心を失わずに生きること
ID 0000624【M】【T.04要塞への奇襲作戦について】
F:ID 0000001
T:IDa 0000000
作戦部隊第一班(本部):指示、連絡担当
作戦部隊第二班:北門陽動担当
作戦部隊第三班:西門陽動担当
作戦部隊第四班:東門陽動担当
作戦部隊第五班:爆弾設置、退却準備担当
作戦部隊第六班:〈制御装置塔〉内にある管理システムの破壊担当
上記に従い、作戦を行うこと。また、T.04要塞には危険な〈ニンギョウ〉が配属されているという情報を入手したため、第六班はその〈ニンギョウ〉との交戦をせずに、〈制御装置塔〉内にある管理システムの破壊に集中すること。塔内にはたくさんの監視やその役がいるため、最善の注意を払え。やむなしに戦闘する場合は武運を祈る。
《――本作戦における作戦部隊第六班に告ぐ。T.04要塞内にいる〈ニンギョウ〉と〈ニンギョウの目〉の現在の配置についてだ》
物陰に隠れて、T.04要塞の全体を確認した。高い壁に囲まれた塔が見える。その上層部から放たれている超複雑術式魔法こそ、インペリウム帝国を中心に展開されている〈祝福の空〉という忌々しい魔術。真上を見てもわかる。空が真っ黒だ。だから、これを〈祝福の空〉と呼ぶにはおかしな話だ。〈顰蹙の空〉という名前の方が正しいと思う。
《――作戦通りに、三つの門に集中して戦力が散り散りになっているようだ。しかし、それでも油断はするな》
作戦本部からの指示。耳に装着しているのは魔術工学で作られた通信機器。音のヴォリュームは最低量。それでもノイズがひどい。うるさく思う。
誰かが肩に手を置いてきた。自分と同じ茶色かかった髪に紫色の光る目。兄のラクマだった。
《――第六班の諸君らが〈顰蹙の空〉を壊さなければならない役目があるのは存じている通り。この腐ったインペリウムから占領された祖国や他の国々の領土を取り戻すため。悪名高き皇帝を討つため。〈顰蹙の空〉から運よく逃れた仲間たちは我らの帰還を心待ちにしているはずだ》
何もラクマ一人だけではない。同じ意思を持った仲間たちがいる。
「俺たちが奪われた国を取り戻すんだ」
《――武運を祈る》
そう、自分たちは〈顰蹙の空〉という厄介な魔術を展開したインペリウム帝国から、奪われた国々を取り戻そうとしている。クラルス王国、ルーメン自治区、グローリア連邦共和国、マキナ国。四つの国が、〈顰蹙の空〉の中に取り残されてしまった我らが――。
地面には死体。苦悶の表情を浮かべたまま、死んだ仲間たち。そこら辺をゴロゴロと横たわらせている。近くには無表情のまま息絶えている〈ニンギョウ〉が。足元には壊れて使い物にならない〈ニンギョウの目〉。その屍を越えて、向かう先は〈顰蹙の空〉の〈制御装置塔〉。行く先々で、敵に遭遇しながらも。血を流しながらも、正義のために貫こうとする。
〈制御装置塔〉は目前。誰もが頬を緩ませるのも束の間。仲間の一人が橙色の血を頭から噴き出した。いや、頭からというのは語弊である。頭だったところから血を噴き出しているのだった。それは一人だけではない。次々に頭がなくなっていく仲間たち。
「早く行けっ!」
ラクマの声。押される体。目に映っているのは、こちらを見てにやけ面の男と頭のない自分の兄。
「人の頭で爆弾が作れるんだぜ」
男の声が最後かと言うようにして、カーリーの記憶はそこで途切れてしまった。
◇
首を絞められている。柵越しでそうしてくるのは、兄や仲間を殺した男だ。目に光というものは全く存在しない。自分の兄を軽々しく殺した〈ニンギョウ〉。まるで壊れた機械おもちゃのように、狂ったような笑い声を上げていた。
本当にこの男は狂っていた。自分のために生きろ? 死ぬことは許さない? どの口がそう言っているのだろうか。ヘラヘラと軽い口を叩きやがって。人の死というものを明らかに見下しているようなものだった。だからこそ、堪忍袋の緒はすぐに切れる。こいつに向かって、今すぐにでも魔術をぶっ放してやりたい。だが、この牢獄は魔術の制御でもかかっているせいか、使えないのが現状だ。
――悔しい。
魔術が使えないということに苛立つ。ラクマや仲間の仇が眼前にいるのに、何もできないことが腹立たしい。ただ、目と目を合わせるだけ。生まれつき、他人の目と合わせれば人の心を読み取れる力を使うしかできない。それで何かしら役に立つかと思えば――。
「あんたが兄貴の言うことを聞いていれば、結果は違っていたんじゃないの?」
