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夜明けの光を待つ  作者: 池田 ヒロ
第一章
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死ぬことは許されない

SHARE[C]ID:C-6375-224-7789

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【防衛しましょう。〈祝福の空〉発動展開宣告】


 すべては輝かしい未来が約束された最高の祖国インペリウムのために。最高の祖国インペリウムは帝都ケチュータを中心とした近隣諸国侵犯不可とした〈祝福の空〉の超複雑術式魔法の発動展開を宣言します。ついてはクラルス王国、グローリア連邦共和国、ルーメン自治区、マキナ国、イニティウム諸島共和国の五か国領土の一部を発動展開のために我が国の所有となります。これらについて、いかなる議論を以ても、変更は利きません。我がインペリウム帝国に栄光あれ!

 退屈だと思う。視界に映る異変のない通り。時たま〈SIPs〉や〈OPERATOR〉とすれ違う。つまらないと思う。聞こえてくるのは、通り過ぎるインペリウム帝国軍の〈SIPs〉の足音と〈OPERATOR〉の機械音のみ。これが当たり前の光景であると言えよう。実にどうでもいい。

 最高の祖国インペリウムが作り上げた、世界最高峰の軍隊。その中にいる、ただの一介の兵士。インペリウム帝国軍ウセス地区第八番大隊 “SIPW8-00000” という肩書き。名前はほぼ呼ばれない。というよりも、ないに等しいと言える。だから、SIPW8-00000が自分の名前である。それ以外で呼ぶ者はいるが、今はここにはいない。上官の命に従うこの〈SIPs〉は歩く。異常なし、とくだらなさそうに心の中で呟く。

 何も異変がないからやる気がない。通りすがりの〈SIPs〉たちは真剣な眼差しでいるものだから、彼の存在はある意味で目立っていた。それでも、SIPW8-00000に何かしら注意の言葉が来ることはない。誰も彼に興味がないのだ。いや、他人に興味がないとでも言うべきか。SIPW8-00000が通りを隈なく見回りしていると、誰かと肩がぶつかった。その誰かとは、一人の女。ここはT.04要塞と呼ばれる場所。軍人以外の人間、特にインペリウムの民間人も住めるようにと町が要塞と化したところでもある。だから、別にここに軍人以外の民間人などがいることは別におかしな話ではない。その軍人たちの家族であるかもしれないから。ただ、それ以外となると話は別になるのだが。

「すみません」と女は小さく頭を下げる。伏し目がちではあったものの、一瞬だけ目と目が合った。彼女の目の奥を見て、「ああ」と返事をする。女は遠ざかっていく。その後ろ姿を見て、一言発した。


「そういうこと」


SIPW8-00000はにやけ出した。久しぶりに表情筋を動かした気分で、違和感がある。

 毎日、上官からの命令。どこの見張りだ、どこを巡回しろ。いつもうんざりしていた。それでも、逆らうことはしない。それが当然であると言い聞かされているから。だが、今回はそれらを無視してまで、別方向へと足を運ばせた。SIPW8-00000の前方には先ほどぶつかった女が。ある程度離れた距離で、同じ歩幅で単調的な色をしている道路を踏んでいく。先を行くその姿を見れば見るほど愉快な気分になれた。これから起こりそうなこと、目が合った女が何をしようとしているのか。彼女は怯えていた。それを覚られないように。あえて少しくらいはと、視線を合わせていたようだ。

 二人の靴の音が重なり合う。現在、女が向かっている方向は傍から見れば、重要そうな建造物のもと。数人の〈SIPs〉と数機の〈OPERATOR〉とすれ違う。誰もこちらを見向きさえしない。視線は逸らしていないが、合わない。なぜならば、彼ら全員は他人というものに無関心だから! 逆にSIPW8-00000は先を急いでいるように見える女にとても関心があった。何だか、面白いものを見つけたようにして。だが、すぐに女から自分の存在に気付かれてしまうのだった。


「何ですか?」


 不審な目で見られてしまった。それでも、こちらはそちらの目を見てしまえば、後は判断がつく。心中お察しするぜ、と起こした行動。それを見て、女は「え」と感嘆を上げていた。眉根を大きく寄せて、鼻にもしわが刻み込まれている彼女はこの自分が起こしている行動に理解不能らしい? いや、SIPW8-00000は、そうは思わない。微塵も思わない。おかしなところなんて、一切ございません! だからこそ、国から支給されている武器を、術式魔法変換仗砲〈ツーザンメン・シーセン〉を構えたのだ。

