第5話
おっさんの体から変異が始まっていた。
「な、なんだこれ!」
「怪人覚醒だ! 間に合わなかった!」
怪人だと!
怪人とはヴィランとは違うもう一つの脅威だ。
怪人は理性のない純粋な暴力による脅威で、突然発生する。はっきりとした原因は定かではないが、激しい感情の高ぶりによって誰にでも起こりうるとされている。とはいえ確率は非常に低く、怪人覚醒のリスクは1000万人に一人程だという。
怪人化した人間はヒーローにしか対処できない化け物になる。化け物と化した肉体は銃弾を通さないし、体も大きくなり、その暴力はコンクリートの壁を容易く砕き、鉄骨を粉砕するほどである。
怪人が人間に戻ることはない。一度発症したら怪人を殺す以外に対処法はないのだ。しかし怪人を倒せるのはヒーローだけだ。だから一般人に出来ることは逃げることだけになる。
「うわああああ、逃げろぉ!」
恐怖は伝播する。あまりの事態に警官達も恐怖に呑まれた。混乱は波のように広がっていき、現場は混沌と化した。
「うべっ」
暴走する警官達に蹴られ踏まれ、僕は呻いた。
「アイタタ……、なにすんだ。……ん?」
気づけば数人の警官と僕、そして完全に怪人と化したおっさんだけがその場に残された。
やべええええええええ!
「離れるよ!」
!? 誰かに腕を掴まれ僕は引っ張られた。そのまま上階に出ると引っ張られた腕を振り払った。
「だ、だれだ!? ってええええ!?」
僕を引っ張ったのは柊さんだった。死んだはずの柊さんが僕を助けたのだ。
「柊さん、死んでも僕を助けてくれるなんて感動だ。でも成仏してください」
僕は両手を合わせ祈りながら土下座した。
「馬鹿言ってないで、もっと離れるよ!」
柊さんが僕の腕を取る。ってえええ! 触れるし幽霊じゃない!?
僕はあまりの事態に幽霊(?)と化したはずの柊さんの顔をペタペタ触る。……しかし実体がある。
「なんで生きてるの?」
「私のことは後! とにかく離れなくちゃ!」
「ちょっ、ちょっと待って柊さん!」
僕は顔を赤くして腕を引っ張る柊さんに抵抗する。
「なんで!」
「リョウマ達が下にいる!」
「嘘でしょ!」
そうなのだ。さっきの混乱でリョウマ達はまだ抜け出せていない。さっきも僕らが逃げる前、リョウマ達は頭を厨房の奥から覗かせていた。
彼らの目は僕に助けを求めていた。そうでなくとも幼馴染を置いて逃げる事は出来ない。
「柊さんは逃げていいよ。これは僕の問題だ」
柊さんはリョウマ達とは赤の他人なのだ。危険な場所に来てもらう事はない。
「行くよ! 私たち友達でしょ!!」
その言葉に胸を打たれた。そうか、柊さんはもう僕のことを友達だと思っていてくれてたのか。
「それに、分かるよね? 私はミュータントだからきっと力になれる」
やはり、柊さんもミュータントだったのか……。死ににくい能力者。おそらく超回復能力か。
「柊さん、一緒に助けてくれる?」
「当たり前でしょ! 私たちでヒーローになろう!」
その笑顔が強がりであることは見てわかった。超回復能力があっても痛みはなくならないのだ。
けれど僕は柊さんの覚悟を尊重したかった。だから、ただ一言ありがとうとだけ言った。
*
おっさんとリョウマ達がいる、地下のフードコートまで降りた。地下は凄惨たる有様だった。
「グオオオオオオオオオ! コロスコロス! スマナイアリサ……。アアアアアアアア!!」
叫び声をあげながら暴れる異形。見た目は顔に愉悦を浮かべる猿の頭。腕は両手とも肉でできた大砲のようになっている。もはやおっさんの面影はない。
その異形を相手に3人の警官達が大立ち回りを演じていた。中にはあの司令塔だった男もいる。拮抗しているように見えるが辺りには5人ほどピクリとも動かない警官が倒れているので、負担の激しい戦闘であることがうかがえた。
「今のうちに!」
おっさんの興味が警官達の方を向いているうちに救助しなくてはならない。
おっさん怪人の死角になるように位置どりながらラーメン屋の店舗に手前の注文棚から入っていく。
「リョウマー…。助けに来たぞー…」
気づかれないよう小さな声で呼びかける。
「うう、兄ちゃん……」
奥から子供達が出てきた。リョウマ達だ。
「怖かったよぉおおおお」
「もう大丈夫だ」
全員傷もなく無事だ。良かった。
「さぁ、脱出するぞ」
「とはいえこの大人数、無事に切り抜けるのは大変ですよ」
行きはヨイヨイ帰りは怖いといったところか。
ここまで来るのは二人だけだったから良かったものの、帰りは9人だ。おっさんの注目が向かないことを祈るしかない。それにもし子供達が恐慌状態にでもなって混乱したら命の保証はないだろう。
「どうする?」
「逃げられる機を狙うしかないです。とはいえ警官が全滅したらアウトですから。時間はないですね」
柊さんの言う通りだ。時間はない。戦っている警官達も尋常ではない身体能力だが、彼らはプロヒーローではないのだ多分負けるだろう。それまでに脱出しないといけない。
ここが正念場だろう。
「僕もミュータントだ」
「!?」
僕の突然の告白にみんなの注目が僕に集まる。
「僕は短い距離を転移できる。これで皆んなを運ぶ」
そう言って実際にほんの数メートルを転移した。
「マジかよ兄ちゃん」
「それが、本当ならきっと私たちは助かるかもしれないです」
僕たちの中に希望が湧いてきた。
「そおっと、そおっとね」
僕はひっそりと子供達とともに移動する。一度に運べるのは二人が限界だ。
「……っ!?」
破砕音に子供達が息を呑む音が聞こえる。
もう少しだけ耐えてくれよ……。
二人を脱出させた。さらに救助を進める。
下は瓦礫やゴミでめちゃくちゃだ。音を立てないのにも神経を使う。僕も思わず冷や汗を流す。無事に上へ出してくれ……。
「田中兄ちゃん」
「ん?」
ケントが僕に話しかけてきた。
「仲間外れにしてごめんね」
「僕も、ごめんなさい」
「いいよ」
僕はケンタとユウタの二人と笑って仲直りができた。これはとても嬉しいことだった。
ケンタとユウタを無事に地上への階段に送ることができた。残るリョウマ組は後三人だ。
この後、無事に二人を送り届けて残るは僕と柊さんとコトだけになった。
破砕音。
「うぁぁ……」
限界は近い。しかし、後二人なのだ。絶対に助ける。
フードコートは脱出した。足早に階段を目指す。
「クソっなんでだ」
破砕音、破砕音。音が近づいてくる!
