凪と旋風
しばらくの間、アンジェリーナもエルネスト王も開いた口がふさがらなかった。
「――――――――え」
やっと出た言葉も意味をなさないモノ。
「はい。クロルヴィッツ騎士団長がいらっしゃるので、情報に間違いはないかと」
二人の信じられない、という顔に、騎士は困惑しながら言う。エルネスト王は、ああ、そうだな、と言った上で、
「では、引き続き情報収集を頼む。新しい情報が入り次第、こちらに持ってくるように。あと、各国へ情報をすぐさま伝達しておけ」
と、命令した。騎士は承知しました、と敬礼し、すぐに部屋を出て行った。
「これから忙しくなるな」
独り言のようにエルネスト王が言ったのに対し、ええ、と肯定したアンジェリーナ。
「私も引き続き、部屋で情報の精査をしているわ」
立ち上がり端に何枚か書類を手に取り、笑った。そうしてくれ、と苦しそうなエルネスト王の声を背中で聞きながら、出て行った。
「ただいま」
秘書室に戻ると、ルシオが部屋を訪れていた。ということは、と思って、部屋の中を見ると、珍しくベネディクトが部屋に残っていた。逃げていない様子を見ると、ルシオに捕獲されたか、何か取引を持ち掛けられたのだろう。
「アンジェ、聞いたか」
挨拶もなしにいきなり尋ねられたが、アンジェリーナは驚きもせずに、ええ、と答えた。
「パルシオでの砂嵐の件でしょ」
「ああ。フラン大公国での件と同様にこれまで被害のなかった、巨大砂嵐に行方不明者がとうとう出たのは聞いているはずだ」
ルシオの言葉にアンジェリーナも近くで聞いていたベネディクトも頷く。
「これだけの広範囲、不定期にわたって、しかも、人的・物的被害がない砂嵐を起こしている、ということは、到底、自然が巻き起こした現象にしても不自然すぎて、考えられない。だが、人為的な現象であることもすでに否定されている」
ルシオは数枚のスケッチ、を机上に置いた。スケッチには、近くの住民が書いたのだろう、砂嵐の様子が描かれていた。
「で、宰相として、二人に頼み事だ。以前にも、このような事態が起こっていないか文献を調べてほしい」
ルシオの依頼に、アンジェはもとより、ベネディクトも頷いた。
「まだ、コーエン卿とフリュンデ騎士の失踪については公表しない。いたずらに、民草の不安をあおるのは得策ではないからな。だが、すでに、フラン大公国での一件とともに、『噂』として、人々の不安をあおる材料になる。だから、民に広がる前に、せめても原因を突き止めたい」
頼む、と言って、ルシオは頭を下げた。アンジェリーナもベネディクトも顔を見合わせ、問題ありません、と言った。
「私は『侯爵家の娘』。だから、民に顔を向けられないようなことはできない。
それに、この非常時、王宮に出仕している者は、役割分担をしなければならない。
騎士たちは無駄かもしれないけれど、現場検証すること。そして、文官は各国の情報の精査をして、砂嵐の原因を探ること。そして、役職を持たない貴族たちは民の不安をあおらないように、ある程度の真実を混ぜて広めること。ならば、私たち文官は、その原因を突き止めることのお手伝いをすることが今、求められている」
そうよね、とベネディクトにアンジェリーナは同意を求める。ベネディクトはええ、そうですね、と笑い、
「私はしがない一人の平民ですが、こうやって文官として出仕している以上、貴族と同等の仕事をなさねばなりません。ですので、必要とあらば、各国回ってきますよ」
と言い切った。すると、ルシオはホッとした顔をした。
「今のところ、ほかの国を見に行く必要はない。だが、湿っぽいところに缶詰めになるが、それでもいいかな」
彼の問いかけに、再びアンジェリーナとベネディクトは顔を見合わせ、当然です、と口をそろえて言った。
「埃っぽいし、ここまで湿っぽいとは思わなかったわね」
アンジェリーナは口元をハンカチで抑えながら、言った。ベネディクトも、ああ、全くだな、と苦笑いしている。
王宮地下・大書庫内―――――――
通常の図書館とは違って、普段は開放しておらず、国王、王太子、そして宰相と各部長官しか立ち入ることが許されていない場所に、特別に立ち入りを許可されたアンジェリーナとベネディクトはいる。
「で、調べてほしいって言われたのがこの資料よね」
湿っぽさと埃っぽさと戦いながら、書物の山を越えていくと、他の書物とは分けられたものがいくつか山積みされていた。
「そうだな。しかし、ものすごい量の書物だ。内容ごとや年代ごと、大きさごとに分類したいくらいだよ」
「分類?」
「ああ。こんな好き勝手に置かれているのを見ると虫唾が走る」
忌々しそうに見回すベネディクト。
「前に言ったことがあると思うけれど、俺は前世の記憶がある」
