦は失敗に終わった。その作戦の失敗を受け入れられない者もいるとは思うが、これが現実であることには変わりない。だが、我ら〈フラーテル・アウローラ〉はまだ負けていない。これで終わりではない。我々の勝利を望む仲間たちは〈顰蹙の空〉の外にいる。

 兄弟たちよ。いつの日か、必ず報われなかった仲間たちと共に夜明けを見よう。それが、我々が望むべき未来だ。

 仕事は一段落した。多少の時間が空いてしまったようだが、あの道具女は自分の存在を知るための方法を思いついただろうか。いや、そうでなくても、今回の収穫を報告したかったらしい。SIPW8-00000はにやけ面で捕虜収監所へと戻ってきた。移動術式魔法陣に乗って、こちらへとやって来てみて、違和感があった。前回のときとは違う何か。それはすぐにわかった。〈OPERATOR〉が増えたから。そう言えば、と思い出す。SIPW8-10001は監視を増やすと言っていた。あれは本当だったらしい。それならば、あの約束自体も――もう時間はない。明日が期限だ。ギリギリまでどのように利用すればいいかを模索しなければ。


――何、たとえ時間がなくとも、ヒントぐらいは得れば問題ない。


 SIPW8-00000は地下へと続く階段をゆっくりと下りていく。一人だけの足音がこの施設内に響いていた。この音、あの道具女にも聞こえているのだろうか。彼女は確か、ルーメンという民族だ。あの女の目がそう教えてくれた。他にも、判断できる特徴を目の奥で知った。ルーメン民族とは、暗闇でもわかる美しく輝く目を持っている。世界中にいる様々な民族を見ても、彼らだけらしい。あんな風にキラキラと輝いているのは。それと、尖った耳に鋭い五感。短所を上げるならば、魔法エネルギーを体内に受け入れて放出する量の少なさだろうか。自分たちと比べて、放出できる量はとても少ない。こちらが術式魔法弾を五個ほど軽々しく展開できるのに対して、ルーメン民族は一つを作ることに苦労をしているようだ。

 だからか、とSIPW8-00000は納得する。魔術に関して他の民族に比べて劣りやすいからこそ、特化した五感があるのかと。それに、体術関係もだ。魔術が使えなくても、戦おうとしていた。あの道具女は!

 ニヤニヤと面白おかしそうにSIPW8-00000が下りていくと、一機の〈OPERATOR〉が目の前に現れた。


《SIPW8-10001より伝言です》


 こちらへと話しかけてくる〈OPERATOR〉。して、伝言とは? 片眉を上げて、怪訝そうにそいつを見つめる。そいつは赤色に光る目玉を警戒するかのようにして、煩わしく点灯させていた。


《 “牢の中に入るならば、たとえ誰よりも強いSIPW8-00000であっても、実力行使をします。” だそうです》


「嫌だ、とでも伝えてくれ」


 押し退けるようにして、道具女がいる場所へと向かう。その後ろを、SIPW8-10001の伝言を承った〈OPERATOR〉がフワフワと漂いながら着いてくる。いつでも戦えるように、とどこか臨戦態勢でいるようだった。それほどまでにSIPW8-10001は捕虜を取ることを許さないと申すのか。ここで戦うのは問題が生じる。これでも、一応は道具女と話す条件では全裸でいなければならないのだから。


《SIPW8-00000のその指示にWQ-007800は従えません。WQ-007800はSIPW-1とSIPW8-10001の権限によってSIPW8-00000に指示を出しています》


「……あっそ」


 暴れるのは、こちらとしては一向に構わない。だが、残念なことに軍事規律には施設破壊は禁止だとあった。そのようなことをしてしまえば、謹慎処分が待っている。こうして、面倒臭い指示事を聞かされるより、とても退屈な “じっとしておけ” を実行しなければならない。そのようなものはとてもつまらないし、暇過ぎる。だからこそ、嫌々とルールを。しきたりを守らなければならない。嫌な職場ではある。そう思うSIPW8-00000は道具女がいる牢の前にやって来た。彼女は顔を俯かせて、眠っているようである。こちらの会話などは聞いていないのか。服をすべて脱いでその場に座り込んだ。そして、彼女の傍らにいる〈OPERATOR〉に「起こせ」と命令をするも、道具女は勝手に目を覚ました。こちらの方へと寝ぼけ眼を向けながら「あれ?」と間抜けな声を上げるのだった。

