エノトウ
翌日の昼過ぎ、俺たちが目覚めた頃には紗希さんの姿はなかった。
修二さんとセレーヌさんの話によると、つい1時間ほど前に紗希さんの部下、綿貫と呼ばれていた例の部下がエノトウへの許可証を持って来てくれたのだ。
「これ、さっちゃんから」
修二さんが渡してくれた許可証と、2枚の紙。
1つは俺たちへの伝言だった。
“教えたことをアンタ達で工夫して稽古するように、上手く出来るようになったらハマヨコの騎士団まで来い”
「追伸……稽古代だ……」
受け取ったもう1枚を見るとそこにはここの店の食事代銀貨61枚と書かれていた。フィッシュ&チップスは一皿銀貨4枚、ワインはボトルで12枚。
朝飯食っていきやがったな……
だが、紗希さんが教えてくれた事にくらべたら安いかも知れない。
あの後、薪割りを終えた悠人を含めて1対3で稽古を続けた。もちろん得物はそのままで。
おかげでナイフの扱いには慣れたし敵の不意をつく戦術など、文字通り体に叩き込んだ。
もちろん3人がかりでも紗希さんから一本取る事は出来なかった、しかしおかげで資質のステータスもかなりあがったし、悠人なんか大満足して弟子入りするとか言い出してた。
紗希さんは3人まとめて弟子にしてやるって言ってたが、正直に言おう。
俺はあまり乗り気じゃない。
だが、口に出したら命が危ない。
更に概要だけ教えてもらったのは、剣に炎を纏う、紗希さんが使った技だ。
"付与"といって、魔力操作を極めると出来るようになるらしい。上級魔法のファイアストームという連続して火炎を放出するような魔法、アンディの火炎ブレスのように一定時間放出出来る魔法を極小化して剣に纏わせると、魔力操作で定義した消費魔力を使い切るまで、武器に魔法を纏わせることができるらしい。
魔法の出力を少しあげれば、通常通り相手の魔法に対して、魔法をぶつけて相殺させるよりも少ない魔力で相手の魔法攻撃を防ぐ防御になる。また、魔法を纏う武器の鋭さは石をも真っ二つに出来るほどで、俺にはまだ使いこなせそうにないが、いずれは覚えたい技術だ。
昼食を食べ、自分達の昼食代と稽古料を少ない所持金から払い終えた俺たちの今日の予定はもちろん、エノトウへ行く事だ。
少し心配そうに見送ってくれたセレーヌさんは、特製ジュースの入った水筒と六法程の大きさのお弁当を持たせてくれた。
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エノトウの上空には黒く渦巻く雲があった。まるでそこにずっと留まっている黒い台風だ。
島へ渡る道も高波によってまるで横からシャワーを浴びてる気分だ。
もちろん、海水を含んだ水飛沫はベタベタして気持ちいいわけじゃない。
この世界にも雨具はある。もちろん傘ではなくてカッパだが、この風や横殴りの雨には傘なんて無意味だろう。
年中悪天候のこのエノトウの入り口には門があるわけではなく、道の端に守衛の小屋があり、道の真ん中に2人の騎士が立って警備をしていた。
守衛の建物の中にはさらに2人の計4人だ。
「中野さんに野上さん葛城さんですね、隊長から伺っております」
守衛小屋から俺たちを見るなり出てきて挨拶をしてくれた騎士の顔を見ると、昨日紗希さんと一緒に来ていた綿貫という部下だった。
昨日は紗希さんの命令で許可書をとりに走らされて今日はここの警備……絶対に苦労してるよなこの人。
今度何かお礼をした方が良さそうだ。
「では、こちらにお名前を。それと注意事項ですが、もしも貴方方が戻られなかったとしても私達は救援に向かう事はありませんので、どうかお気をつけて」
敬礼する騎士達に見送られエノトウに入った俺たちは、石碑のある島の中心部から広がっている森の中を進んだ。
騎士に確認したのだが、今このエノトウには俺たちしかいないらしい。
島1つ貸切なんて夢だな、魔物の出ない平和なリゾートならだけど……
入り口は道以外大きな木で囲まれている島で、しばらく歩くと景色は一変した。
島の内部にはこの辺りでは見たことの無い南国風の植物が生い茂っていた。
「ちょっと暑いな」
悠人は分厚いフルプレートだから尚更だろう。
外からの印象とは大きく違い、気温も高く雨もポツポツ降る程度で風もない。
完全に別世界のようだった。
「ちょっと見てよあれっ」
百華の指差す先には巨大な花が咲いていた。
「すっごいキレ〜」
元の世界の紫陽花を巨大化させたような花で、その花びら1つ1つの色がそれぞれ違っている。
前にテレビで見た、原宿で売ってる七色の綿飴見たいだ……
SNSにハマる今どきJKだった百華も、こんなの見たら写真を撮りまくっていただろう。現に目の前の冒険者、百華とアンディは夢中に花を眺めている。
「おーいっ、またイーターフラワーみたいな魔物がいるかも知れないんだから気をつけろよ」
そう俺が言うと、百華とアンディは足を止めて俺と悠人の真ん中へと戻った。
いや、アンディは先頭を行ってもらいたいんだが……
