回想《原点》
暖かな春の日のある昼下がり、王宮に作られた人工的な森の中、その開けた場所にて―――――
「あなたは猫のようね」
突然かけられた声に、木の上にいたエミリオは転がり落ちそうになった。ゆっくり下を見て声の持ち主を探すと、色とりどりの花に混ざって、可愛らしい少女がそこにいた。
溶けてしまいそうな淡い金髪にきらめくエメラルドの瞳。
十人中十人、彼女のことを綺麗な少女だと思うだろう、と場違いなことを思ってしまった。
「君は―――――――」
エミリオはその少女のことが記憶になかった。(王位につく気がないとはいえども、形的には)王家と対立しているベルッセルナ公爵の息子である彼には、時々自分の家に来る人以外のことはあまり知らなかった。そして、先祖の通り名どおり、『引きこもりのベルッセルナ』を体現している親は彼を社交の場に連れて行こうともしなかったので、こうやって彼自身が行動を起こしていたのだ。
だが、毎日のように忍び込んでいる彼でも彼女のことはさっぱり知らなかった。貴族名鑑を調べようとしたが、彼女が言った言葉に手を止めた。
「そうね、あなたはいつも木の上に登っては下を眺めていらっしゃるようなのに、全然気づかれなかったのね」
少女は笑いながらそう言った。エミリオにはその言葉は少し気に食わなかった。
「一応、貴族名鑑を見ながら確認しているんだが」
名前と顔を一致させるためにそれを持ってきており、眺めながらいちいち確認していたのだ。
「あら、そんなことをしなきゃ覚えられないの?」
少女は無意識なのだろうが、エミリオを挑発してくる。その質問にエミリオは詰まった。すると、少女は勝気な表情でエミリオに迫った。
「どうですの?」
エミリオは降参した。
「うっ―――――覚えられる、覚えてみせるよ」
少女はその答えに満足したようで、じゃあ、その名鑑貸して頂戴、と言って手を出した。ここで逆らえばまた何か言われると思ったので、素直に応じて名鑑を放り投げた。
「じゃ、またね」
少女は名鑑をもって建物の方へ走り去った。木の上に一人残されたエミリオは少女に悪態をついた。
(何だったんだ、あいつは)
まあ、身分を明かしてはいないエミリオが言える義理ではないが、自分は公爵子息だぞ、と思いつつ、その少女の事ばかり考えてしまった。
翌日。
晴れたので、再び王宮に忍び込んだ彼は本当に覚えられるかな、と思いつつも、少女との約束を守るために必死に彼の近くの来る人に集中した。だが、その場所は奥まっており、来る人はほとんど決まっていた。名鑑があれば初めて来る人でも調べることができるのだが、それがない今はどうしようもなかった。
「うーん、駄目だな――――――」
そう口をとがらせて言うと、
「あら、もう音を上げるの?」
下から昨日と同じ声が聞こえた。再び落ちそうになったエミリオだが、今日もまた、何とか木にしがみつき、落ちることはなかった。
「いや、だから、さ、僕は―――――」
「冗談よ」
エミリオの言い訳をぶった切って、少女は冗談だと言いきった。エミリオはなんだそりゃと思ったが、口には出さなかった。
「そうね、でも、あなたの学び方はあっていないんじゃないのかしら」
少女のアドバイスに確かにそうかもな、と思うエミリオ。
「本当は王宮の人と接触して、情報を得るのが得策、と言いたいところだけれど、あなたじゃ、警戒されるだけよね」
少女は真剣に考えてくれるようだった。
「そうだな――――――って、君は僕のことを知っているのか?」
エミリオは同意したが、少女の言葉の中に自分の正体に気付かれていたと慌てる。
「ええ、あなたのことは知っていてよ、ベルッセルナのご長男様」
少女の言葉にエミリオは頭を抱えた。相手のことを知らないのは自分だけだったのかと。
「ついでにいうと、あなたがここにいることは女官たちに知れ渡っているわね」
エミリオに追い打ちをかけるように少女は情報を漏らす。
「なんだかんだで緘口令が出されているらしいけれど、連れ戻されるのは時間の問題よ」
