ここをせんど
優しかった祖母の面影を辿って。
縁側に正座して一心に運針する祖母の手元をみていた。
巧みに動くその手元の先には、一群の水仙が、すっくりと立っている。
小柄な姿が、老いて尚、縮こまったように見える。
『おばあちゃんの腰巾着』
と揶揄されるほど、幼い頃から祖母の後をべったりとついて歩いていた私は、自他共に認める『おばあちゃん子』として育った。
高校三年の冬、私は苦手の家庭科の裁縫の課題を祖母に頼んで、座敷の炬燵に潜り込み、見るでもなく、裁縫に没頭する祖母の姿をぼんやりと目で追っていた。
ちょうど、本命の私立の大学受験を目前に控えた二月の小寒い日だった。
「ゆみちゃん。」
唐突に祖母の声が、しんとした座敷に、りんと響いた。
「ここをせんど、やで。」
祖母は押し殺したような低い声でそう言った。
「え?」
古風な祖母の古めかしい言い回しは常のことで、
(「あぁ、又、小難しいこと言うてるわ。」)
と、その場では聞き流してしまった。
受験当日の凍えるような朝、ぼた雪が後から後から降ってきて、外は真っ白だった。
古い玄関の引き戸をガタピシ言わせて開けながら、いつものように見送りに出た祖母は、
「ゆみちゃん、これ。」
と、節くれだった手で私の手を握りしめた。
開いた手の中には御守りが入っていた。
「北野の天満さんで、もろてきた。」
祖母がくしゃっと笑う。
「ありがとう…。」
消え入りそうな声で、目を伏せた私に
「ここをせんど、や。ゆみちゃん。」
と、祖母は御守りごときつく私の手を握りしめた。
受験会場で、昼休憩の時、祖母が持たせてくれた心尽くしの弁当を使いながら、ふと、『ここをせんど』という祖母の言葉が脳裡に浮かんだ。
鞄に常備していた小さな字引でその言葉を探す。
ー此処を先途とー
ここが勝敗・成否を決する大事な場合だと思って、いっしょうけんめいになるようす。
「先途」は重要な場面の意。
この間の座敷から見た祖母の一心に縫い物をする姿と、庭の一群れの水仙の白と黄が、鮮やかに目蓋に蘇った。
「おばあちゃん…。」
私は、きゅっと唇をかみしめて、昼からの試験に挑んだ。
うららかに晴れた春まだきの肌寒い三月。
今日で最後の制服に身を包み、卒業証書を胸に抱いた私は、列席してくれた黒留め袖にしゃんと背筋を伸ばした誇らしげな祖母と教壇に立ち、黒板をバックに写真を撮った。
泣き腫らした目で薄く笑んだ私の横で、物言いたげに、口を半開きにした黒留め袖姿の小さな祖母。
今も残る一葉の写真の中に居る祖母の半開きの口からは、あの言葉が聞こえてくるようだ。
「此処を先途、やで。」
大学構内の喧騒の中、桜の淡い白がはらはらと舞い散っていた。
大好きだった祖母への思いを書きました。
皆様の心にも大好きな人が蘇りますように。
作者 石田 幸