「そーゆー心配はあるけどよ思ったより平和な島だな、入島制限があるくらいだからわんさか魔物が襲ってくるんじゃないかと思ったぜ」
俺もそう思った。
まだ島に入って15分ほどだろうが、ムサコスの北の森では10分もあれば戦闘にはならないにしても魔物が近くを通ったり、俺たちを見て逃げだす魔物もいるくらいだ。
紗希さんが言うように全ての魔物が強化種ほどの強い魔物であれば少し離れていても匂いや気配で俺たちを見つけて襲ってくるだろう……
入島を管理する紗希さんの部下が、捜索には出れない事を言っていたのはそのせいで"沢山の戦力が必要"になるからだと思っていたのだが、未だに魔物と遭遇しないのはどういう事だろう……
「コーキ、そろそろ訳を話してほしいんだけど?」
「え?」
「そうだぜ、このエノトウもそうだし、カグシマのサクラトウ、トツトリの砂漠と……お前が制限のある地域に興味を持つなんて、どんな訳があるんだ?」
「まあ、私たちも冒険者だから一度は行ってみたいって好奇心はあるから変じゃないんだけど〜、コーキにしてはねぇ」
「い、いや、俺だってそーゆー場所に興味がないわけじゃないぞっ」
「あ、ほら、やっぱり何か訳があるんでしょ〜。嘘つくとすぐ顔に出るんだから」
「……」
2人にはここまでずっと黙っていた。
エノトウに行こうとなった時も、単なる俺の興味で一度は制限がかかっている地域に踏み込んでみるのも冒険者ではないか? といった単純な理由で納得してくれた……と思っていた。
話すべきだろうか……
世界の"楔"を破壊しろ。
アイリスの言った世界の楔がどんな意味を持つのか、俺にはまだわからない。
そもそも破壊するってどうやって?
もし俺の予想した通り、石碑を壊す=楔を壊す。だとして、俺が2人の目の前で石碑を壊す事ができるか? なんて説明する?
ここで何もかも話して信じてもらう?
そもそも信じてくれるだろうか?
アイリスの存在、俺と2人は元の世界の同級生で、この世界は改変されて、今の記憶は作られた記憶なんて……
たらーっと俺の額から汗が流れ落ちた。
「ヴヴーワンッワンッ」
そんな沈黙の空気を破ったのは、どこからともなく現れたマーマンの集団だった。
「いつの間に!?」
百華の驚きの声と、悠人が一歩下がって戦闘態勢に入るのはほぼ同時だっただろう。
その数4体、青い男性の体に足は尾ビレ、があり腕には鱗、これが女性だったら美しい人魚だろう。水かきの生えた手に持つのは、鉾、剣、鉤爪、杖と
4者4様の武器を構えたマーマンが俺たちの前に立ちはだかった。
「まずいな……おそらく連携攻撃がくる」
「うん」
「ワンワン」
ーキィイイインッ
突然の耳鳴りが鉾を持つマーマンから発せられた。ぐっと堪えれば耐えられるほどの耳鳴りだが、不快な事この上ない。
その耳鳴りと共にマーマン達は散開し、剣のマーマンを前衛、その後方に杖。右翼手前の鉾に左翼は鉤爪を持ったマーマンの陣形が出来上がった。
俺たちは悠人を前衛に右が俺、左がアンディで後ろに百華だ。
「来るわっ作戦通りに」
前衛の3体がそれぞれ俺、悠人、アンディに向かって突撃する。
百華の補助魔法アーマーⅠと、最近覚えたばかりの魔法タフネス(味方1人の体力値を1パーセントUP)
更に、リアクティブヒール(ダメージを受けた時、減った体力値の5%回復)
の3つの魔法を瞬時に悠人へと重ねがけをした。
俺とアンディは、カタセの街の周辺での戦闘時にも使った作戦をとった。
両翼の俺たちに攻撃を仕掛けようとする槍と棍棒のマーマンは真っ直ぐに俺たちに突っ込んでくる。
俺は鉾をもったマーマンに向かい、少し右側に照準をズラしてラピッドファイアを放つ。
アンディは鉤爪のマーマンへ火炎のブレスをこちから見て少し左から横に薙ぎ払うように放った。
それと同時に悠人が正面の剣のマーマンへと盾を突き出して突進する。
この作戦は、相手の数が多く敵が前衛と後衛に別れている場合に使う。
悠人のヘイトアテンションの有効範囲が半径5メートルだ。敵の前衛はもちろん、後衛を出来るだけ有効範囲に引き込んで悠人へと集中させて先に後衛を撃つ為の作戦だ。
正面から俺とアンディに迫る敵は、真っ直ぐ進まれると、敵に接近して後衛を巻き込もうとする悠人の有効範囲から外れてしまう。それを防ぐ為に敵の両翼から内側に避けさせて範囲に留める事を目的にしている。
しかし、悠人がヘイトアテンションを唱えた瞬間だった。
――ブシュゥゥゥゥ
っとアンディの炎のブレスは、杖を持ったマーマンの水魔法によって消火されてしまった。
俺の使うハイドロスプレッシャーに似た魔法だ。発動が早すぎて直前まで気付かなかった……
それよりも、作戦が見破られていた!?
更に驚愕だったのは
――ジュッジュジュ
焼ける音ではない。
俺の放ったラピッドファイアは、水の魔法を纏わせた鉾を回転させたマーマンが全て正面から受け切ってかき消されてしまった。
まさか……