第56話
夜の帳も下りたT都。雲に半分隠れた月影をバックにして僕は空中を舞った。体は重力に引かれて落下する。
そして僕は睨み合って立つもみじと黒川の間に着地した。
「太郎……?」
もみじが僕を見て首を傾けた。その背後にはツノの生えた長髪の巨大な女性を浮かんでいる。彼女もまた僕を見ていた。見た目が不気味なのは間違いなくその背後霊のような女性なのだが何故だか僕はもみじの方に強いプレッシャーを感じていた。
「なんだお前は」
黒川は僕を見て眉を片方上げて不快そうな顔をした。
「もみじ……」
僕は黒川に背を向けてもみじに向き合った。
次の瞬間。
「!?」
その僕の後ろで耳をつんざくような爆発音が連続して発生した。
今度は黒川の方を振り向くと今もそっちから爆発が連続して起こっていることが分かった。しかし衝撃はない。青く透明なシールドが僕を爆発から守っている。
「太郎……、危ないよ。ワタシの後ろに下がってて……」
もみじが右手を突き出し僕に向かってボソボソと呟いていた。もしかしてもみじが爆発から守ってくれたのだろうか。
「も、もみじ……。その、体は大丈夫なの?」
僕はもみじの前にまで歩いて行った。
もみじが僕の顔を見上げる。もみじの顔はまったくの無表情だった。
「太郎……、すき……」
「うっ」
不意にもみじが僕の体を抱きしめてきた。僕の体はもみじの態度と言葉に困惑し固まる。
もみじが僕のことを好きといって抱きしめてくれたのは嬉しい。それが普段の日常でのことだったら僕は顔を赤くして喜んだだろう。
でも今はそんなことを考えている状況じゃない。
「も、もみじ!? 突然どうしたんだ。おかしいよ、僕に説明してよ」
僕はもみじの両肩を持って引き剥がした。
「太郎、すきだよ……」
しかしもみじは強い力で僕の手を振り払うと再び僕のことを抱きしめてきた。その顔はとても幸せそうだった。
ダメだ、言葉が通じない。
「もみじ、僕ももみじのことは好きだよ。でも今はその想いに応えられない。いつものもみじに戻ってよ……」
もみじの頭を撫でながら僕は言った。それは告白に対する僕なりの返答だった。
するともみじは僕を見て目を潤ませた。
「ワタシのこと嫌いなの……?」
「そうは言っていないよ。でも今はもみじの想いには応えられない。だって今の普通じゃない状態のもみじの告白に応えるなんて卑怯じゃないか」
もみじは僕の顔を見上げていた。だから僕はもみじの目をまっすぐ見て言った。
「太郎は……、やさしいね」
もみじの頬を涙が伝う。僕の心が痛んだ。
そのまま少しの間、僕ともみじは黙って見つめあった。僕ともみじが想いをぶつけ合っている間にもシールドの外では爆発が続いている。
「じゃあ少しだけワタシにワガママをさせて……」
もみじはそう言うと背伸びをして僕の頭に手を回してきた。もみじの手に押される形で僕の顔が下に下がる。僕ともみじの顔が近づいた。僕はドキッとして思わず目を瞑った。
そして。
もみじは僕の唇に優しくキスをした。
「!」
「またね」
少しの口づけの後、もみじが唇を離した。そして小さく呟くともみじの体から力が抜ける。
「大丈夫!? もみじ!!」
僕は慌てて地面に倒れそうになったもみじを抱き寄せた。
「すー、すー」
もみじは寝息を立てていた。その表情が穏やかで僕はホッとした。
「……もみじは僕に後を託してくれたんだね」
気づくともみじの背後に浮かんでいた女性もシールドも、そして爆発も無くなっていた。
「ん? 柊もみじが意識を無くしたようだが。何をした?」
爆発の煙と赤い霧で見えない視界の奥から黒川の声がした。黒川……、奴は僕が必ず倒す。
でも今は声を無視する。
僕は気絶したもみじをお姫様抱っこして黒川から離れるように転移した。