 明らかな敵意。武器である仗の先端を向けられて、自分は何をされるのか察したのだろう。女はその場で上半身裸になった。


「私はあなたに敵意はない」


 下の服すらも脱ごうとするのだが、この状況は実につまらない。SIPW8-00000の顔が歪み始める。だからこそ、〈ツーザンメン・シーセン〉を下げようとはしなかった。むしろ、何かを待っているように思える。女は「何もできない」と、何もないという潔白を証明したいようである。そんな彼女を見てSIPW8-00000は鼻で嗤う。


「何もできない? できるだろ、外にいるお仲間に連絡を取ることぐらいは」


 意味がわからないとでも言いたげな面持ち。女の眉間にあるしわは更に深くなる。目の前で人に武器を向けているこの男は何を言いたいのだろうか。

 しばらくの睨み合い。ややあって「見えたんだよ」とSIPW8-00000は〈ツーザンメン・シーセン〉で女性の目を差した。


「ここを奇襲しようと考えている “反インペリウム帝国軍” の連中の思惑がな」


 この女は何も言わないが、その代わりだ。頭の中にあった作戦とやらを今ここでバラしてやろうではないか!


「〈祝福の空〉の一時的な破壊。そのために、ここにある四つの門の内、三つの門で騒ぎを仕掛ける。そんで、秘密裏に向こうの〈制御装置塔〉に侵入するやつらがいるんだろ? なあ、ヴァレー・エクセンプラルさんよ」


 わおっ、見事な推理力。この人物は人の心の中を知ることができる厄介なやつらしい。普通にこの町で暮らしている連中の真似事をしていただけなのに。堪らず、女――ヴァレーは大笑いをしそう。もう擬勢なんて、できやしないな。


「怖いなぁ」


 ただ、もう少しその先を知っていれば、お互いに戦々恐々するのではないだろうか。


 直後、T.04要塞のあちらこちらから爆破音が鳴り響いた。離れたこの場所からでも、地鳴りがするほど。爆発と共に、巡回をしていた他のインペリウム帝国軍は音の方角へと向かっていくではないか。他人に関心はなくとも、そちらに関しては十分に気にするやつら。


「単純にこっちを追いかけても、仕方がないってハナシ」


――だから、私たちはあなたたちを人として見ていない。


 こちらは囮役。最初から、死ぬ覚悟はあった。ただ単に起爆スイッチさえ押せばいいだけの役。だからこそ、こうして警備の厳しい場所に魔術工学技師が作った最新型の爆弾を仕掛けた。大変だったんだからな! これで、この男が言う反インペリウム帝国軍〈フラーテル・アウローラ〉が勝つ! こいつら、自分たちのことは〈SIPs〉だとか言っているけど、そうは思わない。人らしい存在ではないから〈ニンギョウ〉だなんて呼んであげている。こいつらに負けていては、この世界に未来はないということを思い知るがいい!

 〈祝福の空〉――いや、自身にとっては〈顰蹙の空〉を見上げた。真っ暗な空。夜ではない。今は昼時のはず。そう、この空があるから――。


「私たちはクズインペリウムに屈服しっ」


 何が起きたでしょう。そう、女は橙色の血を垂れ流して死にました。〈ツーザンメン・シーセン〉で殺されたから。仗の先端から放たれた術式魔法弾によって、しわが刻み込まれた眉間に穴を空けて。


「いやいやぁっはっはっはっ」


 反インペリウム帝国軍が要塞内に侵入してきたのに、この余裕。SIPW8-00000は喜色満面を浮かべていた。戦える喜び。血肉沸き踊る高揚感。反インペリウム帝国軍とやらがいるからこその話。遠くからは怒号が響き合っている。静寂に流れているこの時間と血とは大違いだ。

 単調的な地面にある橙色の血に触れた。指だけではない。手の平いっぱい。それに目を向ければ、指先から滴る生温かい液体。大きく息を吐き、手は自身の髪の毛に。頭皮から伝わってくるもの。生を実感できる温もり。


――たくさんの命が俺を待っている。


 動かない半裸の死体に目をやる。これは反インペリウム帝国軍である。これは言っていた。我が最高の祖国インペリウムに屈服しない、と。口では遅かったが、心の中ではきちんと聞こえていた。それは嘘ではない。嘘ではないその言葉を聞いた証拠を残してあげなければならないだろう。


「俺はあんたに感謝しなくちゃならないなぁ」


 徐々に冷たく、硬直していく両頬を両手で包み込んだ。瞳孔が開いている。視線が合っていない。息をしていない。そんな死体に “口誓い” をするために唇を重ねた。まだ唇だけは温かかった。