アンジェリーナは驚いた。ベネディクトがそんなものを持っているということにではなく、前にアンジェリーナに言ったという点に、だ。
「―――――――ねえ、人違いじゃない?」
「あ?」
「私、そんな話聞いたことないわよ」
アンジェリーナはベネディクトに指摘すると、ため息をつかれた。どういうことだろう、と思っていると、
「そっか。そん時は君、倒れたな」
とベネディクトは呟く。その意味も分からず、再び首をかしげたアンジェリーナ。
「だ、か、ら。俺が君に前世の話をしたら、君はぶっ倒れたんだよ。そうだな、あの時は確か宰相の毒殺未遂事件が起こった時だ」
そこまでベネディクトに言われて、ようやく思い出した。なぜ、自分が『記憶』を思い出したのかも。
そう。あの時、倒れたのは、寝不足だと思っていたが、そうじゃなかった。アンジェリーナ自身が前世の記憶を思い出した元凶は、目の前の人物だった。彼自身が前世云々の話をしていたからこそ、アンジェリーナ自身の記憶を思い出した。そして、その情報量に耐え切れずに倒れた。そして、自身が転生者であることだけを覚えていて、彼のことはすっかり忘れていた。
「そう、そうだったのね――――――」
憑き物が落ちたようなアンジェリーナの声に、ベネディクトはああ、という。
「でも、それを私に言って、他の人に言われない自信はあったの?」
彼女はにこりとも笑わずに、尋ね返す。ベネディクトはもちろんだ、と即答した。
「仮に言ったところで、他の人は君の頭がおかしいと思われるだけだろう。侯爵令嬢であり、王族秘書の立場である君のことを追い落とそうとしている人たちにとってみれば、格好の弱みになる。
それを踏まえれば、何かをなそうとしている君は今の立場にとどまりたい、すなわち、誰にも言わない、もしくは言えないと断言できる」
ベネディクトの断言に、アンジェリーナはええ、その通りだわね、と苦笑いした。そして、苦笑いを浮かべたまま、続けた。
「じゃあ、お礼に私からも」
アンジェリーナの言葉に、ベネディクトは少し驚きを見せた。
「実は私もなの」
は?という間抜けな声に、アンジェリーナはやっぱりね、と笑う。
「私も前世の記憶を持っているわ。そして、もう一人、砂嵐に消えたコーエン卿、エミリオ・ベルッセルナ公爵子息、彼も前世の記憶を持っているみたいね」
あまり他人の秘密を言っちゃいけないだろうとは思いつつも、同じ転生者なんだし、情報共有はしておいた方がいいだろう、とエミリオの件も話すと、まじか、とベネディクトは嫌な顔をして、唸る。そういえば、この二人はあまり仲良くなかったんだっけ、と思ったが、しょうがない。情報共有のためだ。
ベネディクトとアンジェリーナは、作業しながらエミリオのことも含めて前世のことを話した。過去の世界では一般的なOL、駆け出しの俳優、そしてごく普通の図書館の司書は、出身地も居住地も年齢も全く違う、赤の他人、ということだけしか分からなかった。
「結局、私たちがこの世界に転生した理由については、全く分からなかったわね。まあ、よく転生小説にある、召喚された世界には魔法や魔術、ドラゴンと言った要素もないみたいだわね。強いて言うなら、乙女ゲームの世界っていうだけ。だから、『ドラゴン討伐のために勇者を~』とか、『戦の真っ最中だし、聖女様を求めて~』っていうわけでもなさそう」
「ああ。『クラスで丸ごと転移しました~』とか、『身内と一緒に召喚されました~』っていうわけでもなさそうだしな」
結局、三人がこの世界に転生した理由はわからなく、しゃべりながら行っていた作業についても全く収穫がなかった。
「いい加減、この場所から立ち去りたいわ」
「同感だな」
二人とも、書物を読みまくったせいで起きた目の疲れと湿気と埃っぽさからくる精神的・肉体的な疲れからぐったり疲れていた。
「――――――今から少し時間があるか」
ベネディクトがふと思い立ったようにアンジェリーナに尋ねる。
「ええ、少しくらいならあるわよ」
最近、砂嵐事件の処理のため、王宮で寝泊まりしていたアンジェリーナは、さすがに今日くらいは母親の顔を見に帰ろうかと思っていたが、もう少しくらいなら、と了承した。
「多分、この時間ならあそこにいるだろうな」
と、独り言を言い、アンジェリーナの手首をつかむと、歩き始めた。
[ベネディクト・アマーソン]
銀髪・緑眼
王族秘書官の先輩。平民身分だが、ある事件をきっかけに王宮に出仕するようになった。
姿は『シュガトリ』のサポート役である宰相に瓜二つらしいが、名字から別の攻略対象・サンドロ・アマーソン伯爵の子孫であると判断した。アンジェ・エミリオ同様、転生者。




