誤算だらけのひと時
エレナはあきらめたようにため息をついた。
「やはり『碧眼の毒娘』と呼ばれるだけありますわね、コレンス侯爵令嬢」
先ほどまでとは口調ががらりと変わったエレナは、アンジェリーナにとっての禁句を臆することなく言った。アンジェリーナを見上げる目つきは『イリス』とは全くの別人だった。アンジェリーナはその様子に、エレナの首筋に当てていたものを取った。
「褒め言葉として受け取っておくわ、グレスルマン伯爵令嬢。あなたにとってみれば、私の役職なんて単なる記号、としか見ていないようだけれど」
比較的穏やかなアンジェリーナもここぞとばかりに言った。
(大体、あなたが私の噂の出発点だっていうことも分かっているんだから)
アンジェリーナはそのこともついでに言いたかったが、今はそれをなじっている暇はない。何とかしてこの花見会が終わるまでにエレナから聞き出さねば。そんな感情が滲み出ていたらしく、エレナは笑った。
「一つ目は、私とお父様はコレンス侯爵家の護衛のために陛下から遣わされた。でも、グレスルマン家は力がないものには仕える気はない。だから、あなたたちに、私たち親子を引き摺り入れる力があるのか、そして、守るに値する信頼を築けるか、試していた」
エレナの言葉にアンジェリーナは、悔しくなった。確かに、格下相手ではあるが、国王直属部隊の一員なのだ。それくらい成し遂げてもおかしくはない。だが、エレナが続けた言葉にアンジェリーナは唖然とした。
「二つ目は、私は宰相閣下を暗殺しようとした真犯人を知っている。だから、その人物を捕まえるだけの手助けをしてほしい。いいえ、違いました。捕まえてもらえませんか」
エレナの言葉はアンジェリーナの脳内を思考停止させるほどのものだった。
「――――――――ええ、そうね。私の方こそお願いしたいわ」
たったそれだけの言葉が出るのに、長い時間がかかったと感じられた。だが、エレナは急かすことなく待ち続けた。
それから、少しの間、エレナと話し合い、どのように動くか、おおよそは決まった。
「では、お願いします」
エレナとアンジェリーナは分かれて会場へ戻った。
そのころには、すでに帰る招待客もちらほら見受けられており、結構時間が経ったのだということを思い知らされた。
アンジェリーナも早々に王宮内の自分の部屋へ帰ることを決め、会場を後にした。
自分の部屋に近い執務室へ行くと、すでにベルッセルナ公爵夫人のお茶会に招待されていたベネディクトが帰っていた。彼はぐったりとした表情でソファに座り込んでいた。
「あら、早く帰っていたのね」
それを見たアンジェリーナも誰も入ってこない、と思って少し乱暴に佩いていた靴を脱ぎ捨て、近くのソファに彼女も沈み込んだ。
「ああ。やっぱり、上流貴族の生活、は私には合わない」
ベネディクトの言葉に、アンジェリーナは呆れた。
「それをわざわざ私の前でいうの?」
アンジェリーナとて、れっきとした侯爵令嬢だ。ベネディクトの言う上流貴族にあてはまるだろう。
「君じゃなきゃ言わないよ。もちろん、ルシオ閣下に睨まれたくもないけれど、君ならば絶対に言わないだろう、と思って」
ベネディクトの言葉に、アンジェリーナはやれやれと言いたくなった。確かにルシオに言うつもりはないが、アンジェリーナの性格によっては逆鱗に触れるところだ。もっとも、逆鱗に触れるような性格をしているのなら、わざわざ文官にはならないのだが。
「そう。で、公爵家はどうだったの?」
アンジェリーナは少し機嫌を損ねたように尋ねた。少しやけ気味だ。ベネディクトが何の考えもなしに、敵陣地である公爵家へ行くとは考えにくかった。ベネディクトはそんな様子のアンジェリーナにかまうことなく、ただ、聞かれた質問に即答した。
「公爵は見てないから何とも言えないが、少なくとも公爵夫人の方はシロだろうね」
