嵐の前兆
ある昼下がり―――――
「また、北方で例の巨大な砂嵐が巻き起こったらしい」
王族秘書官執務室には、毎日多くの手紙やら書類が舞い込んでくる。そんな取次やら決済、もろもろの職務で忙しい秘書官二人は今日も多忙を極めていたのだが、ベネディクトの一言で、室内の温度が一気に下がった。
「今度は北方なの?」
アンジェリーナが聞き返すと、ああ、という答えが返ってきた。
スルグランとの戦争の後、国王をはじめ、出征していた騎士・伝令を担う文官たちは盛大な祝福の嵐の中、帰還した。
帰還後、祝賀会や叙勲会が執り行われ、件の近衛騎士団の大調査が行われ、約半数の人事刷新が行われ、大隊長をはじめとした、貴族主義の反ジョアン派の幹部や一部の彼らに属する騎士たちは降格ないしは除隊処分を受け、ニコラスをはじめ、実力の伴っている騎士たちは異例の大抜擢とも呼べるほどの、昇進を果たした(ロレンソはすでに捕まっており、ジョアンが帰ってくる前に除隊処分を受けている)。その後、ようやく落ち着きを取り戻したと思った矢先、大陸各地で巨大な砂嵐が起こり始めた。当初は大陸の南方のみで頻発しており、その地方にある砂漠から飛んできたものだと思われたが、やがて大陸全土で起こり始め、質の悪いことに、その砂嵐の規模は定まっておらず、小さな農村を巻き込むか巻き込まないかくらいの大きさのものから、大都市を一気に飲み込んでしまうほどの規模のものまであった。
しかし、その砂嵐の尋常ではない一部分として、『被害がない』のだ。
通常の砂嵐ならば、普通は田畑が砂まみれ、家の中まで真っ白、通行人が飲み込まれた、家畜がダメになった、などという『被害』が少なからずあるのだが、現在、各地で巻き起こっている砂嵐は、それが一切ないのだ。そのため、普通の砂嵐ではない、ということしかわからず、正体をつかむことさえ困難に陥っていた。
各国の首脳たちも頭を抱えているが、発生日時・場所は予測することもできず、全く打つ手がなく、人的・物的被害がないからいいようなもの、非常に深刻な事態となっていた。
「だが、今回は今までとは違う」
ベネディクトの言葉に、アンジェリーナは首を傾げたが、あることに気付いた。
「今までと違う?まさか―――――」
アンジェリーナの疑問にベネディクトはああ、と頷く。
「行方不明者が一人出た、スベルニアからだ。現在、ミゼルシアの北方、フラン大公国に滞在中のゲオルグ・スベルニア皇太子殿下、だ」
彼の言葉に、アンジェリーナは愕然となった。なぜ彼が――――という問いかけは意味をなさなかった。
「幸いにも、というべきか、スベルニアもこの天変地異がどこか一国の理由ではないことは百も承知だから、フラン大公国に抗議は出していない」
「ええ、そうでしょうね。でも、捜索隊とかは派遣しているの?」
「いや、もう発生してから、数日たっている。これの続報となる動きがないことを考えると、スベルニアもフラン大公国も次の砂嵐を憂慮して、二の足を踏んでいるだろうな」
ベネディクトの推測に、アンジェリーナは落ち着きを取り戻した。
「それに、ただでさえ俺らのような地位があるものが不安になっている、ということは当然、庶民だって得体のしれない砂嵐に不安を感じているだろう。それに加えて、捜索のためとはいえども、多くの騎士を派遣したら、余計に不安をあおることになる。だから、フラン大公国側でもそれはご遠慮願いたいところだろう」
「確かに。言われてみれば、そうね」
落ち着きを取り戻したアンジェリーナの頭をなでるベネディクト。親兄弟みたいなその手のぬくもりに彼女は安心した。
「うちも今のところ被害はないが、気を付けるに越したことはないだろうな」
ベネディクトはどこか遠くを見ながらそう言う。
それがそう遠くない日に起こることを見透かすように。
アンジェリーナはベネディクトにまとめてもらった書類を持って、エルネスト王の元へ向かった。
「入れ」
彼の執務室はいつもよりも雑然としている。砂嵐の情報収集を優先しているのか、他の資料や書類がおざなりになっている。彼自身も目の下に隈を作っている。王自身が寝ずの番を務めているのだろうか。