 どうやら、柵の向こう側にいるから少しばかり驚いているようである。

 何かしら、道具女は助かったと思っているようだ。なぜなのかはわからない。であっても、その安堵した顔は何なのか。SIPW8-00000は理解不能だった。


 一方でカーリーは最後に会った日が互いの唇を重ねたという事故? 事件があったのだから気まずいと思っていた。それから、ほとんど何も話さずして別れたのだから。だからこそ、この一定の距離に感謝をしていた。この心内はできれば、アークという〈ニンギョウ〉には知られたくない。そのため、なるべく視線は合わせないようにしたい。

 だとしても、どうして中へと入ってこないのかということに関しては気になって仕方ない。思わず「どうしたの?」と訊いてしまった。


「こっちに入らないんだ」


 別に入って欲しくはない。何かしらと気まずいから。この質問に彼は「中に入るなって言われた」とどこか不貞腐れ気味に答えた。


「だから、ここで話すしかない」


「なんか、最近〈ニンギョウの目〉が増えたんだけど。ああ、私の言っている意味わかる?」


「知ってる。〈OPERATOR〉のことだろ。そいつらが教えてくれたからな」


「じゃあ、なんで増えたかも、教えてもらったりした?」


「それはどこかの〈SIPs〉になら」


「え」


 それはもしかして? 逆に〈ニンギョウ〉に脱走計画がバレてしまったからなのだろうか。彼は目が合ったとき、すでに気付いていたのだろうか。それならば、話の合点はいくが――気になることが一つある。なぜに彼は中に入ってはいけないのか。彼ぐらいの力を持っているならば、この魔術が使えない牢屋で、体術で挑んでも負けてしまうのに。羨ましいチート能力付きなのに。負けるとは思えないのに。それが一番の問題だ。そもそも、彼らの誰に言われたのだろうか。訊いてみるか? いや、答えてくれなさそう。こういうときだけは。「あんたには関係のない話だ」で終わられそう。こいつは妙に意地の悪いやつだから。だからこそ、最初から訊いても無駄だろう。とにかく、誰かに中に入るなと念を押された。それも、彼をそういう風にして動かせる上の立場の誰かがだ。相当の地位が高いやつなのかもしれない。

 カーリーは増えた〈ニンギョウの目〉たちを見た。自分の視線に気付いたのか、彼らは視線を一斉にこちらへと移動してきた。それが地味に怖くて、肩を強張らせる。彼女の行動を見ていた〈ニンギョウ〉は「何をびっくりしているんだ」と不思議そうな顔をしているではないか。いや、普通にびっくりするから。


「なんと言うか、すごいこっちの方をみてくるから。あなたと話しづらい」


「ああ、そう」


 この男ですらもこちらを見てくる。ということは、互いの目で会話をしようという魂胆か。〈ニンギョウの目〉は音声も記録できる。彼は今回の会話で、誰にも聞かれたくないとでも考えているのか? 恐々と、こいつの真っ黒で濁った目を見た。なるべく脱走のことを考えないようにして。ああ、いつ見ても生きた人間じゃない目。ちょっとだけ同情はしてあげる。

 その濁った黒色の目が語るのは、またしてもカーリーの兄であるラクマの死だった。頭が破裂する瞬間がとても不快に思う。しかし、ここで目を逸らす気にはなれなかった。もしも、目を逸らしてしまえば、こちらが負けてしまうと思ったからだ。自分が格下だと思われてしまうから。この〈ニンギョウ〉は自分を人間としてみようとしない人物だ。道具として扱うと言っていた。だが、一方でこちらは人間として生きると宣言した。それでも、やはり目は逸らしたくなるほど、吸い込まれそうな目だと思えた。そのおかげで、あのことを思い出してしまったではないか。

