侯爵令嬢の誤算
「ふうん、そう」
目の前の絵の人物は、アンジェリーナが上げた報告書を読み、完全に人ごとのように言った。
「まあ、ゲルブヌラ男爵は国の重要な人間である宰相を暗殺しようとした挙句に、その容疑者の一人として他国の皇太子まで巻き込んでいるから、この国ではもとより、他国からも相当なバッシングを受けるだろうね」
「ええ。いくら公爵家のためとはいえども、さすがにあの行いは許せるものではありません」
アンジェリーナの同意にエルネスト王は目を細める。
「君がそこまで言うのは珍しいね」
「そうでしょうか」
彼の言葉に、確かにそうかも、と思いつつも、あくまでとぼけた。
「ああ、そうだとも。いままでの君の場合、あの行為を見て見ぬふりをしそうだからね。何か心境の変化でもあったのかい」
しかし、エルネスト王はそんな彼女に騙されなかった。しかし、アンジェリーナとて、『実は前世の記憶を思い出しまして』なんて言えるはずもなく、ええ、まあ少しありまして、と微笑むだけにとどめた。
「そう」
アンジェリーナの微笑みにエルネスト王はそれだけ言って、そういえば、と一枚の紙を渡した。
「エレナ・グレスルマンをお前の下につける」
エルネスト王の言葉に、アンジェリーナは驚いた。王直属の諜報員がただ一人の臣下に下げられることはない。しかも、ただの爵位を持っていない侯爵令嬢に。
「エレナから直接願われたんだ。『自分は王直属の諜報部隊として生きるのではなく、コレンス侯爵令嬢の下で働きたい』と、な」
エルネスト王は悔しさをにじませながら笑った。
「もし、これが父王が生きていた時だったら、どちらも首が飛んでいただろうがな」
彼の言葉に、確かにと頷いた。
「まあ、そうでなくても、誰か女官をお前に下げ渡しただろうな、例えばコルベリッチ侯爵令嬢とか―――――」
「お断りいたします」
アンジェリーナは即座に断った。ファナを侍女として付けるくらいだったら、一人でいた方がましだ。というか、侯爵令嬢に侯爵令嬢を侍女として付けるとはどういう神経をしているのだろうか、この王は、と思ってしまった。
「お前が挙げてくれたほかの二組についても後で刑部に精査を依頼する。そういえば、ルシオもお前が単独でベルッセルナ公爵家へ乗り込んだと聞いた時、とんでもなく慌てていたぞ」
アンジェリーナは結局、エレナとともにほかの二組についても調べ上げた。意外にも、というか、スベルニア皇国の名を騙った人間の仕業だった。本当にゲオルグ皇太子には申し訳ないことをしたと感じている。
しかし、ルシオの慌てている様子が想像できなかったアンジェリーナはああ、そうですか、と聞き流した。そんな様子など想像できないし、想像したくもない。
「まあ、ゲオルグの奴には借りができてしまったが、俺としてはそれでも十分だと考えている。チェスだったらあいつにはいつも勝ち続けたからな」
エルネスト王の言葉に内心あきれたアンジェリーナだった。
「まあ、どちらにせよ、スベルニアへの状況説明と報告は避けられない。本来ならば、俺がこの国を空けるわけにはいかないし、宰相に言ってもらうのが筋だが、まだ起き上がれていない状況だ」
「そうですわね」
おそらく、宰相の子飼いの誰かが行くのだろう。反国王派が行くわけにもいかない。どちらにせよ、アンジェリーナには王族が行かない限り出番はない。
「でいうことだ」
と言って、再び一枚の紙きれをアンジェリーナに渡した。自分には関係ないだろう、と思っていたアンジェリーナは怪訝に思いながら、それを受け取った。
「じゃあ、承諾、ということだな」
「――――――――はい?」
王の言ったことが理解できなかったアンジェリーナはそれを見た瞬間、嘘でしょ、と言ってしまった。
そこに書かれていたのは―――――――
『アンジェリーナ・コレンス侯爵令嬢を特別外交員として、任命する。スベルニアへ赴き、次の事件に関する状況報告をしてくること』
という文章。
「ちゃんと護衛もつけるから、安心してくれ」
エルネスト王の言葉にアンジェリーナの手の震えが止まらなかった。
(ちょっと、何してくれんのよ、この国王は―――――――)
受け取ってしまったがために、スベルニアに赴くことになってしまったアンジェリーナは、いつか、絶対にこの王に何らかの仕返しをしてやろう、と心に決めた。
「わかりました。謹んでお受けいたしますわ」
アンジェリーナは一礼して微笑んだ。
これから、様々な出会いがあることを、まだ、彼女は知らなかった。
そして、彼女に身に何が起こるのかも、まだ知る由もなかった。
《宰相暗殺未遂事件編 完》




