侯爵令嬢の企み
宰相が倒れてから一週間後、今回の事件の黒幕はいまだ判明していなかったものの、刑部による調査は突然打ち切られた。
打ち切られた原因として、様々な憶測が流れ、その中でも有力だったのが、『これ以上、ゲオルグ皇太子をこの国に留めておくことができないから』というものであり、刑部側も王家側もそれを肯定も否定もしなかった。
当たり前のことだが、黒幕扱いされたうちの一人、ゲオルグ皇太子は曲がりなりにも皇国の次期君主である。そのため、本来ならば皇国として抗議をするような事案でもあるが、さすがに緊張状態での外遊、そして、その最中に起こった事件であったので、強く出ることができず、反対に一行が帰国後に、自国内での調査をすることを約束してきた。
一方、被害者である宰相の意識は戻っていない状況だったが、危篤状態からは脱していることを医師からは告げられており、彼の妻子ともども王宮の一室で、夫の様子を見守っていた。
「で、君はもう調査はいいのかい?」
ベネディクトはいつもの仕事部屋でダラダラとしているアンジェリーナに尋ねた。通常なら、この時期は国王の行幸に従って、別荘地へ赴くのだが、さすがに今年はスベルニアとの外交問題も大詰めに来ていることから、行くわけにはいかないだろう、と取りやめたのだ。そのため、通常業務以外でどうしてもしなければならないことは特にないことから、ベネディクトはアンジェリーナが調査に赴くだろう、と思っていたのだ。
「そうね、どうやら秘書官としては刑部が動いていない以上、公には動くことはできないかしらね。それに、今日は元の職場からお花見に、って誘われているの。だから、あいさつ程度にそちらに顔を出そうかと思いまして」
アンジェリーナとしても、刑部が動いていれば、表立って行動していただろう。だが、彼らが調査を打ち切っている以上、秘書官が独自に動くことはない。だが、侯爵令嬢としては別だ。もちろん、もともと平民である彼にすべてを話すつもりはないが、ある程度はにおわせておいた。すると、それを読み取ったのか、ベネディクトは少しため息をついて、ある封書を彼女に渡した。
「何かしら?」
彼女はそれを光にかざし、ただの紙であることを確認すると、丁寧に封書を開け、入っていた紙を読んだ。それに書かれていたのは、今日の午後ベルッセルナ公爵夫人が開く茶会への招待だった。
「でも、なぜこれをあなたが?」
ベルッセルナ公爵と王家の仲は本当に悪い。先日の例の夕食会であってもなぜ、王家が公爵家を招待し、そしてそれに今まで応じてこなかった公爵家がこんな時に限って応じたのか、それが不思議だったのだ。そして、今度は敵対しているはずの王族の直属である秘書官を夫人の茶会に招待するのか謎だらけであった。
「私にも分からない。先日、公爵閣下とすれ違った時にぜひ、来てくれ、と言われながら手渡された。もちろん、公爵家からの招待だ。たかが平民ごときが拒否できるようなものではないから行くんだが、気を付けておくべきことはあるか」
ベネディクトは至極真面目に聞いてきた。アンジェリーナは自分で考えなさいよ、と思いつつも、
「手土産はあまり高くないものでいいのではないかしら。安すぎても大問題だけれど、あまり高すぎても『たかが平民の分際で』と言われるかもしれないから。まあ、あの方たちは夜会でお会いした限りだと、そんな悪い人たちではないわ。見た限りだと、夫人もあまり激しい気性ではないし、跡取りは確か私の一つ上で、貴族議会の次期座長と言われているはずの方ではなかったかしら。お二方とも付き合いがないから印象に残っていないのだけれど」
と言葉を選びながら言った。
一応、ともに貴族の身分で、公爵と侯爵という身分の近さはあるが、アンジェリーナの実家は生粋の王家至上主義、一方のベルッセルナ公爵家は王家から分かれた家であるものの、王家とは非常に仲が悪い。そのため、実家同士の付き合いもなく、夜会でも見かける程度、茶会にはそもそも互いに呼ばない間柄である。そのため、アンジェリーナあまり公爵家関係の人間と会ったことはなく、伝え聞いた第三者の話はあまり入れずに彼女が感じたことだけを話したのだ。
アンジェリーナの言葉に含むものがあると気づいたベネディクトは、目を細めた。
「なるほどね。君がそこまで丁寧に言葉を選ぶのであれば、私もそれなりに気を付けるとしますか」
彼の言葉にアンジェリーナは笑った。
「そうね。言質さえとられなければ、どうにでもなるから、それだけはお気をつけください」
アンジェリーナの忠告にああ、とベネディクトは頷いて、部屋を出て行った。
「さて、と」
アンジェリーナは一人きりの部屋で伸びをした。
先ほどベネディクトに言ったのはすべてではない。公爵家とかかわりのない彼女だが、それでも情報は集めようと思えば集めることはできるのだ。
そして、もう一つ。彼女はベネディクトに対して事実と大きく違うことを言ってあった。それは、昔、某大手企業の秘書として働いていたアラサーOL『相馬奏江』として生きていたことがなければ、彼女自身、気づかなかったであろうこと。
「さて、ベネディクト先輩には陽動作戦として動いてもらいましょう」
アンジェリーナは今までで一番、彼女とかけ離れた笑みを浮かべた。
※目次に書きましたが、この作品は火曜から土曜日の朝7時更新とさせていただきます。
※一部サブタイトルを変更させていただきました。