「オオオオオオオオオオ! シタガエ! ヤメロ! オオオオオオオオオオ!」
ガシャーンと壁や棚、ガラスを滅茶苦茶に破壊して、怪人と化したおっさんが猛進してきた。
「走れ!」
先にコトを階段へ逃がすと、僕と柊さんはおっさんと対峙した。
「警察は全滅したのか……」
クソッ、全然ヒーローはやってこないじゃないか。こういう時田舎はダメだな!
街のセキュリティのレベルはその街の治安の程度によって変わる。カロウ市のように人口20万人ぐらいの小規模な市だと怪人災害やヴィランの襲撃はそうそう起こらないので貴重なプロヒーローが配属されることはない。逆に怪人災害が日常茶飯事である都市部なんかは上位のプロヒーローが複数人配備されていたりする。しかしこれを差別というのは難しいだろう。カロウ市で怪人災害が起こることは本当に少ないのだ。20年に一度と言っていいレベルなのである。
おっさんが体を振り乱し暴れる。狙いは僕らではないようだが衝撃によって破砕された物が飛んでくる。
痛いな、クソッ!
「アアアアアアアア! キタナイダト! ナゼダ! アアア!」
おっさんは意味不明な言葉を発している。理性は無いはずだ。したがってその言葉に意味は無い。
「おじさん止まってください!」
「柊さん無茶だ!」
僕はおっさんの前に出ようとする柊さんの腕を引っ張る。
「もうリョウマ達は先に逃げた。きっともうこのモールを出た頃だ。僕たちも逃げよう」
無理やり引っ張りながら階段の上を目指す。
そしてついに地上へ出た。階段を抜けると吹き抜けになっている屋上から日差しが差し込むのが見えた。
「逃げよう柊さん」
「待って!」
「なんで!」
「まだ、おじさんのこと解決してない」
そんなのどうしようもないだろ! おっさんは怪人になっちゃったんだ。人間の頃のおっさんにどんな事情があろうと怪人になった時点で終わりだ。何もできることはないはずだ。
「グオオオオアアアアアアアアア! アリサ、コトエ! ハナセ! イイイイアアアアアアアアア!」
後ろからおっさんが階段を登ってくる音がする。早く逃げなければ。
「解決してなくたってどうしようもないだろ! 逃げるぞ!」
「私はおじさんと話す」
無茶だあああああああ! 暴走しすぎだ! 理性のない怪人と会話するってなんだよ! ライオンと心が通じ合ってるよりも信じ難いわ!
「それに、二人で逃げてもきっと逃げ切れない。私はミュータントだからきっとおじさんに殺されることはないから、一人でも逃げて……」
確かに怪人は超人を超えた肉体を持っていると言われている。本気で僕たちを追いかけてきたら逃げようがないだろう。今はおっさんが本気じゃないだけで……。
「アアアアアアアアア!」
ついにおっさんが地上へ登り切ってしまった。急いで逃げなくちゃ行けないのに、柊さんのことが気にかかって足が動かない。あ、これ死んだな。
「おじさん!」
「アリサァアアアアアア!」
「おじさんを助けたい、正気に戻って!」
「アリサ、アリサ、ウゥゥ」
おっさんの動きが弱まった!? 馬鹿な対話が成立するというのか。
おっさんは頭を抱えて立ち止まった。
しかし。
「グオオオオオオオオオオオ!」
おっさんが右手の大砲を、柊さんの頭に向けた。
「危ない! 柊さん!」
超回復能力がどこまで役に立つのか。頭を吹き飛ばされた時、柊さんは回復できるのか? いやむりだろう。
「おじさん、お願い……」
「グゥゥゥウウウウウ」
頭でも痛いのかおっさんは左手で頭を押さえる
「やめろ! 二人とも」
この時僕は不用意に叫ぶべきではなかった。このことを僕は一生後悔することになる。
「グオオオオオオオオオオオ! メイレイスルナァァアアアアアア!」
ドゥンと音がして、柊さんの首から上が弾け飛んだ。
「あっ……」
柊さんの頭が大砲で吹き飛ばされてしまった……。僕の、せいなのか? 僕が大声を出したから……。
「う、うあああああああ!」
僕はおっさん怪人の、いや、醜悪な猿の後ろに転移して思い切り後頭部を殴りつけた。
ガン! 殴った頭はまるで鋼鉄で、僕の攻撃なんてまるで効いてないようだった。
「!?」
僕は振り向いた猿に腰から殴られて二階まで吹き飛ばされた。