 カーリーは顔を真っ赤にさせながら、どうにか視線を逸らさずに見続けていると――妙に違う景色に切り替わった気がした。見覚えのある場所。これは〈T.04要塞〉内か? 幾人の反インペリウム帝国軍らしき者たちが見える。インペリウム帝国軍の軍服でもなければ、〈ニンギョウ〉たちが着るような服で自分たちは着用しないから。ならば、こいつの視点? 彼らは? 見覚えがある。〈フラーテル・アウローラ〉内の仲間たちだ。間違いない。知っている人たちもいる。彼らは作戦部隊第二班に所属していて、確か当時の担当は北門の陽動だったはず。それなのに、この視点では〈顰蹙の空〉の〈制御装置塔〉へのルートへと向かっている? その反インペリウム帝国軍の誰かが術式魔法弾を撃ってきた。

 ここで彼の記憶らしきものは途切れ変わるようにして、〈ニンギョウの目〉が映し出される。また切り替わった。今度は〈制御装置塔〉にほど近い場所。目の前には反インペリウム帝国軍にして――。

 破裂音が聞こえてくる。こちらへと向かってくるのは、カーリーと同じように輝く紫色の目をした誰か。


――父さん!?


 これ以上、目を合わせるのは。慌てて、〈ニンギョウ〉との視線を背けた。彼が語りたがっていることは把握できた。言いたいことも十分にわかる。だからこそ、カーリーは歯噛みしながら立ち上がった。怒りに満ちた顔を相手に向けながら、柵に手を握る。


「あなた……!」


 これだけのために、目で会話をする気だったのか。何たる悪趣味。本当に最低最悪野郎である。当の本人の言うとおりだ。こいつは紛れもない――。


「言っただろ?」


 目の前の〈ニンギョウ〉は否定しない。


「俺は人殺しだ」


 ニヤニヤと口角を上げながら、道具女の反応を素直に楽しんでいた。予想通り、とでも言うべきか。定番的であるが、悪くはないと思う。当然の結果とは思っていたから。


――本当は?


 ただ、柵を握りしめたままのカーリーは握る手を強めた。


――本当は誰かに入るなと言われたのは嘘? こうして、外で傍観することによって、手出しができないとわかっていた?


 そうであるならば、とても悔しい。


――こいつのこと、信じようとしていた私がバカだった! 死にたい、今すぐに死にたい!


 カーリーの目からは涙があふれ出てくる。こうした状況で、肉親の死を知るとは思わなかったから。これで完全に独りだ、とその場にへたり込んでしまう。彼女は嗚咽を漏らしていた。相当心に来るから、顔から水気の物が下に落ちていく。彼の方からは、顔が俯いている状態であるため、表情が見えないだろう。いや、そうでなくてもこちらの様子は大体わかるはずだ。


 事実、そのようでSIPW8-00000は道具女を見下すようにして見ていた。そのときの顔は――これでも同情とやらをしてあげているんだぞ?


――悔しそうだ。


 大切だと思っている誰かが、自分自身を生かしている目の前のやつに殺されたから。その様子に声を出して笑ってしまいそうだ。おっと、我慢は無理がある感じ?


「聞かせてもらおうか」


 SIPW8-00000は悪意ある含み笑いをする。


「お土産の感想を」


 この発言に、道具女は顔を上げた。目から涙をこぼしながら、こちらを全力で睨みつけてくる。その目は憎悪が窺えた。似ているなと思う。彼女の父親の目に。これが親子か。全く以て、羨ましいものではある。


「殺してよ」


 彼女の目付きに関心をしていると、そう言ってきた。思わず、SIPW8-00000は小さな反応を見せる。


「殺してよ。もう、生きたって仕方がない」


――兄さんを失い、父さんまで……。


「私は何のために生きているのかが、わからなくなる」


「何のためって、俺のために生きている……」


「そうじゃないっ!」


 柵を握る手はより一層強くなってきていた。


「私はあなたのために生きているんじゃないのっ! 私が私を保つために生きているのっ!」


――こいつ、大っ嫌い!