――よりどりみどりで取捨選択は難しい、が……。


《侵入者発見、侵入者発見。直ちに侵入者を排除せよ》


 警報が聞こえてきた。流石に自分も動かなければならないだろう。でなければ、後が面倒だからだ。SIPW8-00000は屍を後目にとある方角を向いた。あの先にとっても面白そうな予感がするのだ。いや、その予感はすぐに的中した。ここ、T.04要塞では異質な者どもが何人もいたから。何人もである。ということは――。


     ◆


 誰かに見られている気がする。その気配にカーリーは目を覚ました。うっすらぼんやりと視界に映るのは赤色の目。人の目ではない。見覚えのある目だ。そうそう、これはインペリウムで幾度なく見た魔法エネルギーで動く〈ニンギョウの目〉。こうして見られているということは、援軍の〈ニンギョウ〉が来てしまうかもしれない! そう慌てて体を起こすのだが、どこか異様な雰囲気の場所に圧倒されてしまう。真っ暗闇の場所。まるで、先ほどの夢と同じような気がして堪らない。外からの光は一切ないようで、〈ニンギョウの目〉が出してくれている明かりだけが頼りであった。


「ここはどこ?」


 どこからどう見ても、楽しいとは思えない場所だった。世界中から嫌われている国、インペリウム帝国のどこかであることはわかる。嬉しくもない。なぜに自分はここにいるのか。横を見た。柵がある。隙間のない壁と床。ということは、牢獄に閉じ込められているのか。今の場所にいるということで予想できるのはT.04要塞への奇襲作戦に失敗してしまったということ。そして、どうしてか自分は生きて捕らえられてしまったらしい。何を以て、生かされているのか。どうせならば、殺してくれた方がまだよかったのに。


――最悪だ。


 ここはインペリウム帝国軍が所有する牢獄のはず。あの人間らしい思考回路を持たないクソ〈ニンギョウ〉どもは「最高の祖国インペリウム!」だなんて、声を上げて自分をここへとぶち込んだに違いない。

 徐々に思い出す、T.04要塞奇襲作戦。


――私の名前はカーリー・アウローラ。我が祖国であるクラルスを取り戻すために……!


 どうした? そう、最悪なインペリウム帝国が生み出した超複雑術式魔法〈顰蹙の空〉を破壊するために、〈制御装置塔〉があるT.04要塞に奇襲を仕掛けたのだ。反インペリウム帝国軍〈フラーテル・アウローラ〉の仲間と共に。兄と共に。


――それから?


 カーリーが嫌でも思い出そうと、俯いたときだった。ようやく気付いた自分の格好。衣類はすべて脱がされているではないか。自身の素肌が見える。なぜに全裸? 恥ずかしくてたまらない。屈辱だ。こうして生き地獄を味わうなんて。

 恥ずかしそうに、小さくなっていると、こちらへと足音が近付いてくるのが聞こえてきた。尋問官だろうか。一人ぐらいは生かしておいて、こちらの勢力を訊き出すつもりだったか? 服を没収することによって、交換条件でも持ち出すつもりなのだろうか。 “どの国の人間としての感性” を知った上での話ではあるのだが。

 足音からして、一人。なるほど、一人で事足りる案件だと。そんな甘い考えを持っているから頭が回転していないのだ。「最高の祖国インペリウム!」というくだらない言葉を思いつくのだ。自分たちから〈ニンギョウ〉だなんて皮肉られているのだ。そういう風にして思っていたならば、絶対に後悔させてやろうではないか。カーリーはまだこちらを見ている〈ニンギョウの目〉に「こっち見ないでよ」と睨みつけた。今頃、自分を映しているこいつの向こう側にいるやつらはニヤニヤと嗤っている頃だろう。なぜって、服がないから戦えないとでも考えているバカなやつらだからだ。本当にバカな連中。この状態で戦えないわけではないのに。自分は戦える。ただ、恥の思いの方が大きいだけ。

 次第にこちらへとやって来る足音は大きくなっていき、カーリーがいる牢の前で止まった。それに伴い、〈ニンギョウの目〉がその人物を照らす。そこにいる者の姿が露わとなって、彼女は大きく目を見開いた。


「あなたは……!」


 柵の向こう側を見て、にやけている口元。微かににおう血臭。どこまでも真っ黒な髪に、濁った黒い目の男。その男の目を見た瞬間、嫌な記憶が目の奥に、頭の奥へと入ってくるではないか。頭が破裂する仲間たち。それを見てバカ笑いする眼前の男。そして、最終的に「人の頭で爆弾が作れるんだぜ」とカーリーの兄の頭を――。

 兄を殺した敵の〈ニンギョウ〉がそこにいた。

 別に自分が死のうが構わなかった。ただ、兄を殺したやつが許せなかった。それだからこそ、カーリーは術式魔法弾で柵の向こう側にいる男の喉元を貫こうとするのだが――。


「なっ、なんで!?」


 いつもは使えるはずの魔術。自分が受け入れられる魔法エネルギーのキャパシティを超えない限りはどうってことないはずなのに。何度も展開しようとしても、できなかった。そうとなると、この牢獄には魔法エネルギーや術式魔法を打ち消す魔術工学的なる装置や機器があるとでも?