「何やっているのですか、あなたは」
アンジェリーナは彼の自分を顧みない行動に、呆れてしまった。勝手にソファに積んであった書類を近くの机に移し、座らせてもらった。
「今回の砂嵐は異常だ。気になってしょうがない」
エルネスト王は呟く。アンジェリーナはええ、そうね、と返す。
「目に見えているはずなのに、これと言って被害がない」
彼が続けた言葉に、彼女はうっかり、そうね、と返しかけたが思いとどまり、はい、これ、と言って、先ほど仕上げてもらった書類をエルネスト王に見せる。ざっと読んだ彼は、目をむく。
「な―――――――」
「ええ、そう。向こうではゲオルグ殿下が被害に遭った。つまり、誰かが被害に遭ってもおかしくない、ということが分かったわね」
彼女の指摘に、うなだれるエルネスト王。
「それまでにあなたができるのは、十分な休息をとって、いつでも十全の状態で指揮を執ることができる精神状態にすること」
アンジェリーナは暗に、寝ろと言った。すると、エルネスト王は何故かアンジェリーナの隣に座った。目の前の書類をどけた後、机に突っ伏した。誰かが来たらどうしようかと思って、アンジェリーナは移動しようとしたが、動くな、と言われ、動けずにその場にとどまった。
「ああ、そうだな。アンジェリーナ、四半刻後に起こせ」
と、顔をあげずに彼女の頭をなでる。アンジェリーナは、今日はよく頭をなでられる日だな、と思いつつも、顔には出さなかった。
「お前が王妃であったなら、俺はいつまででも生きていられる気がするよ――――」
寝る間際に言われた言葉に、アンジェリーナは少しドキリとしたが、その可能性はない、とすぐに平静さを取りもどした。
四半刻後――――――
運のいいことにエルネスト王が寝ている間、誰も執務室には来なかった。アンジェリーナは彼が寝ている間に、少し近くの書類を読んでいたが、その手を止めた。エルネスト王は相当疲れていたみたいだったが、アンジェリーナは彼を叩き起こした。
「もう四半刻経つのか」
エルネスト王は少し目をこすりながら言う。
「だいぶすっきりしたな。今晩からはお前の言うとおり、きちんと休む」
「ええ、そうしてください」
と、アンジェリーナが微笑みながら言ったところで、部屋の扉が突然、開かれた。
「お取込み中失礼します」
入って来たのは若い伝令騎士だった。アンジェリーナとエルネスト王が『そういう』関係であると勘違いしたみたいで、顔を真っ赤にしていた。この中で、唯一平然としていたエルネスト王が、どうした、と尋ねると、気持ちを切り替えた騎士は、
「はっ。たった今、伝書鳩で緊急の知らせが。トワディアン北部で巨大な砂嵐が発生し、現地へ視察していたコーエン卿閣下とクロルヴィッツ騎士団長をはじめとする騎士団第一分隊が被災した模様です」
と、事務的に言った。コーエン卿とは、エミリオのことだ。彼はスベルニアの一件の後、もろもろの功績に対して、繋ぎの爵位となるが、叙勲されたのだ。エルネスト王の方を見て、驚きすぎて使い物にならない、と判断したアンジェリーナはすぐさま、
「人的被害・物的被害は?」
と、騎士に尋ねる。彼は一瞬、言いにくそうにしたが、はっきりとアンジェリーナの目を見て、言った。
「――――――――――コーエン卿閣下ならびに、ニコラス・フリュンデの二名が行方不明となりました」
今回から日曜日更新の分を木曜午前7時更新に変更させていただきます。
ころころ変わって申し訳ありません。
新更新日時:毎週水曜・木曜 午前7時
もう(砂)嵐起こっているやん、というようなサブタイトル名ですね(笑)。
でも、話の流れ的には『嵐の前兆』です。
ということで、VB編開幕です。
今回は頭なでなで編でもあります。多分、エルネストもベネディもアンジェリーナを部下や同僚、身内以上の思いを抱いているのでしょうが、アンジェに伝わっていない…
そして、書いている途中で、なぜか『ベネディクト王』と書いたり、『コーエン卿とエミリオと~』って書いたり…何やっているんだ自分、編です。
※『転生ざまぁ』はアリアやアランなど、『ア』から始まる名前の人物が多かったから、今回は避けたはずなのにな、あれ?