 こいつのために生きる? バカバカしい。そういう意味で言ったわけではないのだ。あの発言はカーリーがこの場から逃げ出すためについた嘘なのだから。わざと、話に乗ってあげていただけ。信じていたふりをしていただけ。自分を含めた反インペリウム帝国軍の勢力の狙いは基本的に〈顰蹙の空〉からの脱出。そして、〈フラーテル・アウローラ〉はそこから世界各国で同士を集めて、このろくでもないことを考えているクズインペリウムを滅ぼすこと。最高の祖国インペリウムだなんて。〈ニンギョウ〉たちから呼ばれている皇帝を討つことを目的として生きているのだ。

 だがしかし、たとえこの願いが叶ったとしても、カーリーにとってはその先はただ虚しいだけ。大切な人の仇を討ったところで、何も残らない。それを彼女は見据えていたのである。もう嫌になる。そんな思いであったが、彼自身は相も変わらず「だから?」と、どうでもよさそうに、こちらを見ていた。


「俺はお土産の感想を訊いているんだ。別にあんたの心情を訊いているんじゃない」


「何をっ!?」


 途端、目の前に立つ〈ニンギョウ〉。その唐突さに仰け反った。逃がしはしない、と自分の耳を引っ張ってくる。


「答えろよ」


 耳元でそう囁いてきた。是が非でも、この土産話の感想を言わせたいらしい。言わなくてもわかるような内容を、わざわざその腐っていそうな耳で確かめたいらしい。空いている手でこちらの左手を掴んでくる。もう一度「答えろよ」と言ってくるのだ。


「面白おかしい土産話でした、か。それとも、とても悔しいです、か」


「そんなの、悔しいに――」


「だよなぁ?」


 背筋が凍るような声音だった。


「そうだよなぁ? 俺はそれを待っていた」


――待っていた?


「正直言って、あんたの反応がとても面白いよ。これ以上までにない楽しさがここにある」


――反応が面白い? 楽しい?


「なあ、もっと俺を楽しませてくれよ」


 もう何も反論できなかった。ただ、ただ怯えた顔を彼に見せつけるだけ。恐怖心を見せつけるだけ。それを彼は快く受け取る気になっているようだ。この表情はとても心地よいものだと思っているようだ。


――最高だ。


 一瞬だけ、目が合う。その思いは快感を得ているようだ。だからなのか、あまり彼の心の中を見る気にはなれなかった。途轍もない、性格の悪い一面を見てしまったから。


 あまりにも恐怖心を抱いている道具女に高揚するSIPW8-00000。目の前にいる逃げられないこいつを傷付けたら、もっと気持ちがいいものだろう。髪の毛を引っ張ったとき、耳を引っ張ったとき、殺そうとしたとき。どれも痛そうな顔をしていた。


――耳を引き千切ったら、どんな反応をするのか。


 好奇心に勝てないのか、彼女の耳を強く引っ張ろうとするのだが――。


《――私はSIPW8-00000にそんな指示を出したのではありませんがね》


 後ろから音声が聞こえてきた。二人がそちらの方を見ると、そこには一機の〈OPERATOR〉がこちらを見ていたのである。そこから流れてきた声でSIPW8-00000は興ざめしてしまう。心底どうでもいい。だから、耳と左手を解放してあげた。それにあやかるようにして、道具女は牢獄の奥へと逃げるようにして下がる。


 〈ニンギョウ〉の背後にいる〈ニンギョウの目〉は無機質感のある声で《SIPW8-10001の監視が入っています》としゃべった。先ほどの声よりいくらかのキー音が高い。それよりも、〈ニンギョウの目〉ってしゃべれるんだ、とカーリーは初めて知った。これまでの戦いなどにおいては音声を聞くということはなかったから。何というか、普通に会話ができる機会とでも言うべきだろうか。困惑するカーリーをよそに、〈ニンギョウの目〉は低めのキー音の音声でしゃべり出す。