「服がなくても戦おうとするんだな。変わったやつだ」


 男の目が、声がひどく煩わしい。それはまさに心内で嘲笑っているかのようだった。そちらが有利だとわかっているから、面白おかしいとでも思っているのか? そんなの、こちらからしたら、面白みは一切ない。笑いたければ、その辺で独り笑ってろ。


「服がなければ、戦えないクズインペリウムのお人形さんがよく言う」


「逆に訊くけど、なんで服がないと恥ずかしいのか理解できない」


「そう。恥という概念を持たないあなたたちには一生わかりっこないけどね」


 ここで沈黙が訪れた。カーリーの言葉が図星だったか。その反論を考えているのか。柵の向こう側にいる〈ニンギョウ〉を見た。彼はじっと真っ黒で濁った目をこちらに向けている。自然と目が合った。何を考えているのだろうか。改めてじっくりと見てみると、生きる意味を持たない人間とでもいうような死人面だった。そんな彼が「少し話をしよう」と沈黙を破ってくる。こちらから視線を逸らして、〈ニンギョウの目〉の方を見た。

 向こうが会話をする気があっても、こちらは一切ない。聞く気も起きない。だからこそ「私は」とカーリーも視線を逸らす。


「私の兄さんを殺した〈ニンギョウ〉と話なんてしたくない」


 そう、インペリウム帝国の軍人――否、国民全員は国の “傀儡” である。国が命令すれば、それに従うだけ。己の心や意思、意見を持たない存在なのだ。だからこそ、反インペリウム帝国軍では〈ニンギョウ〉だなんて、皮肉っている。カーリーにとっては、男が〈ニンギョウ〉と呼ばれることに屈辱を覚えるのでは、と思っていたのだが――。


「あっそ」


 何とも思わないらしい。


「じゃあ、俺が独りでベラベラとしゃべってやろう。事実を教えてやろう」


 どこか面倒そうに、近くから椅子を引っ張り出してくると、そこに腰掛けた。膝を立てて、行儀悪く座る。彼は細くため息をつき、「あんたのこと」とあごでこちらを差してきた。


「あんたは俺が管理するから。ここで、そいつの監視付きの条件でな」


 嬉しくない話だ。そして、〈ニンギョウ〉は「感謝しろよ」とにやけ面を見せてくるではないか。その面構えが実に憎たらしい。


「俺がこうして、生かしてあげたんだ」


 最悪だ。感謝する気にもならない。たとえ、それが表向きであっても。なぜにこの男は自分を生かしたのだろうか。カーリーは〈フラーテル・アウローラ〉という反インペリウム帝国軍ではあるにしろ、ただの末端だ。今回のT.04要塞への奇襲作戦においても、詳しい内容は知らない。〈祝福の空〉――失敬。〈顰蹙の空〉を破壊するために、その要塞にある制御装置を壊しに来ただけなのだから。


「私を生かしても意味はない。何も情報は得られない。あなたは私を捕らえて、時間を無駄にしただけ」


 カーリーは嗤ってやった。最後の足掻きとして。そんなに「最高の祖国インペリウム!」と声を上げたいならば、上げていろよ。叫んでいろよ。誰からも時間の無駄だとバカにされるだけがオチなのだから。そのようにして、彼女が皮肉っていたのだが、男は否定するようにして「無駄じゃない」と椅子から立ち上がった。


「俺はあんたを生かすことに価値があると見出しているから、こうしているだけだ」


「……どうだか?」


「じゃあ、どうしてさっきは目を合わせまくっていたのに、今は俺と目を合わせようとしない?」


 この設問にカーリーは押し黙った。この男はそれでも言葉を続ける。返事は、答えは要らないと言いたげに。


「さっきから、わかっているんだろ? 俺が人の心を読めることぐらい。あんたも人の心を読めることぐらい」


 最初に目を合わせたときから、見透かされていたらしい。「こっちを見ろよ」と言ってくる。それでも目線は合わせようとしない。耳を塞いだ。五感が鋭い民族でもあるカーリーの耳に声は聞こえてくる嫌な身体能力。「こっちを見ろよ」と。

