互いの秘密
長らくお待たせしました。
ヴァンゲリス宗主の護衛騎士団に守られながらスベルニア皇国に到着したアンジェリーナとエミリオは、はじめに皇帝と皇太子、そして、ゲルッテン伯爵不在の中、皇宮を取り仕切っているミスティア皇妃のもとを訪れた。
彼女は現在スベルニア皇国と対決しているリーゼベルツの出身といえども、その扱いは雑ではなく、むしろかなり丁重に保護されているようだった。おそらく不埒な輩が勢い余って皇妃を害さないようにという皇帝の意志が感じられ、それに甘んじながらもいざとなれば自分の命を差し出す、という気迫さえ感じられた。
皇妃にエルネスト王からの親書を渡した瞬間、少しだけ眉をひそめたのが分かり、すぐにため息をついた。そして、一呼吸置いた後、そのまま親書を戦場にいる皇帝の下へもっていけと二人に対して言った。その場に居合わせた貴族たちは王妃の言葉に慌てたが、
『わたくしが使者を出せば、リーゼベルツと連絡を取っていると勘繰る者も出てきましょう。それに彼らには宗主猊下のお墨付きもあるようですから、彼らの方が安全でしょう』
と、彼女は静かに言った。その一言で、ぐうの音も出なくなった貴族たちを傍目に一行はすぐさま戦場へ赴いた。
宗主の護衛騎士である筋肉集団と別れを告げた二人は、ニコラスとロレンソを連れて、その日のうちに皇帝と皇太子、伯爵たちが待つ本陣へと到着した。ステファン皇帝にその親書を渡すとその場で確認し、承知した旨を告げられた。そして、アンジェリーナたちが例の現場で調べていても問題ないという一筆をその場で書いてもらった。
これからまた戦が始まろうとしているところに留まる必要性もない。アンジェリーナたちはそのあと、すぐにスベルニア本陣を立ち、三度目のあの場所へ向かった。
そろそろ季節が移り替わっているこの季節、日も暮れるのも早くなっている。一行は駆け足で馬を走らせ、目的の町一歩手前で宿をとった。
今回は特別誰かに追われている、というわけでもないため、普通の貴族が使うような宿をとることにした。
「急な宿泊で申し訳ないわね」
アンジェリーナが宿の主人に謝ると、彼はいいえ、構いません、と言う。どうやら、リーゼベルツとの戦争のおかげで、貴族たちも中央に詰めることが多くなり、あまり宿泊客がいなくなったという。しかし、食事をとりに行こうと思ったのだが、どうやら、この状況下においては、食堂も閉鎖しているという。
一行は非常に困ったが、宿の主人が自分たちと同じ食事でもいいのなら、と言ってくれた。護衛の二人は最初、抜刀しかけたが、エミリオが、じゃあ、君たちが毒見すれば収まるんじゃないの?と仲裁したおかげで事なきを得た。二人は互いに気まずそうな顔をしたが、エミリオが話題を出してくれたおかげで、なんとか空気が重くなりすぎずに済んだ。
食事後、翌日に備えて早めに寝ることにし、それぞれの部屋に入った。
しかし、アンジェリーナはすぐに寝ることができなかった。
今になっていろいろ考えたいことが出てきたのだ。
なぜ、自分はここに転生したのかとか、なぜ、自分はアンジェリーナ・コレンスという役を与えられたのか、とか。
少し過去に思いをはせていると、ある家から自宅へ帰る途中で車にはねられたことを思い出した。
(しょうもない死に方だったわね)
今となっては、笑いごととしていえる。だが、なんでそもそもそんな事態になったのかと考えれば、それも割合、単純だった。
(確か、彼女も死んだんだっけ――――)
もともとは、『奏江』の乙女ゲーム仲間である件の少女と、あるアニメ作品の聖地巡りに行く予定だった。だが、少女がその数週間前、事故死したというニュースを見た。最初は嘘かと思ったが、最初の報道から数日後、警察が『奏江』の元へ来た。その時になって初めて、本当に彼女が死んだ、ということを実感した。
その後、彼女に教えてもらっていた実家に連絡して、事情を話すと、ぜひ会いたいと言われた。双方ともに都合がいい日に彼女の家に行き、彼女の仏壇へ手を合わせた。
そして、その帰り道、何かに気を取られていた『奏江』は、車にはねられた。
自分が死んだ後のことはわからないが、おそらく過去に話を聞いた限りだと、おそらく相当ひどいものだったのではないかと思える。
――――――――。
まあ、そんな過去の話はどちらでもいい、今は自分がどういう役をあてがわれているのかを考え直した。
過去に読んだことのある転生ものの漫画や小説、ゲームだと、主人公である転生者はほとんどの場合、元となる物語の主人公クラスだ。だからこそ考えてしまう。『相馬奏江』、いや、アンジェリーナ・コレンスもまた、この世界、『シュガトリ』の100年後の世界の主役としてこの世に生を受けたのではないのか、と。
もちろん、この世界には魔法やら召喚技術やらそんなものはない。彼女は普通の侯爵家の一人娘だ。たとえ姿がいいからと言っても、自惚れるほどのものはないし、そもそも魅了技術なんて論外だった。
でも、分からなかった。
じゃあ、この世界の物語を構成する主人公がいるのなら、それを取り巻く登場人物は誰?