ラクマはこいつが殺したのに。遠回しにカーリーが自分の兄を殺したと言われた気分だった。なぜに自分が実の兄を殺さなければならないのか。その理由も、必要性も見当たらない。
男を睨みつけた。図星だなとでも言いたげに「兄貴は “早く行け” って言っていたのになぁ」と現実を突きつけてきた。それぐらい、わかっていた。自分がもたついていたから、殺されてしまった。嘘ではない。そうだとしても、すべて自分に非があるわけではないと信じたい。
「うるさいっ! 黙れっ!」
悔しくて。悲しくて。わかっている、ラクマが殺された要因がカーリーにあることぐらいは。知っているからこそ、わかりきっているからこそ、こいつだけには言われたくなかった。
「私の兄さんを殺したくせにっ!」
涙が出てくる。息が苦しくても、肉親である兄の死は受け入れがたい。なかなか人に相談できなかった己の奇妙な力の相談相手でもあったのに。思い出すは、ラクマとの思い出。その思いは当然、目を合わせている〈ニンギョウ〉にも伝わってきたようで――。
――俺に家族なんていねぇよ。だからどうした?
いないから、悲しい思いをしてはいない。この男が言いたいのは自分に家族はいないから。家族愛というものはくだらないらしい。家族を殺された。だから、どうした。そう実際に「それで?」という軽薄な反応を口に出してくる。
「あんたの兄貴が死んだ。だから、何が言いたい? 俺を殺すってか? ルーメン民族なのに? あんた、自分の力量をわかってんの?」
「読めるでしょ。私と同じように、人の心の中がわかるなら!」
「ああ、読めるさ。読めるよ、読める。あんたが俺を殺したいという気持ちも。この国から〈祝福の空〉をなくし、親たちから聞いてきた本当の祖国とやらを取り戻すっていう気持ちもな」
「そう。その気持ちがあるから、わかるでしょ?」
それとも、人の腹は読めても、すべては理解しきれないおツムが弱いパターンの人? そんなわけあるまい。こうして、ニヤニヤニヤニヤと胸糞悪い笑顔をこちらに向けているんだから。目を見ればわかる。心の中を覗き込んで見ればわかる。「わかるでしょ?」の問いの答えも、目を見れば一目瞭然。
――だったら、殺して生かしてやるよ!
カーリーの右耳には鈍い音が聞こえたかと思うと、左耳の方では肉が削がれる音が聞こえてきた。声にならない痛み。ようやく、首から手を離してくれた。体に力が入らない。周りが見えない。
「気分は最高だな」
僅かに開かれた自身の光る紫色の目。そこに映るのは濁った黒い目。それが言いたいことは “今から死ねるのだから” という殺人名目の拷問だった。こいつ、楽して殺そうとはしてくれないようだ。T.04要塞では軽々しくラクマたちを殺していたのに。自分が死ぬことを許していないからなのか。
「嬉しいだろ? こうして、俺があんたを殺してやってあげている。こうして、俺が望まない死の体験をしてあげているんだからさぁ」
喉から声が出ない。反論したい気持ちがあるが、痛みによって意識が朦朧としてくる。とても首が温かいと思う。これから死に逝くとは思えない。生きているという実感が強くて――ここで、カーリーの意識は飛んでしまうのであった。
◆
誰かに呼ばれた気がして、カーリーは目を覚ました。視界に入り込んできたのは一緒に牢獄に入っている〈ニンギョウの目〉だった。まさか、ただの人工物が呼んだのか? 夢? 先ほどあの男に殺されたのは夢だったのだろうか。ぼんやりと視線の先を眺めていると「起きろ」と彼の声が聞こえてきたではないか。
勢いよく起き上がる。それもそうだ。ラクマの仇。自分が殺されたことが夢であるならば、こちらは現実。早速、カーリーが魔術を繰り出そうとするも――やはり、展開できない。使用できない。そうであるならば、また殺されてしまう? その恐怖心により、彼女は牢の隅へと逃げた。
「何をしているんだ」
なんて言ってくるが、それはこちらのセリフであった。なぜならば、この男は牢獄の中に入ってきているのだから。これは逃げられるチャンスも巡ってきている? 否、出入口は完全に塞がれていた。当然かと当たり前の結果に眉根を寄せる。いや、彼がここにいるならば、魔術は扱えないはず。つまりは体術戦だ。普段は魔術ばかりを頼っている〈ニンギョウ〉がだ。元々が、魔術が不得手なのをカバーするために日々、体の鍛錬を行ってきているルーメン民族に勝ち目はないだろう。この勝負、後ろに素早く回り込んで首を絞め落とせば――!