《――もっともな話、私はそういうものを見たいのではありません。これ以上の捕虜の痛めつけは禁止です》


「その指示を俺は受け入れる気はない」


 駄々をこねる子どものようだ。カーリーには彼の表情は見えないが、どことなく、唇を尖らせて不満げな小さな子どものような顔をしていることであろう。


《――何を言っているのですか》


 呆れた声音で声の主であるSIPW8-10001は言う。


《――私はSIPW8-00000の上司でありますよ。上司命令違反になります。何より、以前にも話した通り、SIPW8-00000が申請した捕虜申請届は受理できません》


 その事実に、〈ニンギョウ〉は柵を拳で強く叩いた。鈍い音がその場に響き渡る。この頑丈そうな柵をへこませたのである。音に肩を強張らせるカーリーをよそに、周囲にいた他の〈ニンギョウの目〉たちが注目する。


《施設破壊は規律違反になります》


「知っているんだよ、そんなことはっ!」


 この男にも苛立ちはあるらしい。勝手にその場を後にしようとした。だが、SIPW8-10001とやらは気まずいという言葉を知らないのだろうか。彼に《わかっていますね?》と呼び止める。


《――約束の期日は明日ですよ》


 これには何も答えずに、彼は出ていってしまった。何があって、どうなっているのかほとんど把握できていないカーリーは涙を流した状態で茫然とするばかり。まるで嵐が去ったような沈黙が続いた後、いくつかの〈ニンギョウの目〉たちはあの男がへこませた柵の修復をし始める。彼らはそのようなことも可能らしい。万能だ。そう思っていれば、あの〈ニンギョウ〉の上司であるSIPW8-10001の音声を出していた〈ニンギョウの目〉が近付いてきた。


《仮捕虜J-K4にSIPW8-10001から連絡があります》


「へ?」


 困惑しながらも、カーリーは小さく頷いた。それ以外にどうすることもできないから。そうすると、〈ニンギョウの目〉から再びSIPW8-10001の声が聞こえてくる。


《――明日、あなた……仮捕虜J-K4をどのような手を使っても処分します。インペリウムには捕虜は存在する必要はありませんので》


「え」


     ◆


【明日、あなた……仮捕虜J-K4をどのような手を使っても処分します】


 先ほどのSIPW8-10001の言葉が頭から離れそうになかった。あれから、どれほどの時間が経っただろうか。すでにあの〈ニンギョウ〉がへこませた柵は元通りだ。それだからこそ、多数の〈ニンギョウの目〉たちはあちらこちらとあたりを浮遊していた。一方で初日からカーリーの傍らにいる〈ニンギョウの目〉はずっと牢の中に居続けている。もう慣れた。あと数時間すれば、こうした煩わしさからも解放できるのだから。

 死にたいと思っていたから、ちょうどいいはずだ。これで、ようやく死ねる。そう思っていても、カーリーの震えは止まらなかった。怖いと思う自分がいる。矛盾している自分がいる。明日にならないで欲しいと思っている彼女が、膝を抱えて、大きく項垂れていると――。


(仮捕虜J-K4にメッセージがあります)


 そういう無機質感のある声が頭に響いてきた。声とはどこか違う気もするが、それでも誰かの声であることは違いない。カーリーは周りを見渡した。そこにいるのは忙しく移動しているだけの〈ニンギョウの目〉たちだけ。気のせいではない。はっきりと聞こえてきたのに。それなのに、反応はなかった。


(――きょろきょろするな)


 まただ。誰だろう? さっきの声とは違う。周りの〈ニンギョウの目〉に反応はない。


(――言っておくが、誰にもあんたを殺させやしないからな)


 ここでようやくわかった。これは周辺にいる〈ニンギョウの目〉のどれかにあの〈ニンギョウ〉がメッセージでも残したのだと。いや、監視をしているのかもしれない。そこら辺はよくわからないのだが、彼はまだ自分を殺す気にはないらしい。


(――明日、話をしたいって言っていたよな? 聞きに来る)