少女の情報は頭を抱えるものでもあったが、ありがたい助言でもあった。
「じゃあ、君も女官なのかい?」
少女に問いかけると、いいえ、と返ってきた。
「まあ、女官になったら人から情報出し放題だけれど、今はそういう身分じゃないからあなたと同じようにこっそりと忍び込んでいるだけよ」
少女の言葉に唖然とした。
「ま、私の場合、出入りしても咎められないから、正々堂々と正門から忍び込んでいるんだけれど」
いや、矛盾していることだろ、それ、と思いながらも、彼女ならやり遂げそうな気がした。
「ということで、お気に入りスポットがあるんだけど行く?そこなら遊び放題、人を発見し放題、情報ひき出せ放題よ」
少女の言葉には抗えない魅力があったが、
「いや、断る。僕は僕なりの方法で人を覚えるよ」
と断った。少女は、あらそうなの、残念だわ、と大して残念そうでもないように言って、彼に本を差し出した。それは、以前彼が少女に渡した貴族名鑑だった。
「返してあげるわ」
少女はそう言ったが、当然木の上にいるエミリオには届かない。エミリオは仕方なく、木から降りた。そして、改めて少女を見た。
「光り輝く花みたいだな―――――」
エミリオのつぶやきに、少女は首を傾げた。
「ううん。君はラナンキュラスの花のようだな、と思ってね」
彼は独り言のように言った。
「また、ここにきてくれるかい?」
エミリオの問いかけに、少女は良くってよ、と答えてくれた。
「ありがとう、キュシー」
しばらくの間、エミリオは少女との逢瀬を重ねた。彼女のことは貴族名鑑によって正体がつかめただろうが、なぜか彼女の正体をつかもうとしなかった。いや、彼女の正体を自分の力で調べようとした自分がいた。
しかし、年齢を重ねるごとに互いに貴族としての勉強が多くなり、二人ともこの場所に来る機会が減った。そして、いつの間にか完全に会わなくなった。
エミリオは彼女の情報を得るために、様々な女性と付き合った。その中に『キュシー』と呼んだ少女はいなく、彼女の正体すらも分からなかった。
だが、ある夜会にて、彼は運命の再会を果たした。
たまたま女性にくっついて出席したそのパーティーで彼女を見かけた。彼女は宰相候補と言われている男のエスコートを受け、出席しており、こちらには気づいていないようだったが、名前ははっきり聞こえた。
アンジェリーナ・コレンス侯爵令嬢。
エスコートをしている男の娘らしい。しかし、男に似ていない。そして、年齢も合わない。どちらかというと恋人のようだが、一応親子らしい。
今付き合っている人物にわき腹をつつかれ、現実に引き戻されたが、鼓動は高ぶったままだった。
(スペース)自分と彼女では大違いだ。だから、そっと見守るだけにしよう、そう自分に言い聞かせて、その場を後にした。
しかし、結局、彼女をそっと見守るだけでいい、と言いながらも彼女を助けたくなり、彼女を守ることをし始めたのは。
王宮に出入りし始めた彼女を守るため、父親から適当な爵位を丁重に頂いて王宮に出入りできる権限をもらった。
建国祝賀祭の直前に彼女が何かを調査していると気づいた時も、彼女の背後から狙う輩を屠ってきた。
彼女がスベルニアに行くという話を聞きつけた時は、『真犯人が自派閥のものである』という理由を盾にして彼女の付き添いをねじ込んでもらった。
自分と彼女は結ばれることはない。
だけれど、ずっと彼女を守っていきたいと思った。
そして、その時だろうか、自分の中に別の人物の記憶が眠っていることに気付き、彼の記憶を目覚めさせたのは。
「今度は君に守られちゃったね」
誰もいない部屋でエミリオは呟く。何者かに連れ去られた挙句、自分の先祖だとか、過去のお偉方が出てきて、美しい女性に育った少女に難題を吹っかけては、連れ去った人物を元に戻す、ということしている。
もう少しのはずだ。
「早く戻ってきて、キュシー」
全然大人びていないエミリオ君でした。