早速、動くカーリー。視線がぶつかり合う二人。すかさず、男は右手を差し出してきて、後ろへと回り込もうとする彼女に何かを当てた。嫌な音が彼女の耳元で大きく響く。まるで爆発音をすぐ近くで聞いている感覚だった。
何があったかのかという疑問を抱いている場合ではなかった。うるさい音が響いた直後、頭部に激痛が襲ったからだ。結局、後ろから相手の首を絞め落とすことがままならず、カーリーはその場に膝を着いた。
――今のは魔術!?
この牢獄では魔術が使えないはず。それに、二人とも武器は一切持っていない状態である。それならば、何がありえる話だろうか。仕込み武器? それにしては、あの爆発音はなんだったのだろうか。
痛む頭にそっと手を触れた。温かい液体が指先に伝わってくるのがわかった。
「あんたはここから逃げられない」
男の言葉が耳に入ってくる。上から血が垂れてくるせいで、上手く彼の方を見ることができなかったが――ある部分だけは見ることができた。右手。こちらにその手の平を見せてくる。光が見えた。もはや、考えられるのは一つしかない。
右手の平に光を見せびらかしながら、こちらへと近付いてくる。先ほどの魔術攻撃によって、体が動けそうにない。それをいいことに、空いた手で髪の毛を掴んできて、強引に起き上がらせようとしてきた。だからこそ、血が滴ってきていない左目が生気のない男の姿を強く映す。わざと目を合わせてきた。
「なんでって思うだろ?」
その言葉は “どうして自分は魔術が使えない状況なのに、この男は使えるのか” という疑問の意味であろう。もちろん、カーリーはどうしてだろうとは思っている。自分は使えないのに。向こうだけ使えてずるい。
――羨ましいだろ? 別に、ここってルーメン民族だけが魔術使えないってわけじゃない。誰もがだ。インペリウムでぶち込まれるようなやつでも同じ。この牢獄は誰もが使用厳禁。俺だけだ。自由ってわけでもないけど、多少なりとも扱えるのは。
「さて。もう一度、死ぬか? 死んで、また生き返って、俺を殺そうとして、死ぬ?」
殺されたのは夢ではなかった。現実だったのだ。唖然とするカーリーに男は右手にあった魔術を消すと、そっと指先で怪我をしている部分に触れてきた。そのおかげか、血が滴ってこなくなった。彼の指先は血濡れている。その指で頬をなぞってくる。唇をなぞってくる。
「死が怖いか? 殺せって言っていたくせに」
思わず、目を逸らした。怖いのは事実。だからだ。それでも、虚勢を張らないと、生きた心地はしないだろう。それだからこそ「ねえ」と一つの提案を持ちかけてみることに。
「……私、あなたに協力する。何でも言うことを利くから……そのときはあなたも裸になって。服は着ちゃダメ」
ラクマを殺したこの男から下に見られたくなかった。何より、こうして全裸でいることが最大の屈辱である。そう、カーリーを含めた反インペリウム帝国軍の者たちは裸になることは恥という概念がある。それと同様に、彼ら〈ニンギョウ〉は恥がなくとも、“戦えない” という概念を持っていた。彼らは全裸状態では戦えないのである。それがおかしいと思っているのである。
ある意味で嫌がらせ。果たして、この条件を飲むだろうか。とっさに出てきた言葉であるが、これが通れば〈ニンギョウの目〉を巧く掻い潜ってこいつを殺害することだってできる。もしかしたら脱出も可能だ。だが、この考えを相手に知られてはならない。だからこそ、視線を逸らした状態でそう言ったのだった。
これに関して、男の答えは「構わない」だった。以外にも上手い具合に事は進むものなのだな、とカーリーはむしろ驚いていた。そっと視線を合わせないように、彼を見た。彼は空中に漂っている〈ニンギョウの目〉が気になるのか、目で追っているようであった。こちらを疑ってはいない様子。それでも、この条件を受け入れてくれたのだ。後は目を合わせなければ、どうってことはないはず。
