思い出した記憶と今の乖離
アンジェリーナが目を覚ますと、そこは普段、仮眠室として使っている部屋だった。
どれくらい時間がたったのかわからないが、少なくとも、光が外から入り込んでいる以上、そんなに寝てはいないはずだ。
さっきはどうやら寝不足でベネディクトに突っかかってしまったが、今なら、少しは状況を整理する余裕があるはずだ、と彼女は思い、ベッドサイドの棚に入っている引き出しから予備用の手帳を取り出した。
「で、なんで、この時代なのか、というところから始まるわね」
アンジェリーナは、倒れる寸前に思い出したことを書き始めた。
ここは『Sugar or Tolic ~恋も罠も鎖でつながれる~』(通称:『シュガトリ』)と呼ばれる乙女ゲームの世界であり、舞台となったトワディアン王国である。
『彼女』が過去に存在した世界では、異世界転生というジャンルが流行っており、そういった作品の中では、自分が好きな小説やゲームが現在進行形で進んでいる世界に生まれ変わることが多い。
しかし、彼女―――アンジェリーナ・コレンスは違っていた。
『シュガトリ』の舞台となったトワディアン王国に転生したが、時代が違ったのだ。
もう少し、正確な言い方をするのならば、『シュガトリ』でのゲーム期間はすでに終わっていたのだ。
しかも、100年前に――――――――
「で、攻略対象がらみで現在まで続いている家はトワディアン王家、スベルニアの皇家、ベルッセルナ公爵家の三つか」
過去に仕事の関係で文献を調べていた時に、トワディアン王家とスベルニア皇家、そして、ベルッセルナ公爵家の祖先に見覚えがあった。
「カルロスはあの宰相暗殺事件を解決した後、父王の禅譲により国王となる。本来、敵対していたはずのベルッセルナ公爵の協力を得て、商業により国を発展させた。ヨハネスもトワディアン王国から帰国後、この国に駐在大使としていたヒロインの父である子爵を宰相とし、皇位についた。そして、ベルッセルナ公爵は、ヒロインと結婚したのよね」
そう呟きながらメモを取りながら考えた。
『シュガトリ』の世界はもともと『Love or Dead~恋は駆け引きとともに~』(通称:ラブデ)という、本当に乙女ゲームなのかというくらい細かいゲームの続編だ。
アラサーOLの『相馬奏江』として生きていた世界において、この『ラブデ』というゲームが発売された当初、もともと腐女子だった『奏江』もそのゲームにハマった。しかし、そのゲームにはハイレベルなマナー問題をいくつも解かねばならず、脱落する人が続出し、『奏江』はその一人になってしまった。
そんな世論に気づいたらしい製作会社が続編と称して出したのがこのゲーム。このゲーム内には前作のような細かいマナーとかを問われることはなかった――――のだが、なぜか、このゲーム制作会社、今度は某有名推理ゲーム張りに難解な推理を解かないことには全ルートを解放できないシステムにしたのだ。しかし、幼い時から推理小説が好きだった『奏江』は数あるひっかけやらドボン問題を乗り越えて、全てコンプリートし終えていた。
ちなみに、このゲーム、タイトルは『Sugar or Tolic ~恋も罠も鎖でつながれる~』といういかにも年齢制限引っかかりそうな名前なのだが、中身は99%以上、健全なゲームであり、未成年でもプレイすることはできた。
そんな中、ヒロインであるナターリエは攻略対象者の一人である公爵とのハッピーエンドのルートをたどったようだ。もっとも、事件などの記録を見ている限り、ヒロイン(ナターリエ)は転生者ではないことが分かっている。なので、本当に彼女は宰相暗殺事件を解決したのかどうかは分からなかった。
「で、ほかの三人、フリョにサンドロ、そして、ベネディクトについては一切の情報なし、か」
彼女はそう言って、それぞれの情報も書き込んでいく。
ちょうどそれらを書き終えた時、外から扉がノックされた。
「どうぞ、入って」
アンジェリーナは誰何することなく、入室の許可を出した。そもそもこの部屋を知るものは王宮内でもごくわずか、王族と彼ら直属の秘書官だけだ。王族が臣下である秘書官たちの部屋を訪れるときに通常ノックすることはない。なので、問うまでもないのだ。
案の定、入ってきたのは同僚で先ほど自分を助けてくれた銀髪に緑目の男―――ベネディクト・アマーソンだった。彼は例の乙女ゲームに出てくるある人物に非常に似ている気がするのだが、家名からするとあり得ない。うっかりと彼の目の前でつぶやいてしまったが、幸いにも彼には聞こえていなかったようなので、とりあえずこのまま放置しておこう、と思った時、彼が口を開いた。
「三時間ほど寝ていたみたいだが、体調は大丈夫か」
「ええ」
どうやら、彼は自分の体調を気にして、ここまで来てくれたみたいだ、と思ったが、次の言葉でそれは打ち砕かれた。
「陛下たちがお呼びだ。もし無理そうならば、俺一人で行くが」
彼は何のためにかは言われなかったが、今現在、王宮で発生した事件を考えると、心当たりは一つしかなかった。
「大丈夫。無理はしない程度に回復はしたから」
アンジェリーナは微笑んだ。そうか、とベネディクトは言って、彼女に左手を差し出した。それにアンジェリーナは右手をそっと乗せた。
「ならば、行こう」
「はい」