だけど、それはない
トワディアン王宮、宰相執務室内にて―――――――
「全く、お前たちは――――――」
ため息とともに言われた言葉は、どこかの王と同じだった。まあ、現在、国の上から二番目の地位に就いている人間なのだから、大して国の重要人物、という意味では変わらないのだろうが。
アンジェリーナは数日後、トワディアン王国に戻ってきて、そのまま宰相執務室へ向かった。そこにいるのは、いまだに臥せっている宰相の補佐官かと思ったが、意外な人物がそこに居座っており、扉を開けた瞬間、二人とも驚きで固まってしまった。
『いやぁ、あまりやる気ないんだけれどねぇ』
そう宣ったのは、目の前の男――――アンジェリーナの父親でもあり、先だっての事件で回復することが薄いと判明した前の宰相の後継者に――――スルグランとの開戦により、王宮を預かる高官がいない、という事情も相まって、指名されていたルシオは、娘であるアンジェリーナに向かってそう言った。
だが、その顔はとんでもなくやる気であるのだが。
二人がスベルニアで起こったこと、そして、スベルニアで起きた事件について話すと、
ったくあの餓鬼どもめが、と悪態をつきつつ、公にしてやれ、と(私情も入っているのだろうが)すんなりと許可を出してくれた。
「すでにスルグランともすでに決着がついた。スベルニア皇国の方も、リーゼベルツと和平交渉に持ち込むことができたというから、そちらに寄り道をせず、もう間もなく全軍、帰還する。それまでアンジェ、お前はロレンソという男とそいつが雇った男たちは牢につないでおきなさい。で、騎士団内部の抗争については、ジョアン騎士団長は陛下とともにいるが、彼の第二副官に協力してもらって、引き続き調査しなさい」
宰相としての判断は、アンジェリーナたちが予想していたものよりも厳しかった(もっとも、甘い判断を出そうものなら、アンジェリーナ自身がこの場でルシオを絞めたかもしれないが)。
「ところで、ベルッセルナ公爵子息殿」
アンジェリーナがオスワルドの元へ向かうために、部屋を出て行った後、エミリオにトワディアン王国宰相としてではなく、アンジェリーナの父親の顔で尋ねた。
「なんでしょうか」
彼もルシオの態度に合わして、宰相という地位についている男に対してではなく、あくまでも幼馴染の父親として、話を聞くことにした。
「娘がスベルニアでは世話になったと聞く。礼を言いたい」
ルシオは目の前にいる人物が、王家と確執があると言われている家のものであっても、迷うことなく頭を下げた。エミリオは少し面食らったが、そこはさすがに公爵家の一員、顔には出さなかった。
「いいえ、お気になさらずに」
彼は柔らかく微笑んだ。
「貴殿には昔から、アンジェが世話になっている。どうやら、アンジェと仲が良いようだし、公爵位を継ぐ者でなければ、ぜひアンジェの婿になってもらいたいものだ」
ルシオは冗談ともつかない笑みでエミリオを勧誘した。その言葉にエミリオも、
「確かに『美の神』に祝福されし姫君と添い遂げる、というのはいい響きですよねぇ」
と、冗談ともつかない言葉を返し、二人はしばらくの間、笑いあっていた。
近衛騎士団長執務室―――――
さすがにアンジェリーナが持ち込んだ案件は内容が内容だけあって、王宮における騎士団長代理職を拝命している、近衛騎士団長第二副官のオスワルドはすぐさま対応した。オスワルドは前宰相の従弟の息子だとかで、剣の腕もよく、人柄についても真面目な人物だとジョアンから聞いており、アンジェリーナも安心して彼に調査を頼むことができた(ちなみに、性格はかなりイイという)。
アンジェリーナから内容と聞くと、オスワルドは顔面蒼白になっていた。
「そうでしたか。すぐに調査しますが、可能であれば刑部のお力もお貸しいただけると、我々は調査しやすくなるのですが―――――」
オスワルドの言葉に、アンジェリーナは一瞬、言われた意味が分からなかったが、すぐに納得した。
「わかった。そうね、公平性を保つためにも、刑部は入れた方がいいわね。私の方から人を派遣するように伝えておくから、待って居て頂戴」
オスワルドが欲しい人数を聞き、騎士団長室を出て行った。そして、すぐさま刑部に掛け合ったところ、担当者は快諾してくれ、人を派遣してもらった。そして、自身は父親の元へ向かった。すでにそこにはエミリオの姿はなく、殺風景な部屋の中で、ルシオは黙々と溜まっている書類を片付けていた。
「何とかなりそうか」
ルシオは書類から目を離さずに、アンジェリーナに尋ねた。
「ええ、騎士団内部では人員が足りないから、刑部の人を数人借りましたわ」