「何をしたらいい?」
とにかく、これで対等な関係にはなっただろう。そう確信を持ったカーリーはなるべく視線を合わせないように、そう訊ねた。言うことを聞くにしても、ほとんどは性処理関係だろうか。それぐらいしか思いつかない。それはそれで嫌だな、と思っていると「そうだな」と男はこちらの方を見てきた。
「俺がこうしてあんたを生かしたのも、俺が俺を知るため」
「…………」
「あんたの存在が俺の存在のヒントになると思う。」
「……それって、確信はあるの?」
「ない。俺たちが誰かの目を見て、心の中を見ることができるという共通点を見出しただけ。ただ、どのようにして知るかは全くわからない」
だから、考えろという。何とも無茶な注文に、カーリーは難しい顔をする。彼の存在を知るために自分は生かされた。複雑な気分だ。だとしても、どの道、あのようなことを言ってしまっては取り返しがつかない。何でも言うことを聞くと言ってしまったから。
それならば、としばらく考えて「あなたが知っている自分のことを教えて」と言う。
「それなら、少しの方法も見えてくると思う。だから、とりあえず服を脱いで」
なるほど、と男は本当に全裸となり、自身のことについて教えてくれた。
「俺の名前はSIPW8-00000であるが、アークとも呼ばれている。どちらも好きなように呼べばいい」
名前だけだった。それ以外のことであるならば、ほとんど覚えていないらしい。彼はアーク。インペリウム帝国軍ウセス地区第八番大隊SIPW8-00000という一兵だそう。以前は帝都ケチュータやサセス地区にいたが、T.04要塞に派遣されたとか。その理由は教えてくれなかった。というよりも、語るに語れない。自分のことを何も知らないからなのか。それは本心なのだろうかと心中を覗きたいのだが、生憎こちらの腹の中を見られては困るのだ。
カーリーはどうするべきかと考えるふりをしつつ、脱出法を思案していた。
「さあ、俺の存在を知るためにはどうしたらいい?」
それはこちらのセリフだ、と隠れるようにして歯噛みする。お前のことなんて知らないし、知りたくもないと大声で叫びたい。他力本願のお前だけには言われたくないと唾を吐きたい。だとしても、それはできなかった。後が怖いから。脱走する余裕があれば、そうしてやるのに。
――どうすればいいの?
隣には力では敵わない相手がいる。この牢獄には〈ニンギョウの目〉がいる。逃げるに逃げられない。そして、何より脱走経路という問題も出てくる。おまけに、ここはインペリウム帝国のどこだろうか。
これらの問題を抱えてはいるが、脱出は不可能ではないと目論んでいた。あくまでも逃げてやるという思いだけ。思いだけでどうにかなるとは思っていないが、それだけに賭けていた。
――絶対に逃げてやる。
そうカーリーが小さく微笑んだときだった。
「おい」
〈ニンギョウ〉がこちらの顔を覗き込んできたではないか。これに思わず仰け反る。顔が近い! というか、考えていること消せ! 頭の中から消えろ! え? 消せない?
――七日後に話をしたいことがある。
「はあ?」
「あ……」
目が合ってしまった。濁った黒色の目と光る紫色の目が。慌ててカーリーは目を逸らす。自分が考えていたことをとっさに隠すようにして、別のことを考えてしまったではないか。その結果が七日後に話をしたいと考えてしまう始末。何を考えている。何を。結果オーライであることには変わりないのであるが。
「あんた……」
――いけないっ!?
