令嬢たちの取引
本来ならば、花見の会が始まっている時刻ではあるが、ファナたちに対しての取引が先である。近くの小部屋に彼女たちを連れ込んだ。
「で、あなたの要求は何ですの?」
ファナはアンジェリーナよりも年下で、背も低い方だ。座っている状態でも座高は低く、アンジェリーナを見上げるようにしているので、その状態で座っているのならば、小動物のようで可愛らしいとは思うが、口を開けば(対アンジェリーナ限定で)可愛くなくなるのはしょうがないだろう。
「そう、睨まないでください。私とて、早く終わらせたいのですから」
アンジェリーナはそうにっこり笑いながら、ファナの後ろを見る。その視線の先には、先ほどアンジェリーナの言葉に顔を青くした女性が相変わらず震えている。
「単刀直入に言いましょう。あなた方、いえ、イリス・スワルツァ伯爵令嬢。あなたは私の部屋をこの数日間、盗聴していましたね?」
イリスと呼ばれた女性はその言葉に崩れ落ちた。当たりだったか、とアンジェリーナは納得した。
「イリス、どういうこと?」
イリスが盗聴していたことは、ファナにも知らせていなかったみたいで、ファナも驚いていた。多分、ほかの誰か、おそらく密偵か何かの報告、という形で知らせたのだろう。イリス以外の女性も同様に驚いていることから、知らないとみていいだろう。
「スワルツァ伯爵はコルベリッチ侯爵とも仲がいい監察官ですから、同じ女性であるイリス嬢を使ってあの方たちにとって要注意人物である私の身辺を探らせていたのでしょう。もちろん、誰かに聞きとがめられたときは、女性秘書官である私の身辺は危ないから、という理由を使わせたのだと思いますわ」
アンジェリーナは淡々と言った。イリスは何も言わなかったが、ひどくうなだれている。ファナたちはそのことに唖然としている。
「あなたはいいんですの?」
ファナの問いかけにどういうことですか、とアンジェリーナは尋ね返してしまった。
「女官でいたころ、そして、ただの侯爵令嬢としての私だったら何とも思わなかったでしょう。もしくは、父親でも強請って何とかしてもらったでしょう。ですが、今は王族付き秘書官としての身分があります。自分で何とかする以外にないんですよ。あなたたちとは違うんです」
アンジェリーナの言葉にファナたちは、今度は言葉を返すことはできなかった。彼女たちが先ほどアンジェリーナに言った言葉が、重くのしかかっているのが分かった。
「――――――――本っ当にあなたはそういう風だから嫌いですわ」
かろうじてファナの口から出た言葉には力がなかった。しかも、どうやら、今のアンジェリーナの発言で彼女が要求することはわかったみたいだった。
「もちろん構わないわ。イリスをあなたに貸します。というよりも、こちら側の情報をアンジェリーナ様にお伝えしますわ。ただ、その代わり、今度のお茶会ではさんざんにあなたの悪口を言わせていただきますわ」
ファナの言葉にイリス以外の取り巻きが驚いていたが、アンジェリーナだけは満足して、本心からの笑みを見せた。
「ええ、そうですわね。あなたのとっておきの悪口を楽しみしているわ」
(それで十分。少しでも私が真相に気付いてしまったことを気付かせないで頂戴)
アンジェリーナとファナの利害が一致した。もっとも、ファナにとってみれば、アンジェリーナの悪口という『利』はあっても『害』はないのだろうが。
「さあ、ということで話はまとまったわ。ファナさん、あなたが先に行きなさい」
アンジェリーナは話はまとまったと、ファナに花見の会に行くように勧める。しかし、ファナはいいえ、と首を横に振る。
「本来であれば、私はこの花見の会には参加せずにベルッセルナ公爵家のお茶会に参加する予定でしたの。イリスの実家からの報告がなければ、今頃はこうして、あなたとも取引はしていなくて、ゆっくりとお茶を飲んでいられましたのよ」
そういうファナは笑っていた。
「だから、今からでもそれを実行しようと思いまして」
続けて、そう微笑んだファナだった。
どうやらファナの実家、コルベリッチ侯爵家にもベルッセルナ家からの招待状が届いているみたいだ。コルベリッチ侯爵家も王家とは一定の距離を置いているが、ベルッセルナ家とはつながりがないはずだ。何が目的なのか、さっぱり分からなかった。
「もちろん、この場での話はお父様にも言いませんし、ほかの方にも漏らすことはありませんわ。アンジェリーナ様が望むのであるのならば、証文を書いたほうがよろしいですか?」
ファナの言葉にアンジェリーナはいいえ、という。ここはひとつ、彼女に賭けてみることにした。
ファナと別れて、彼女の取り巻きたちとも別口で会場に入った。
アンジェリーナがある人物を探していると、前方から見知った人物がやってきた。彼はギュッとアンジェリーナの手をつかむと、そのまま、人混みの中をかき分けていく。
「遅かったじゃないか」
ある開けた場所まで来るとようやく彼女の手を放し、彼女に向き合った。