回想《守るべき方》
それは偶然だった。
何の行事もない、ただの変哲もないある日突然、甦った。『前世の記憶』というものが。
自身が転生者だと気づいてから五年目。転生者だということを黙って生きているうちに、そんなことを忘れかけつつあった。ニコラスは自覚症状こそなかったが、近衛騎士団において出世街道を突き進んでいた。
「ニコラス・フリュンデ一等騎士、ならびにロレンソ・プレルッティ三等騎士」
「はっ」
目の前の男に名を呼ばれたニコラスと部下のロレンソは、敬礼をした。
「スベルニア皇国へ向かうコレンス秘書官の護衛として、同行を命じる」
月に一度ある定例合同会議。
近衛騎士団小隊長以上の幹部が参加するこの会議で、近衛騎士団長であるジョアン・クロルヴィッツからの辞令はざわめきを起こした。
(まあ、そうなるわな)
元学生であった彼にとってみれば、社会経験こそないが、小さな社会ともいえる学生生活でよく身に沁みていた。
お金持ち学校におけるごく一般家庭の子女。彼らが何かしら秀でたことをすると、すぐにやっかみの言葉が飛んでくる。
(俺は二度とそんな生活を送るなんて嫌だったのに)
そう思っていたが、仕方なかった。
元リーゼベルツ王国貴族、ユリウス・スフォルツァを祖先に持つフリュンデ家に生まれたニコラスの人生はそううまくいくはずなかった。
多くの騎士の目の前で、読み上げられるこの辞令はたとえ名誉なものであっても、彼にとっては少し苦痛なものであった。なぜなら、この辞令には爵位持ちではない騎士としては、あり得ない出世だからだ。本来ならば(物理的な)力がある者しか這い上がれない騎士団であっても、ある程度の家柄は考慮される。そのため、爵位を持っている家系、特に実家が伯爵家以上の騎士にとってみれば、この人事に対する反発は強いだろう。
案の定、そのうちの一人、グスタフ・モロドゥワ中隊長は声をあげた。
「待ってください」
その声に一部の騎士からはよくやった、というような称賛の眼差しが向けられた。どうした、とクロルヴィッツ騎士団長が尋ねると、小隊長は勢いよく抗議し始めた。
「コレンス秘書官というと、コレンス侯爵家の長子ですよね」
「それがどうした」
本当にどうでもよさそうな騎士団長の言葉には魂がこもっていない。それに気づいていない小隊長は抗議をつづけた。
「我々はお遊びで貴人をお守りするのではありません。折衝などの折に貴人を守るのが我々の役割です。故に、貴族の派閥や人間関係の把握ができていないフリュンデ一等騎士に任せられるものではありません」
その意見を聞き、そうだ、という声がちらほら上がる。モロドゥワ小隊長は言いたいことを言い終え、満足そうに席に着いた。その様子を見て、クロルヴィッツ騎士団長はため息をつくと、
「それだけか」
とだけ言った。その言葉に、抗議した本人であるモロドゥワ小隊長をはじめ、何人かはどういうことだ、と怒り出した。
「お前たちは何を勘違いしているのか知らんが、そもそもニコラス・フリュンデ一等騎士を指名したのは護衛主、アンジェリーナ・コレンス侯爵令嬢だ」
騎士団長の言葉に、言葉をなくす面々。少なからずニコラスも驚いたが、以前に会ったことのあるかの方ならばありうる話だと納得してしまった。
「それにすでに、フリュンデ一等騎士はすでに国王陛下の護衛も任されたこともある。これも向こうからの指名だ。
だから、今回の辞令について、お前らが気に食わないならそれでいい。ただ、それは国王陛下を否定することにもなるし、国王の最側近を否定することになる。それでもいいのか」
そう騎士団長が締めると、腹立たしそうにしながらも、口をつぐんだ。
「ということだ、フリュンデ一等騎士。ほかに何か質問はあるか」
騎士団長のやりこみ方に唖然としていると、声を掛けられたが、とっさに思い浮かぶことがなく、困っていると、
「今すぐに思い浮かばなければ、それでいい。思い出した時に来てくれ」
と助け船を出してくれたので、その場は済んだ。
だが、その場はあれだけで済んだが、会議が終了後、先方から打ち合わせがあると聞いたニコラスがすぐに部屋を出ようとすると、誰かに足を引っかけられた。ひっかけた足の主をはじめとして複数の笑い声がクスクスと聞こえてきた。
「あー悪い悪い。俺の足長くてよぉ。あんたがそこ通るって思わなくてねぇ」
声の主は幹部連中でも質の悪い性格をしている奴だと思い出した時、思わず騎士団の本部内であるにもかかわらず抜刀しかけたが、誰かにそれを阻まれた。
「お待ちなさい」
怒りをはらんでいても凛と透き通るその声は、この場に似つかわしくない存在の持ち物だった。
「あなたが今、そうしてはこいつらの思うつぼよ」
その声でニコラスの怒りは少し収まり、代わりに彼女へ謝罪した。
「気にしなくても構わないわ。それよりも、躾のなっていない犬はどうするべきかしらね?」
狙って言ったのだろう、案の定、男たちは逃げ出した。
「で、あの男たちは何者なの?」
金髪の女性は明らかに怒りをあらわにしながらニコラスに尋ねる。一瞬、彼らの名前を言ってしまってもいいのかと逡巡したが、彼女はニコラスに名前を言うように促した。
彼が洗いざらい名前を吐くと、彼女はそうねぇ、といった。
「悪いけれど、囮になってもらえない?」
それが自分に向けたものだと理解するまで、少しかかった。だが、囮にする、ということを理解したところで、なぜか、彼女にだけは無条件で従おうと思った。
「そうね、作戦はこうよ―――――――」
それを聞いた時、彼女は根っからのお人よしなんだろう、と思ってしまった。
「あなたに利益がないじゃないですか」
ニコラスがそう言うと、スベルニアまでの保障があればいいのよ、と彼女は笑いながら言った。
その後、国王陛下からも直々に言葉を賜り、数日後にトワディアン王国を立った。
そして、全てが終わった後、ニコラスは決意した。
彼女のために働こう、と。
そして、いつの間にか自分は金色の檻に捕らわれていた。
(二度と、あの方に会えない――――――?)
絶望が胸の内をよぎったが、しばらくじっとしているうちに、転機が訪れた。
近くに捕らわれていた国王陛下や隣国の皇太子が消えていったのだ。
(どういうことだ―――――?)
理解が追い付かなかったが、かすかに希望の光がともった。
目覚めたのは自室。誰もいない部屋でニコラスは目覚めた。
「う、夢か―――――」
そう呟いたが、すぐにそれが夢ではないことに気付いた。
「『ヴィルトゥエル・ベグリッフ』――――――――」
かつての王国騎士団長の姿は、王宮にある肖像画での彼と違っていた。だが、肖像画の精度はこんなもんなのか、と思ってしまっただけであった。そして、『彼』の言葉に違和感を抱くことをニコラスは失念していた。
「お待ちしております。いつまでも――――――」
命の危険、世界の破滅がかかっている中で、彼女は今もおそらく戦っているだろう。
自分はそれまで彼女の帰還を信じるしかないだろう。
「アンジェリーナ・コレンス侯爵令嬢」
決してかなうことのない恋、それをニコラスは純粋に敬愛だと信じて疑わない。
そう、あの日から―――――――