「えっ」
ベネディクトの答えにアンジェリーナは驚き、持っていたティーカップを手放すところだった。
「いくら貴族の皆さんが表裏使い分けるって言っても、あの公爵夫人には無理だろうね」
ベネディクトの言葉の意味が一瞬、分からなかった。だが、その意味にすぐに気付けた。
「他の参加者は『王族付き秘書官』の肩書を持つ俺に近づいてくる。だが、あの公爵夫人だけは違った。俺が挨拶した途端、それまでの笑顔はどこへ行ったのか、というほどにらみつけてきた。よくそれで公爵夫人が務まるのかってこちらが心配になってしまったよ」
どうやら、ベネディクトによれば、ベルッセルナ公爵夫人ファナはその後、わめき散らしたらしく、ほかの参加者に宥められていたとか。だが、確かにベネディクトの言葉が本当ならば、確かに公爵夫人が真犯人とは考えにくい。
「まあ、ほかの参加者たちが建前上、とりなしてくださったから、俺はそのあともい続けることができた。まあ、一番出入り口に近いところに居させてもらったけれど」
アンジェリーナは自分の身内が行ったことでないにせよ、申し訳ない気持ちになった。
「そういえば、ロレス・アインスシュワンツ子爵令嬢に話しかけられたな」
ベネディクトが一通り話し終わって、目の前においてあったクッキーを二口ほどつまんだ後、思い出したようにつぶやいた。
「ロレスが?」
アンジェリーナはその名前を意外には思わなかった。たしか、彼女の身の回りは公爵家至上主義が多かったはずだ。アンジェリーナは実家の派閥が違ったが、過去に女官を務めていたころに同僚としていたため、ある程度は覚えていた。
「ああ。確か月光のような銀の髪に緑の瞳を持ったお嬢さんだったな」
ベネディクトの言葉に、アンジェリーナはおかしい、と思ってしまった。
「待って。今、『緑の瞳』って言ったわよね」
「ああ」
アンジェリーナはベネディクトの言う『ロレス』の正体にすぐさま気づいた。
「それ、ロレス本人じゃないわね」
そう言うと、案の定ベネディクトは嘘だろう、と呟いた。
「嘘じゃないわ。待って」
アンジェリーナは部屋の戸棚から、最新の貴族名鑑を持ってきて、アインスシュワンツ家のページを開いた。
「ほら見て。『ロレス・アインスシュワンツ子爵令嬢。銀色の髪を持ち、紫の瞳を持つ』って書いてあるわ」
アンジェリーナは彼女と面識がある。しかし、それだけでは証拠として不十分だと思い、そこをベネディクトに見せたのだ。アンジェリーナの証言と目の前に突き付けられた証拠によって、ベネディクトは完全に沈没した。
「じゃあ、俺があっていたのは一体――――」
アンジェリーナはさすがの先輩がかなりへこんでいるのを見て、ため息をつきながらももう一か所該当ページを開き、ベネディクトに見せた。
「これよ」
そのページに書かれている文章を見たベネディクトは驚きに目を見開く。
「貴族名鑑に載っていない人物を除けば、おそらく彼女がロレスに成りすましていたのよ」
そこに載っていたのは、『バネッサ・ゲルブヌラ男爵令嬢』。彼女は、ロレス・アインスシュワンツ子爵令嬢の従妹であり、彼女と非常によく似た容姿をしていると書かれていた。
「で、そのバネッサの実家、ゲルブヌラ家は最も古くからある侯爵家の腰巾着――――正確に言えば、狂信者よ」
アンジェリーナは、今回のこのベネディクトへの招待状はゲルブヌラ男爵がそっと紛れ込ませたものだと考えついた。そして、何のために紛れ込ませたのか、
「考えたくないわね」
「どうした」
アンジェリーナの独り言にベネディクトが反応したが、何でもない、と首を横に振った。
(私の考えが間違っていなければ、多分―――――――)
アンジェリーナはそこまで考えて、次にどう行動するか、決めた。
ようやく花見編完結です。
そして、次々週の更新で、暗殺(未遂)事件終わります。