 この男の声は何なのだ? 自分の知らない魔術でも使っているのか? なぜだか、視線をそちらにやってしまう。男を見た。何もかも真っ黒な〈ニンギョウ〉はにんまりと笑っていた。人が浮かべる笑みじゃないのがわかるほど。彼が言いたいことも、目を見ればわかった。そうであっても、まだ口に出していないから本心じゃないのかもしれ――。


「俺はいつだって、本気さ」


 距離は離れているというのに。間に柵があるのに、その手がカーリーの耳を強く引っ張ってきた気がした。


「今からあんたは俺の道具さ。あんたは人じゃない。道具として、俺のために、俺の言うことを聞け」


「なっ!?」


 道具として生きろだと? 冗談じゃない。カーリーは口をへの字に曲げ、柵に手を触れた。ひんやり冷たいと思う。


「私は道具じゃない、人間だ。そんなことを言うあなたは人としているとでも思っているの?」


 二人の目が合う。ここでカーリーは知った。〈ニンギョウ〉の名前には “SIPW8-00000” と “アーク” があるらしい。人の名前であるアークは誰かが彼のことをそう呼んでいる記憶が見えた。その誰かはわからない。ぼんやりとした小さな人であることは間違いないが、それは一体誰なのだろうか。

 そのようにして、心の中を読んでいる一方で向こうもこちらの心中を窺っているだろう。まさにその通りであり、「ここから逃げる気でいるのか」と嗤ってきた。


「〈祝福の空〉から脱出は不可能なのになぁ」


「それでも、可能性はある。何? あなたはそんなにこの国が大好きなの? 最高の祖国インペリウム!と叫びたいの? 叫べば? 叫べば、叫ぶほど、自分がクズインペリウムの言いなりになっていることに気付かなくなるだけどもねっ」


 このような発言をしたのは、普通に彼が自分のことを “道具” と認識していることに腹が立っているからだった。そのように、自分の意思すらも持たない〈ニンギョウ〉と嘲られている連中にそう言われたくなかったのだ。それならば、こちらが劣勢的であると思われないためにも、どんな状況になろうとも食いついてやろうではないか。

 だがしかし、カーリーのその挑発に「別に」と乗せられてはいない様子。


「この国の言いなりになる生き方しか知らないだけだからな。だからこそ、俺は知りたい。俺という存在をな。あんたが人の心を読めるという、俺と同じ目を持つなら」


 〈ニンギョウ〉はこちらの方へと近付いてきた。もう柵を外してしまえば、体が触れてしまう距離までに。それでも、カーリーは臆することはない。


「あなたのような死人みたいな目をしたやつと一緒にしないで」


 そう言いのけた直後だった。なぜだか、面白おかしそうに男は笑い出したのだ。先ほどのあのあやしい笑みとは全く違う。普通に面白いとでも言うような笑い。その姿がカーリーの光る紫色の目に映る。彼は興奮し出したのか、柵を握りしめてきた。笑いとの反動に微量ながらも柵が揺れる。真っ黒な髪の毛が至近距離になったとき、血のにおいが強くなった。柵との僅かな隙間から見える手についている乾いた血。


「最高のジョークだ」


 そうは思わない。それなのに、こちらへと視線を合わせてきた。その濁った目の奥から聞こえるものと口から発せられるものはすべて一致している。


「確かに! 俺たち〈SIPs〉が国の言いなりになるのは当然の結果だ。もちろん、国の命令は絶対。国があんたを殺せというならば、殺さなくてはならないっ!」


 興奮状態の男はカーリーの首を掴んできた。乾いた血付きの手で。妙にその手に力が入っているのは嘘ではない。苦しかった。彼はそうしながらまだまだ笑う。大きく笑う。この牢獄に一人だけの笑い声が響いていた。


「それでも、あんたが死ぬのは俺が許さないっ!」


 首を掴んでいる手が更に力が入る。段々と、意識が朦朧として来ているのがわかった。


「だが、あんたは俺のために道具として生きろっ! さすれば、俺は俺という存在を知ることができるんだっ!」


 薄れゆく意識の中、男の目を見てわかったことがある。彼は嘘を一言も言っていないということを。本気で自分を利用しようとしている。そして、何よりここから逃げ出すことは不可能かもしれない。いや、彼のもとから去ることすらも。


「言っとくが、あんたに拒否権はない。あんたは俺の道具であり、所有物だからな」


 カーリーは強制的に生きなければならなくなった。この〈ニンギョウ〉のためにだ。たとえ、不慮の事故で死んだとしても、彼女は生き返らされてしまうのである。彼のためにだ。死ぬことを一切許されずして。


――さあ、公平な命の駆け引きとでもいこうか!

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