どう誤魔化せばいいのだろうか。「七日後に話って?」と訊かれてしまえば、そこまでだ。そこら辺を浮遊している〈ニンギョウの目〉は音声すらも拾うはずだから。どこで〈ニンギョウ〉以外の監視員がいるかもわからないから。
嫌な汗が出てきそう。もうダメだ、と思っていると――。
「早く考えてくれ」
人の考えよりも自己中心らしい。〈ニンギョウ〉は自分の話へと持っていこうとしていた。いや、これでいい。これがいい。気にしてはいけない。今、するべきことは本心を隠し通すことだ。そして、彼の信頼を得なければならないはず。それもこの男にバレないようにして。あまり目を合わせようともしないで。
だがしかし、〈ニンギョウ〉には「七日後に話をしたいことがある」とは聞こえている(見えている)はず。その七日後だ。それまでに何かしら彼の信頼を得なければならないだろうか。その日に話をしなければならないのだから。やはり、何でもないと言ってもあやしまれ、心の中を覗き込まれてしまえば一巻の終わり。何とも難しい作戦。〈ニンギョウ〉と揶揄されている者の心を完全にこちらが支配するなんて。それこそが不可能だろう。
半分焦りながらもカーリーは「うん」と返事をした。
「さっきと同じようにお話でもしよう」
「ああ」
と言いつつも、どの話題を出せばいいのやら。相手は自分のことをよく覚えていないと言っている記憶障害を持ったやつだぞ。なんて話題提供に苛まされていると、〈ニンギョウ〉が「そう言えば」と珍しくも向こうから話題を振ってきたではないか。
「あんたはどうして人の心を読める?」
「どうしてって……わからないよ。生まれつきだもん」
生まれつき、人の目を見ればその人の心の中を知ることができた。別に才能でも何でもない。正直言うと、カーリーにとって、この力は呪いなのかもしれない。呪いって? 自分は何をしたのか。何もしていないのに。そうだ、何もしていないからこそ、故郷というものを知らずして育った。インペリウム帝国が祖国クラルス王国を奪った。それを彼女は許せないし、同じ国で生まれ育った者だって。〈顰蹙の空〉のせいで自由に国の行き来ができなくなってしまった他の国の人たちも同じ気持ちだろう。だから反インペリウム帝国軍という反乱軍が存在している。
「あなたは?」
「多分、生まれつき」
そもそも、彼の年齢はいくつだろうか。目を合わせたときは名前だけ。後は少しだけ話して肩書きしかわからなかった。読み取れなかったのだろうか。目を合わせても、今もっている考えを見透かされてしまえば、どうしようもないから訊いてみるしかないだろう。
「あなたって、いくつなの?」
見た目からして、自分より年上なのかもしれない。それも二、三歳くらい? 生気がないように見えるから逆に老けて見えるのか。うーむ、わからない。
カーリーの質問に「さあな」とはぐらかしているのか、素でわからないのか。曖昧な答えを出す。
「気が付いたら、という記憶が多いから」
「それって、覚える気がないだけじゃないの?」
「さあ? ただ、SIPW8-00000って名前やアークは、ほぼ記憶を持たない俺にこの国がくれたものだ。だから、今の俺がいる」
改めてその濁った目を合わせないようにして見る。空っぽの存在であることを知らしめてくれているようだった。憶測としてであるが、インペリウムは名前を与えたと言っているが――彼自身という人格の中身を与えたわけではないだろう。ただ、国として都合のいい人形という外側を与えただけ。だからこそ、彼はラクマの頭が破裂したときにはヘラヘラとしていた。ずっとニヤニヤとしていた。
――やっぱり、クズインペリウムだ。この国に、国民は人間として存在しない。人として生きることを認めない最低な国。正しかった! 私たち〈フラーテル・アウローラ〉の考えが! 自分たちの考えが! わかるか、クズインペリウム! これが正しい人間としての自分たちの在り方。皇帝よ、これはただの自己満足か? 操り人形の兵士を持って、大満足か? 喜ばしいか? 嬉しいよな、感情を持たず、お前の意見に従うだけの国民しかいなくてさ!
カーリーは初めて〈ニンギョウ〉たちに同情してしまった。これまで、そのようなことは一切考えなかったのに。
――彼らは被害者? そう考えるなら、ムカつく! ムカつく、ムカつく! 本当は兄さんを殺したのは皇帝ではないの!?
