令嬢秘書官の脅迫(お願い)
この物語の主人公であるアンジェリーナ・コレンスは淡い金色の髪で緑の瞳を持ち、幼いころから『天使のようだ』とか『美の神に祝福された』という賛辞のもとに育ってきた。しかも、実家であるコレンス家も王国始まって以来、1000年近く続く。もちろん、それらに胡坐をかくわけでもなく、きちんと貴族のたしなみとしての礼儀作法やある程度の教養は身についている。それを使って『花嫁修業』と称して王宮に上がったのは14歳の時だった。
しかし、彼女も、また、彼女の両親も、アンジェリーナがただ『花嫁修業』をするつもりではなく、王宮に上がるのは、日々、同僚の女官をはじめ、男同士では潜り込みにくい文官や武官たちとも仲良くなり、人脈をつないでいくのが目的だった。ちなみに、両親は反対しておらず、むしろ父親は賛成していた。父侯爵は『侯爵』を名乗っているだけでなく、王宮内では司法を請け負う刑部に所属している。しかし、だからといって王宮のトップに立とうとかそういう野心があるのではなく、興味があるなら、と自分の職業を娘に手伝ってもらおうとしたのである。それについて、誰にも話したことがなかったが、なぜか上司や同僚、果ては国王まで理解してくれていた。
男の世界ではそう理解されていても、女性には受け入れがたいものもある。同僚の女官たちの間では、彼女が『ふしだらな侯爵令嬢』という噂が流れたが、最終的には国王までもその仲間の一人とされたことから、国王から噂を流した女官たちに対して雷が落ちた。
そんな彼女が、王宮に女官としてあがった2年後に転機は訪れた。
その年の建国記念祭におけるパレードで国王襲撃未遂事件が起こったのだ。幸いにも、彼女の人脈や司法官である父親のおかげで未遂で終わったのだが、その際に、彼女は彼女を恨んでいた女官の実家の手先にけがを負わされた。その事態を重く見た国王は、アンジェリーナを現在の職場である王族付きの秘書官に異動させた。
その後5年間、今では21歳になる彼女だが、結婚適齢期を過ぎた今も独身のまま秘書官を続けていた。
アンジェリーナとベネディクトが呼ばれた先、国王の執務室に彼女たちはいた。
「それはどういうことですか」
彼女は先ほど倒れました、というそぶりは一切見せずに目の前にいる人物と渡り合っていた。
「私たちはそもそも陛下のお守りをするのではなく、王族全般の使い走りです。第一、私はあなた方よりも武術の腕は下ですよ?」
隣にいる銀髪の男―――先輩秘書官のベネディクトは彼女の物言いに少し戸惑いつつも頷いていた。元平民である彼にとってみれば、確かに彼女の言い方は非常に不味い。だが、昔から彼女を知っている目の前の豪奢な衣服を着た男性――――エルネスト、この国の現王はその言葉に対して、そうだねぇ、と気の抜けた返事しかしなかった。その返事にアンジェリーナはますますいら立ちを募らせた。国王の隣にいる褐色の髪を持つ男、ゲオルグ皇太子はそんな二人の様子を見てクスリと笑っていた。
「いいですか、陛下。ゲオルグ殿下もお二方とも宰相閣下を暗殺するという動機はあるんです。お願いですから、おとなしく近衛騎士の警護を受けてください」
エルネスト王からの呼び出しを受けた理由は単純だ。どうやら、近衛騎士の物々しい警護を彼が嫌がったのだ。しかし、現在、『宰相が毒物によって倒れ』て、その場所―――王宮内での晩餐会に国王と国賓として招かれていた隣国の皇太子がいた、という事実がある以上、国王といえども様々な制約を受けねばならないだろう。
「わかってはいるさ。だが、近衛騎士たちも君たちと比べて信頼できるかどうかで問われれば、君たちの方が信頼できるんだよね」
エルネストは脇の方を見ながらそう言った。アンジェリーナはその様子を見て、ため息をつきたくなった。あの時、彼の父親であるフェリペ王を助けることはできた。しかし、結局、おととしの新年会の時に手口を変えて暗殺された。しかも、実行犯は口封じのために殺され、黒幕の正体はいまだに影さえつかめていないのだ。そんな状況で、秘書官であるアンジェリーナとベネディクトよりも付き合いの短い彼らに信頼をおけ、というのは難しいだろう、ということは、文官武官両方の情報通である彼女にも理解はできた。
「そういうことですか」