アンジェリーナは応接セットであるソファに座り、机に置いてあったお菓子をつまみながら、報告をした。
「おそらくは陛下が帰還されるまでに、なんとか片づけられるんじゃないのかしら」
アンジェリーナの言葉に、そうか、とだけルシオは呟いた。ふう、とため息をつき、書類から目をあげたルシオは、アンジェリーナが座っているソファの対面に移動した。
「どうしたの、お父様?」
アンジェリーナが首をかしげた。その姿は本当に可愛らしいとしか言いようがなく、ほとんどの男性がコロっと騙されるのだが、ルシオは騙されることはなかった。
「アンジェリーナ」
ルシオはいつになく真剣な目をして、アンジェリーナを呼んだ。彼女は首をかしげるだけで、続きを促した。
「いい加減にお前に話さなきゃならないことがある」
ルシオはアンジェリーナが持っている菓子を取り上げた。
「お前は、もう頑張らなくてもいい」
ルシオの言葉に、アンジェリーナはどういう意味だと静かに尋ねた。
「そのままの意味だ。コレンス侯爵家のために尽くさなくていい」
その言葉でも、彼女には理解できなかった。今までの応援は何だったのだろうか。
「なぜ、今頃、そんなことを?」
1文節ごとに区切りながら、噛みしめるように尋ねた。
「お前は、私の娘ではない」
言われたことが一瞬、理解できなかった。だが、同時に納得もした。
「だから、お父様やお母様と全く似ていないのね」
アンジェリーナは乾いた口の中で、言葉を反芻していた。
今までも気になっていた。
赤毛でヘーゼル色の瞳をもつ父親と、黒髪で紫色の瞳を持つ母親からなぜ、金髪碧眼の自分が生まれるのだろうか、と。
「ああ、そうだ」
ルシオは変わらない表情で答えた。
「本当の両親は今どこに?」
会う気にもなれないし、会えないだろうが、誰の子供なのか尋ねると、ルシオは首を振る。
「え?」
アンジェリーナはそれがすでに両親が死んでしまったのだろうかと思ったが、
「分からない」
と、ルシオは答えた。
「いや、分からないっていうことはないでしょ」
「本当の意味で分からないんだ。お前はある日突然、侯爵家の門前に置かれていたんだから、な」
アンジェリーナの詰問に、ルシオはたじろぐことなく答える。さすが文官の長であると、ルシオに向かって言いたいのだが、アンジェリーナにとってみれば今は憎悪の方が勝っていた。
「ふざけないでよ」
アンジェリーナは今までの行動は何だったのだろうかと、恨んだ。
そして、自分自身の運命も呪った。
なぜ、自分は転生したのか。そして、なぜ、転生先は侯爵家の一人娘ではなく、侯爵家の拾い子だったのだろう、と。
「お前はお前の好きなようにすればいい。俺はそれをコレンス侯爵という名のもとに縛るつもりはない」
続けてルシオから言われたのは少し予想外な言葉だった。
「そういう意味で言ったつもりだったんだが、まあ、お前にしちゃ聞き捨てならない発言だったな、すまない」
先ほどの言葉に比べるまでもない優しい声音が、アンジェリーナの心をくすぐった。
「いいえ、大丈夫です、わ」
彼女は少しだけホッとしたら、涙があふれてきた。よしよしと、ルシオはアンジェリーナの頭をなでる。
「ま、第一、俺とお前が本当の親子関係だったら、めちゃくちゃ大変なことになるんだが、な」
と、笑いながら言ったが、アンジェリーナにはその理由が思い当たらなかった。すると、ルシオは大笑いした。
「こんななりだが、俺はまだ28だぞ。それに、お前の『母親』もまだ、27だぞ」
(あなたが28で、『お母様』が27っていうことは―――――)
彼女の脳内処理のアラーム音が鳴った。
「はい―――――――!?」
その叫び声は王宮の外でも聞こえたとか、聞こえなかったとか。
(いやいやいや、詐欺でしょ、詐欺。この人の外見年齢、どうみても40以上!)
アンジェリーナとしてではなく、『奏江』として盛大にツッコんでいた。
「ま、とにかく、お前はお前のやりたいことをしなさい、コレンス侯爵家という縛りにとらわれずに。だが、俺はコレンス侯爵として、お前の後押しを全面的にする」
彼の笑顔にアンジェリーナははい、と深く頷いた。
《アルドルノフ事変編 完》
正式サブタイトルは『だけど、それはない(by アンジェ)』。
まさかの、です。まあ、おとっつぁんこんなこと言っていますが、前作主人公よりは家のため~っていう行動は、あまりしていないと思います(前作は元ネタが悪役だったからね)。
あ、もちろん、禁断のパパ攻略ルートはありませんよ(キリッ。
これにて、アルドルノフ事変編終了です(あんまり戦争色なかったですが)。
次回からヴィルトゥエル・ベグリッフ編(旧名:真実編)です。
旧名に含まれる『真実』とは何か。