「おい」
〈ニンギョウ〉に呼びかけられて、我に戻った。そのときに目が合ってしまう。とっさにカーリーは目を逸らした。一瞬だけでも視線が合ってしまうならば、心の中を知られてしまうらしい。彼は「そんなこと考えていたのか」と言ってきたからだ。
「言っておくけどな、あんたの兄貴を殺したのは最高の祖国インペリウムじゃない。俺だよ、俺で大正解」
「同情しているのに? 自分のことを理解しているの?」
「した上で、あんたの兄貴を殺したんだよ」
その事実は一切変わりない。だとしても、カーリーはせっかく否定をしてやっているのに。そう唇を尖らせ、眉根を寄せている彼女であったが――その顔を強引に彼は掴んできた。
「俺の目を見ろよ」
「…………」
「見ろ」
素直に従うしかなかった。言われるがまま見るしかなかった。脱走のことを考えないようにして、頭の中では「何?」という疑問をいっぱいにして。
二人の目が合うと、その男はにんまりと笑ってきた。その何もない、笑っていないに凝った目には――。
「俺は純粋に人を殺すためだけに生きている。これまでもそう、これからもそう。もしも、あんたが人の心を読む力がなければ……」
わかるよな、と濁った黒い眼の奥にあったのは――想像だ。ラクマの頭が破裂する場面を思い返しているのか。もう見たくないのに、思い出したくないのに。見たくないからこそ、目を逸らそうとする。だが、目を逸らすなと脅しをかけてきた。
「見ろ」
絶対に見せてやると言わんばかりに、空いていた手で髪の毛を引っ張ってくる。
「見ろよ」
頭のないラクマが地面に倒れて呆然とするカーリー。その直後に彼女自身の頭も破裂してしまう。この想像力――妄想力はなかなかのものでリアリティがあった。気持ちが悪いほど目を逸らしたい。髪の毛を引っ張っている手に力がこもり出す。人とは思えない濁った目が語ってくる。「目を逸らすな」と。
まだ見ろ、というらしい。先ほど見えたものを繰り返しているだけなのに。同じものを散々見ているのに。ずっとこいつの目を見ていると、心が折れそうになってくる。彼が最初に言っていた言葉の意味が、本当の意味がわかったような気がした。
おもちゃのように、簡単に壊す。この男はカーリーを人として見ていなかった。最初から、ずっと。
「俺の言っている意味、わかるよな?」
人間は殺せば、生き返れない。道具は殺せないが、壊すことは可能であり、修復も可能である。
「……あ、あ、あ……」
引っ張られている髪の毛に痛覚がなくなってきた。頬を掴んできているその指が目に侵入しようとする感覚に陥っていた。
「俺はあんたを人間として認めない」
喜色満面で目を細めてくる。その表情に優しさなんて微塵もない。まさに上辺だけの表情。誰かの本心を知る由がないとはよく言えたものだ。よくできた仮面、その下は人でありながら人ではないバケモノのような存在。それが、目の前にいる人の形をした道具に言い聞かせようとしていた。
「道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具、道具――」
――道具?
「その通り。あんたは人じゃない。紛れもない、俺のためだけに存在する道具」
――そっか、人じゃないのか。そうだよね、ただ単にここで存在しているだけだもん。服を着ていないのも、人じゃないから。悲しいなぁ。
人ではない。その決めつけにカーリーの目に涙があふれる。大粒のそれが頬を伝い始め、〈ニンギョウ〉の手が濡れた。温かい涙に触れても、彼女を人として認めようとしない。当然か。
――これから、道具としてよろしくな。
そう目で言われた途端、彼の言葉を思い出した。
【俺のために】
それと同時に不意に夢で見た男の子を思い出した。だが、その子は目の前にいる男とは全く違う。男の子の方が優しくて、強い。なのに、あの言葉を思い出せば、夢の男の子の姿が出てくるのはどうしてなのだろうか。
あの言葉の本来の意味合いとしては道具であろう。事実【俺のために道具として生きろ】と発言をしているのだから。
未だとして、自分たちの視線はぶつかり合っている。今になって、その言葉を思い出して何を言いたいのかも向こうは察しているはずだ。しかし、そうであっても心は動くとは限らない。見てみろ、この濁った目を。その先にある変わらない心を。男の子とは全然似ていない。なのに――。
――だったら……。
「あなたがそう思うなら、そう思えばいい」
カーリーは紛れもない人であると断言できる。こうして、屈辱に塗れながらも、生かされている。それは彼が死なせないためにしていること。だとしても、彼女は人であるからこそ、自分なりの意志を持っているはずだ。
――決めた。
「私はあなたのためとして、私のために生きるっ」