アンジェリーナはそれが理由なのだと分かると、さすがに考えた。
「では、こういうのはどうでしょうか」
考え始めた彼女に変わり発言したのは隣のベネディクトだった。
「私が陛下と殿下の護衛を兼ねておそばに侍らせてもらいます。そして、その間にアンジェリーナ嬢に近衛騎士たちの身元検査と選別をしてもらいましょう」
その発言に、アンジェリーナは待ったをかけた。
「そうはいっても、あなたは剣を扱えるの?」
文官仕事をしているベネディクトは常日頃からみているが、剣を使えるということを想像できなかった。その問いに彼は笑った。
「ある程度は使えるよ。もちろん、騎士からすればお遊び程度、って笑われそうだけれど」
その答えにアンジェリーナをはじめその場にいたものは驚いた。
「だから、そんなに力にはなれないと思うから、できれば一日、せめて今日含めて二日で今言ったことをしてもらえると嬉しんだけれど」
ベネディクトはアンジェリーナの方を向いてさわやかに笑う。アンジェリーナは頭の中ではじき出した。多分、この時間なら一日もかからず数十分あれば大丈夫だろう。了承の意味を込めて頷くと、再びこの国の主に向かった。
「ということで、私は今決めたようにアンジェリーナ嬢の選別を待つ間、お二方の警護に回り、選別が終了次第、近衛騎士にその役割を戻す、ということでよろしいですね」
ベネディクトの言葉は確認の形をとっているが、実際はそれ以上の譲歩はできない、と強く言っているのに気づいたエルネスト王は頷いた。
「わかった。あとは君たちに任せる」
そうして、なんとか王のわがままを無事に乗り切ることができた。
その後、ベネディクトと別れたアンジェリーナは近衛騎士団長ジョアンのもとへ向かった。現在の団長はクロルヴィッツ侯爵家の次男であり、アンジェリーナとは古くからの付き合いだった。そのため、王宮の中でも最も信頼のおける人物でもある。
(とりあえず、彼は攻略対象の子孫、ということはないわね)
アンジェリーナは先ほどの二人を思い返した。エルネスト王は黒髪黒目であり、貴族からは5代前の国王であるカルロス王に『生き写し』の国王と呼ばれている。そのため、アンジェリーナも攻略対象であったカルロスの記憶と入り混じり、昔から既視感を覚えていたのだ。
そして、もう一人、皇太子ゲオルグ。彼は攻略対象の一人、ヨハネスの直系のひ孫だ。そのため、瞳の色は違ったが、何となく雰囲気が似ていた。
そんなことを少しの間考えながら歩いていると、すぐに目的地に着いた。
「ちょっといいかしら」
ノックをしながら声を掛けると、案の定、在室だったみたいで、すぐに反応があった。部屋に入って周囲を見渡すと、毎回思っていることだが、几帳面な彼の部屋らしく、ほとんど物はなく、書類も丁寧におかれていた。
「どうした」
どうやら何かの申請書を認めていた彼は顔をあげずに答えた。その対応はいつも通りのことだったので、特別アンジェリーナは気にしなかった。
「陛下があなたたちのことを信頼できないですって」
「そりゃそうだろう。あんな事件があったのに、ほいほい信頼されても困る。まあ、俺も公爵家側の連中つけたのがまずかっただろうが」
今さっきの話を要点だけつまんで言うと、当たり前だろう、という顔をして答えられた。どうやら、ジョアンは普通の近衛騎士たちよりも身近にいる分、気づいていたのだ。しかし、結構聞き捨てならないことを言っていたが、今は本題からずれるので、無視した。
「今いる騎士の中で、あなたが信頼できるのは何人かしら」
アンジェリーナのさらなる問いかけに、ジョアンは今度こそ顔をあげた。
「5人、だな」
その数字にアンジェリーナは驚く。近衛騎士団の人数はおよそ60人。もちろん、王宮騎士の役割も担っているのでかなりそれなりにいるのだが、近衛騎士団長の眼からしても信頼できるのはその程度しかいないらしい。
「その中で、国王派は?」
「3人、ニコラス・フリュンデ、グレゴリウス・コルギア、ドミニコ・マンデロ」
ジョアンは机のわきにある棚を指さし、名簿を見ろ、と無言で示した。アンジェリーナはその名簿を見て、即座に判断した。
「その3人を今すぐに陛下と皇太子殿下の警護につかせて」
「わかった。手配する」
ジョアンは一瞬、ため息をつきかけたが、了承してくれた。