侯爵令嬢の葛藤
しかし、二人の予想に反して、アンジェリーナは皇太子の発言を流した。
「そうでしたか。まあ、その辺については深いご事情がおありのようなので、私はこれ以上、聞くつもりはありません」
と言い、今度こそエルネスト王とベネディクトに向かって言う。
「そういえば、くだらない話をしていてすっかり忘れておりましたが、先ほど、ジョアン団長と話し合った結果、3人のみが陛下にも信頼してもらえる騎士だそうなので、彼らをすぐさま、執務室付とするようにお願いしてきました」
アンジェリーナの報告にエルネスト王はそうか、とだけ呟いた。だが、その表情は心底ほっとしたようなものだった。近衛騎士団長に対する信頼があるのだろう。そして、ベネディクトはやっぱりやってくれるね、と目だけであったが、褒めてくれた。アンジェリーナは同じく、目で感謝した。
その後、ジョアン騎士団長が派遣した騎士3人に会い、引継ぎを行った。騎士団の中でも、ニコラスという騎士は3人の中で最も若いながらも、非常に有能な人物らしいという。彼らの話を聞いていると、どうやら彼の実家は男爵家ながらも、100年ほど前から騎士団長を代々継いできている家系で、彼もまた、将来の騎士団長候補として嘱望されているそうだ。
今まではジョアン騎士団長、もしくは、彼が紹介してくれた武官たち以外にはあまり接触してこなかったが、将来的には彼らとも接触してみたいと、アンジェリーナは考えたが、今はそれどころではなく、さっさと秘書官の仕事部屋に戻った。
すると、そこには思いがけない人物がいた。
「結構、時間がかかったみたいだな」
そう、部屋に入ってきたアンジェリーナたちに話しかけたのは、彼女たちが部屋に入った時には、優雅に座ってお茶を飲んでいる男性だった。彼は、鮮やかな金髪の持ち主でありながら、顔立ちはどちらかと言えば平凡な男性――――アンジェリーナの父親、ルシオだった。ベネディクトは身分的に上である侯爵でもある彼に一礼したが、アンジェリーナはええ、そうよ、と言って、ルシオの方に向かって歩き、彼の真正面に腰かけた。
「陛下は近衛騎士が信頼できないだのなんだのとごねるし、皇太子殿下は私の悪名を知っているみたいだし」
アンジェリーナは机の端においてあったティーポットからカップに茶を注いで、一気に飲み干す。前世を思い出した今、この世界のお茶はどことなくハーブティーに似ているな、なんて思いつつ、感傷に至る暇はなかった。
「陛下の近衛騎士嫌いは当たり前だろう。それを理解していないお前が悪い。それに、皇太子殿下の本気の外交モードを見せてもらったみたいで、結構だ」
ルシオは自分が入れた茶を、娘が勝手に飲むのを見て、少し眉をひそめたが、何も言わなかった。アンジェリーナは父親のその様子に気付いたようで、勝手にもらって悪いわね、と謝った。
「で、お父様は何をしにこの部屋まで来たのかしら。これ以上は邪魔だから首を突っ込むな、と言われるのはごめんよ」
彼女はそうおどけて言ったが、ルシオには通じなかったみたいで、そうではない、と真面目に返された。ちなみに、ベネディクトは父娘のこの会話は聞いていない。どうやら、ルシオのことが苦手みたいなのか、一度部屋に入った後、すぐさま、書類を抱えて出て行った。多分、いつも通りならばしばらくは帰ってこないだろう。
「刑部で調査した結果、食事に違う種類の毒を混入させたのは3人、正確に言うと、3組いることが分かった」
ルシオの言葉に、アンジェリーナは瞠目した。
「それは、すべて宰相狙いだったのかしら」
あの宰相はあの過激な性格が災いして、周りに敵が多い。だが、彼の有能さは誰しもが認めていることから、あの地位に望まれ、就いた。
ルシオは首を横に振った。
「違った。宰相を狙ったのは、宰相を恨んでいるものの犯行に見せかけたかったのだろう。互いに気づかないまま3種類の毒が宰相の食事に盛られていたみたいだ。だが、ここまでの重症になった毒は1種類。その毒の入手先が分かっていないのだ。もっとも、ほかの2種類も入手した人物が分かっていない」
父親の言葉に、アンジェリーナはどういうこと、と尋ねる。
「あの日の調理場担当の話から、宰相に毒を盛った3組の構成はおおよそ把握している。一組目はベルッセルナ公爵家。あの家は何をしでかしてもおかしくはないだろうが、このタイミングでこんな愚行を犯す必要性が感じられないのが謎だ。二組目と三組目はともにスベルニア皇国側。片方は皇太子殿下側、もう片方は皇太子の弟、異母弟の実家だ。二組ともカモフラージュとして宰相を狙う大義名分がある」
ルシオの言葉に、息を吸い込んだらヒュウと音が鳴るのが感じられた。
「アンジェ、『碧眼の毒娘』であるお前に一つ動いてもらいたい」
ルシオの言葉に、アンジェリーナは戸惑う。今までも時々、父親の手伝いをしてきたが、今回はさすがに国際問題にもつながりかねない出来事だ。戸惑うな、という方が無茶だろう。
だが、ルシオはそんな彼女の葛藤に気付かなかったみたいで、話し続けた。
『 』
ルシオの話した内容に諦めに境地に至ったアンジェリーナだった。
「わかりました」
確かに、これは情報量が最も多いアンジェリーナだからこそ適役なのだろう。だが、見返りもなしに動く彼女でもなかった。
「その代わり、それを私が行った場合、この国にいるのは不可能でしょう。どこかいい留学先を見つけてくださいね」
アンジェリーナの言葉に、まさか条件を付けてくるとは思わなかったのだろう。一瞬、驚いた顔をしたルシオだったが、最後には了承してくれた。
「わかった。頼む」
ルシオはアンジェリーナに頭を下げた。彼女は父親が頼み事―――という名の厄介事を持ち込むのは常日ごろから知っていたが、頭を下げるのは初めて見た。
自分の要求を呑んでくれたことで、胸のすく思いをしたが、父親のその姿を見て、なんだか得体の知れない不安を感じた。