それを繰り返し考えていると、とても暑くなってきたため、夜風にあたろうと、ベランダに出た。あまり実家ではやったことはないが、『相馬奏江』としては何度か一人暮らししていたアパートでやったことがある(もっともその時は、缶チューハイかゲーム機片手にしていた)。だが、摩天楼が立ち並ぶあの場所で見るよりも、やはり、何もないこの世界での星空は格別だった。
「なにやっているんだい?」
星空をしばらく眺めていると、隣から声がかかった。その声に驚いて、声の主を探してみると、アンジェリーナと同じように、エミリオもまた、ベランダに出てきていた。ベランダはつながっていないとはいえ、隣同士の部屋だ。今になって、彼が男であると思い出し、動揺したアンジェリーナ。しかし、さすがは侯爵令嬢、内心の動揺を隠して、
「眠れなくて、夜風にあたりに来たのよ。そういうあなたは?」
おそらく同じ答えが返されるだろうと思いながら尋ねると、案の定、同じ答えだった。
「僕も寝付けなくて、星空を見に来たんだ」
そうだったの、とアンジェリーナは呟いた。それから少しの間、二人はただ静かに、星空を眺めていた。アンジェリーナは例のことについて、悩んでいた。彼にならば話してもいいのではないのか、という思いと、話したところで頭おかしいのではないのかと思われるのではないかという思いでせめぎ合っていたのだ。
「ねぇ」
少し悩んだ挙句、アンジェリーナはエミリオに話しかけた。どうしたんだい?といつもの調子でエミリオが聞き返すから、つい大丈夫なのだろう、と勝手に思い込んでしまう。
「ねぇ、もし、私が今生きているという記憶だけじゃなくて、別の記憶、例えば、別の世界を生きたっていう記憶を持っているって言ったら、あなたはどう思うかしら?」
アンジェリーナの問いかけに、エミリオは目を丸くした。やっぱりそういう反応するわよね、今のは聞かなかったことにして、とアンジェリーナは言おうとしたが、
「――――――――いや、同じだ」
と、エミリオはいつもと違った声音で言った。
「え?」
アンジェリーナが呆気に取られていると、エミリオはいとも簡単に柵を乗り越え、アンジェリーナのそばまで来た。彼女を抱きしめると、
「俺もキュシーと同じだって言ったらどうする?」
エミリオの問いかけに驚きすぎて、彼女は答えることはできなかった
「ま、さ、か――――――――」
抱きしめられて苦しい中、途切れ途切れに、アンジェリーナは言うと、エミリオは抱いていた腕を外し、
「ああ」
と答え、
「俺も転生していたみたいだ」
エミリオの答えにアンジェリーナはなぜか安心した。
それから二人は互いの身の上話をした。
エミリオの場合、俳優――――といっても、まだ駆け出しで、中学の演劇部で行った演劇というものが楽しく、高校に進学するよりも役者を志したいと、有名劇団に入団したという。しばらくは端役が多かったそうだが、あるゲーム原作ミュージカルの主役のオーディションに参加したところ、見事にその役を射止めたそうだ。そして、原作ゲームの続編も舞台化することが決まっており、彼も引き続き別の役でだが、主演することになっていたらしい。だが、彼は自己研鑽のためにいくつもの舞台の掛け持ちを行っていたそうで、過労が祟って、練習中に舞台装置に挟まれたそうだ。
「Wさんみたいな大御所や、Yさんみたいな中堅の俳優さんならまだしも、まだ駆け出し、ひよっこの僕なんかが舞台掛け持ちして、挙句に過労による事故死って、ほんっとうに馬鹿だよね」
もはやエミリオという人物が崩れ去っている『彼』に、アンジェリーナは何も声を掛けることができなかった。
「でも、『君』が来てくれていたなんて嬉しいな」
そう、偶々ではあるのだが、彼が初めて主役の座をつかんだゲーム原作のミュージカルというのは、『相馬奏江』ともう一人の少女がよく知っているあのゲームの舞台版のことで、その舞台を二人で見に行ったことがあった。
「まあ、『彼女』じゃないから、私はそんなにお金を落とすことができなかったんだけれど、ね」
アンジェリーナは遠い過去に思いをはせながらそう言った。
『彼女』は学生―――高校生なので生徒か――――ながら、OLである『奏江』よりもお金を持っていた(後から聞いた話だが、小企業ながらもその分野で国内シェアトップ企業の社長令嬢だったらしい)。なので、イベントとかに使えるお金が多いらしく、グッズなども『奏江』よりも多く買っていることもあったほどだ。
アンジェリーナがそう言うと、彼は首を横に振った。
「キュシー、それは違うよ」
「え?」
アンジェリーナは首を傾げた。
「落としたお金の額が大事じゃない。一番役者にとって、製作者側にとって重要なのは、大切に思っていてくれているかどうかだよ」
エミリオの言葉に、アンジェリーナはあ、そうね、と言い、思わず笑ってしまった。
「どうした?」
エミリオはアンジェリーナの笑いの理由が分からなかった。
「あなたがその顔でそんなことを言うとは思わなくて、ね」
彼女の答えに、ああ、なるほどな、という。
「さ、もう体も冷えてきただろう?今度こそ寝よう」
エミリオの言葉に、アンジェリーナもうなずく。
「ええ、お休み――――――そして、ありがとう」
彼女はすっきりとした顔でそう言った。
「ああ、こちらこそありがとう、お休み」
エミリオはそう言って、先ほど乗り越えてきた柵を使い、自分の部屋に戻っていった。
それを見送った後、アンジェリーナも部屋の中に入り、窓を閉めて、今度こそ寝ようと思いながら、ベッドの中に潜り込み、目を閉じた。