 そう言えば、そんな約束をしていたっけ。ならば、明日までに待てばいいのか。それでも、あの〈ニンギョウ〉には色々と訊きたいこともあるし、話したいこともある。彼のメッセージを発している〈ニンギョウの目〉に訊ねようとしても、難しい話だろう。彼以外の、このメッセージを発している〈ニンギョウの目〉以外のインペリウムの人間は自分を殺す、と決めているはずだ。メッセージの内容が漏えいしてしまえば、あの〈ニンギョウ〉の考えは水の泡。もちろん、自分の考えもだ。いいや、自分にとっての作戦もまだまだ終わったわけではない。本来はこの牢獄から脱出し、〈フラーテル・アウローラ〉の仲間たち――家族はいないにしても、彼らと〈顰蹙の空〉から逃げ出すことがカーリーの考えなのだから。

 死か利用されるか。それらを天秤にかけてみれば、己の心に訊けばわかった。


――私はまだ死にたくない。


【俺たちが奪われた国を取り戻すんだ】


 兄であるラクマはそう言っていた。知らない祖国、クラルス王国。彼女が生まれる約百六十年も前から〈顰蹙の空〉によって、失われてしまったと聞く。国の要人たちは勝てないと気付いたからなのか、クズインペリウムに手の平を返した。父親のジェイヴは悔しそうに昔話をしていた。

 クラルス王国の名誉を、誇りを取り戻すため。取り残された他の国の人たちだって同じ。インペリウム帝国がやったことは許されない事実がある。


――私はあの〈ニンギョウ〉から必要とされている。私がいなくなったとしても、あの男がどうなろうが、知ったこっちゃない。それでも明日、全部を話そう。彼の目を見て話そう。今の私と彼は利害一致しているはず。


 兄と父親を殺した相手。許せない相手だとは十分に理解している。


――それもクラルスを取り戻すため。外の世界を見るため。仲間の犠牲は無駄にできない。


 昔見た夢に出てきた男の子。とても勇敢だった。常に率先して、戦おうとする意志を持っていた。そんな彼をカーリーは見習いたい、と思った。


――私にも、あの子のような勇敢さがあれば……。


 別に卑怯でもいい。自分がするべきこと、やりたいこと。それらを心の中で問い質せば、答えは出てくる。願いを叶えなければならない。


――向こうが私を利用するなら、すればいい。その代わり、私もあの人を利用すればいいだけの話!


 すべて決まるのは明日。どうなるのかはわからない。カーリーが死ぬのか。それとも、生き延びるのか。これはあの〈ニンギョウ〉の行動に関わってくるであろう。


――ここから逃げ出す、その意志を私が折ってしまってはいけない。あの男の言いなりになるのは癪だが、彼のためを建前に生き延びる。だからこそ、ここから脱走する。〈顰蹙の空〉の外へ出てやる!


 カーリーは周りの〈ニンギョウの目〉に覚られないようにして、心の中で「ありがとう」と彼にお礼を言うのだった。

[ID 0000624:5726.136のデータログ]

ID 0000413:5726.136.2389.55

  こんなときだが……カーリー誕生日、おめでとう。

ID 0000428:5726.136.2390.88

  本当にこんなときだな、親父。

  まさか、敵地に向かう最中に

  こんなメッセージを送るとは。

ID 0000624:5726.136.2392.69

  いいじゃん、兄さん。

  ありがとう、父さん。作戦は必ず、成功させるから。

ID 0000428:5726.136.2393.19

  カーリー、それは俺がするんだよ。

  今日はお前の誕生日だし、俺がプレゼントしてやる。

ID 0000624:5726.136.2393.84

  えっ、一人じゃ無理でしょ。

  私や他の人たちはどうすればいいの。

ID 0000428:5726.136.2394.12

  一緒に見学でもしていてくれ。

ID 0000624:5726.136.2395.05

  兄さん一人じゃ絶対無理だって。

  そうだよね、父さん。

ID 0000413:5726.136.2399.99

  そうだな、みんなで仲良く作戦を成功させてくれよ。

  そして、何もかもが落ち着いたら、

  三人で静かなところで暮らそう。

  母さんもそれを望んでいるだろう。

ID 0000428:5726.136.2400.65

  もちろん。俺たちは夜明けを見るために!

ID 0000624:5726.136.2400.65

  うん、三人で必ず!

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