そして充分離れた後、どこかの公園のベンチにもみじを寝かせた。もみじは静かに寝息を立てている。
「ここで待っててね。僕が黒川と決着をつけてくるから」
僕はその顔を優しく見つめた後そこから離れた。そして瞬間移動の連続で黒川のところへと戻った。
「あー。柊もみじを逃したか。あの女の攻略法が分からなかったところなんだ。無力化してくれて感謝するぞ」
「……」
黒川は場所を動いていなかった。それどころかどこから用意したのかテーブルと椅子を置いて寛いでいた。
「さて」
黒川が椅子から立ち上がる。そして指を鳴らすとテーブルも椅子もまるで元から無かったかのように消えた。
「最後に立ち塞がるのはお前か。そういえば見覚えがあるな。確か名前は田中太郎だったか」
「お前の悪行もここまでだ。もみじに変わって僕がお前を倒す」
黒川と対峙する。
「ふん。まあ、お前など敵ではない」
黒川が左手を振った。
「!」
すると黒川の後ろ、赤い霧の奥から無数の砲弾が僕に向かって襲いかかってきた。
僕は瞬間移動して黒川の後ろに回った。そして勢いのまま黒川の後頭部に向かって拳を打ち出す。
だが黒川は振り向きもせずに右手で僕の腕を掴んだ。
なんて反射神経だ。腕を掴まれるとは。まあいい。
僕は腕を掴まれたまま瞬間移動を行った。僕と黒川の体が20mほど上空に飛んだ。
「なにっ!?」
黒川が思わずといった様子で僕の腕を離した。
僕はすぐさま地上へと転移する。
さあ、ここからだ。修行の成果を披露するときが来た。
僕は両手を突き出す。
「妖気収束!」
そして叫ぶとともに体に漲る妖気をコントロールし始めた。
すると僕の手の前に輝く粒子が集まってくる。その粒子はある形を構成し始めた。それは刀だ。僕の手の前に妖気で作られた白く輝く霊刀が作られた。僕はそれをしっかりと掴み取る。
黒川はまだ上空にいた。
僕は黒川を見上げると霊刀を腰に納めた。それはまるで抜刀術を行う前の前動作のようで、そしてそれはその通りだった。
「シッ!」
僕は極限まで貯めた力を解放して黒川に向かって霊刀を振った。二度、クロスさせるような刀閃。霊刀の妖気を帯びた斬撃は白く光る飛ぶ斬撃を生み出した。
剣弾の術、その上位忍術。
「霊閃!!」
光輝く十字の斬撃が空中の黒川に向かって空気を裂いて突き進む。
「チィッ!!」
黒川が舌打ちをすると両手を突き出す。すると黒川の前方に赤い霧が集まり真っ赤な壁を作り出した。
「無駄だ!!」
妖気の攻撃は陰の力。それは現世の全てを否定する力だ! 受け止めることは出来ない!
霊閃が黒川を守る赤い壁を容易く切り裂く。赤い壁は切り裂かれた衝撃で霧に戻った。
「やったか?」
僕は黒川がいた場所から目を離さなかった。霊閃が当たったという手応えは感じていたがなんとなく嫌な予感がしたのだ。
赤い壁が完全に崩壊する。
そしてその奥から無傷の黒川が姿を見せた。
くっ、馬鹿な。強い妖気の忍術も奴には効かないというのか?
「ははは。お前の攻撃なんぞ、そもそも効かんわ!」
空中で高笑いをする黒川。
その体は空中で固定されたかのように落下するそぶりも見せない。奴は空も飛べるのか。
そして一通り笑いきると黒川は僕に向かって右手を突き出した。
「さあ、戦いはここからだ。嬲り殺しにしてくれる」
僕は霊刀を顔の高さにまで上げて水平に構えた。いわゆる霞の構えだ。
「死ぬのはお前だ」
刀の先を黒川に向けて揺らす。
「おおぉぉぉぉぉ!!」
空中にいる黒川もまた構えをとり身体中に力を込め始めた。
「行くぞ!」
そして黒川が空中を蹴って僕に方へ一直線に飛び込んできた。急激に接近する黒川を見上げて僕も腰を落とし刀を握る手に意識を集中させた。
さあ、かかって来い黒川。